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(idea2016年10月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
「女心と秋の空」とはよく言いまして、読んで字のごとく“秋空は女性の気持ちのようにうつり変わりやすい”という意味ですね。確かに今年は台風が多く東北でも甚大な被害に見舞われました。そんな中でもすくすくと育った稲たち。5月の田植えからあっという間に実りの秋です♪
おいしいご飯(お餅)が待ちきれない♪
すでに始まっている地域もあるかと思いますが、10月と言えば稲刈りの季節♪最近は区画整備された大きな田んぼが多く、人手もかかることからコンバイン※で稲刈りをすることがほとんどになりました。しかしながら、まだまだ市内では自然乾燥法を取り入れており、それは秋の風物詩にもなっています。
さて、自然乾燥法と一言で表現してしまいましたが、実は市内に2つの方法があるようです。私も車を運転していていつも気になっていたので、今回の特集にしてみました。
※農作物、特にイネやムギを収穫するための農業機械の1つ
「ほんにょ」は感じで表すと「穂仁王」と書きます。確かに仁王様が立っている様ですね・・・
こちらは、狐禅寺市民センター主催の「狐禅寺子屋」での稲刈り風景。狐禅寺子屋では小学生を対象に農業体験や世代間交流を行っています。ここでよく見ていただきたいのが、束ねた稲を1本の棒に積み上げて乾燥させていくタイプの乾燥方法であるということです。これは「ほんにょ(ほにお)」と呼ばれており、1本の棒に50束ほど積み上げるのだそうです。ちなみにこの「ほんにょ」での乾燥方法は一関市のお隣栗原市でも主流で、“ねじり ほんにょ”という栗原市のマスコットキャラクターにもなっているようです。市内では、一関地区・花泉地区・川崎地区で多く見かけますね
束ねた稲を、割って「はせ」にかけるのにはコツが必要です。子どもたちが手際よく作業していますね。
こちらは、「はせがけ」という方法。長さ4~5mほどの柱に横木を使い、束ねた稲を掛けていくその方法は“布団干し”に似た感じです。旧東磐井郡の地域では、この方法が主流でした。大東町興田地区では、初盆の際に山から杉の木を伐り出し、「灯し立て(あかしたて)」に使用した後、秋の収穫時期に「はせがけ」の横棒に再利用されていたそうです。現在では「はせがけ」もですが「灯し立て」もあまり見かけなくなりました。写真は、次代を担う子ども達へ有機水田での田植え体験を通じ稲作や環境保全型農業に対する理解を深めるために、「大東町有機農産物等生産組合」が主催している田んぼの学校の様子です。
(写真ご提供:狐禅寺市民センター様、一関地方有機農業推進協議会様)
岩手県全体でみますと、主に南部藩の県央・県北が“はせがけ”、伊達藩の県南が、棒掛けの“ほんにょ”に分かれているかのようで、一説には「藩の領地と関係があるのでは?」という見方もあるようです。どちらにせよ、昔の人は稲を乾燥するための工夫をし、稲刈りを集落全体で一つの行事ととらえ協力して作業をしてきました。“はせがけ”や“ほんにょ”は一関地域で残したい景観の一つと言われ、ファンも多いです。この地方の大事な文化だと想い、後世に伝えるべく、記録だけでなくその技術も継承していかなければいけませんね。
次回の特集予告・・・ 「食欲の秋ですね♪」 おまんじゅう特集です。お楽しみに!!