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(idea2024年2月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
「風邪を引いたら首にネギを巻く」など、体調がすぐれない時などに、家庭内で行われてきた「民間療法」。経験や伝承に基づき、広く民間で伝承されてきた治療方法を指しますが、その中でも「おばあちゃんの知恵袋」とも呼ぶべきレベルの「暮らしの知恵」にスポットを充てることで、当時の暮らしに思いを馳せてみます。そこから見えてきたのは、現代人の暮らしにも取り入れるべき考え方でした……!
(記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果)
■神仏・神霊頼みが近代まで
当センターのスタッフは30~40代のみで、年代がさほど離れていないにも関わらず、認知度が大きく分かれたのが、「傷にユキノシタの葉を貼る」「たんこぶに砂糖を塗る」など、各家庭で実践されてきた、ケガや体調不良時の対処法でした。
この違いに興味を持った我々は、まずは家族を中心に「おばあちゃんの知恵袋」レベルの対処法を収集。それを整理し、地域やイベント会場でのヒアリング等を行いました。
地域や年代を問わず、経験者が多い方法もあれば、その逆もあり、次第に湧いてきた疑問が「これらの対処法は誰がいつ頃に考案し、広まったものなのか」。特に興味深いのが、「目にものもらいができたら〇〇をする」等の、俗信的なもの。何の根拠もなさそうな行為が伝承され続けていることが不思議でした。
しかし、文献調査をしていくと、日本における病気への対処法といえばむしろ、神仏・神霊の力に頼る「願掛け」「祈願」が庶民の主流であり、時にはオカミサマのような存在に頼ったり、「お百度参り」のような行いをしたり……。今のように医療機関が身近ではない時代(昭和に入っても)は、そうした祈願に加え、ものもらいのような軽微なものは、「井戸に小豆を落とす」等の俗信を願掛け的に行っていたようなのです(おそらく全国の農村に共通)。
■「養生」と「未病」
医療機関が身近でなかったことに加え、飛鳥時代以降、仏教の伝来や遣隋使・遣唐使などにより「中国伝統医学」が伝来すると、天然に存在する薬効を持つ動植物を用いた治療法が日本でも模倣されていきます。
それらは自然界に存在する動植物、自然環境を活用して、生命力=自然治癒力を高めるという考え方であり、鎌倉時代以降、禅宗の僧侶などが僧医として一般民衆に教えていた(施していた)ともされ、薬効を持つ動植物を用いた対処(治療)法は徐々に庶民にも広まっていきます。
当初は中国伝統医学を忠実に模倣していた日本ですが、伝来から1400年以上の長い年月を経て、日本人の体質や生活に合わせて独自に発展していき、江戸時代に日本独自の医学として「漢方」が確立します。
同時期に本草学者の貝原益軒が『養生訓』で予防医学に通じる考え(「腹八分目」など、健康な時から気を付け、欲に身を任せない等)を庶民にも普及。「養生」という考え方と、漢方の「未病」の考え方は「病気にならない生活を送る」「体が出す何らかの初期サインに気づき、自身で心と体を管理する」というもの。発病に至る前に、各家庭で天然の動植物の薬効を利用して対処する「おばあちゃんの知恵袋」のルーツは、江戸時代にあるのかもしれません。
当地域におけるメジャーな民間療法を聞いてみた
「民間療法」と言っても、その定義は曖昧です。ここでは「家庭レベルで行われていた(いる)、薬効のある動植物を用いた対処法(未病的なもの)」に絞り、ヒアリング等を通して収集した「実際に当地域在住者が経験したもの(家族の経験含め)」をご紹介します。なお、「いちのせき市民フェスタ23」の中で行った「公開アンケート」の結果(10代~80代の22人)も反映しています。※身内も含め、総勢50人以上にヒアリングさせていただきました。
▼収集した情報のうち、複数人から経験談を聞くことができたものを抜粋▼
風邪 | ネギ湯(≒刻んだネギを大量に入れた味噌汁)を飲む。 | ||
発熱 |
葛湯(or葛粉を練ったもの)を飲む(食べる)。 | ||
喉 | 焼いたネギを首に巻く。 | ||
咳 | オトギリソウを焼酎漬けした汁(原液)でうがい。 | ||
頭痛 | 梅干しやスライスしたにんにくをこめかみに貼る。 | ||
腹痛 | 梅干しを漬けた汁を煮詰めて飲む(≒梅肉エキス)。 | ||
センブリ茶やドクダミ茶を飲む。 | |||
蓄膿症 | 切って揉んだドクダミを鼻の中に入れる。 | ||
創傷 | 出血にはチドメグサを貼る。 | ||
熊の油とムカデを混ぜて患部に塗る。 | |||
ヘビ焼酎やオトギリソウを焼酎漬けした汁を傷口に塗布。 | |||
揉んだユキノシタやスライスした朝鮮人参を患部に貼る。 | |||
内出血 | 「あおたん」や「たんこぶ」に砂糖を塗る。 | ||
火傷 | 山芋、アロエ、馬油等を塗る。 | ||
毒虫 | 蜂に刺されたら尿をかける。 |
地域性や年代による差は薄い?昭和10年以前生まれの人からの伝承が多い。
「ネギ湯」「首にネギを巻く」という風邪の対処法は、幅広い年代で認知され、平成以降生まれでも経験者が!「首にネギを巻く」という方法は、ネギに含まれるアリシンという成分により「あながち迷信ではない」とも言われています。
同様に「内出血(たんこぶ等)に砂糖を塗る」という方法も平成以降生まれの経験者がいました。現在でも行っているという回答者も数名いて驚きましたが、調べてみると、全国各地で行われていた民間療法のようです(科学的根拠は賛否両論)。砂糖水にしたり、ツバでつけるパターンも。
「アロエ」は火傷の対処法として上がっていますが、内服による効果もあります。植物としてのアロエは、室町時代にポルトガルの宣教師が、日本に持ち込んだという説もあり、九州などで帰化しています。薬用としては、鎌倉時代に医学書に登場し、江戸時代に広まったようです。昭和初頭にブームとなり(胃や便秘への効果)、多くの家庭で鉢植えのアロエを常備していましたが、屋外では冬越しできないため、次第に各家庭から姿を消して行ったようです(屋内にしまい忘れ、いつの間にか枯らしてしまったという経験談多数)。
《井戸の横に》
ユキノシタ
井戸の周りや石垣の下など、日陰の湿地を好み、薬用・食用として植えておいた家が少なくなかった。「葉を揉んで患部に貼る」「葉を炙ると薄皮が剥けるので、それを患部に貼る」など、使い方は様々で、痒みや皮膚湿疹のほか、中耳炎(別名ミミダレグサと呼ばれるほど、耳の薬としても有名)や小児の引きつけなどにも使用したとか。井戸の撤去とともに、家庭から姿を消していった?
《本当に苦い!》
センブリ
日当たりの良い山野や日の差し込む松林に自生。「何回(千回)振り出しても苦い」という強い苦みから名づけられた。薬用には、開花期に根ごと採集して土を払い、束ねて吊り下げ、乾燥させたものを使用(煎じる、熱湯に入れ る、粉末化する等)。胃腸の不調時や二日酔いなどに効き「祖父が毎朝飲んでいた」という声も多く、「未病」的に飲み続けるのが習慣化していた?
※許可をいただき採集いたしました。
《花にも薬効》
クズ(葛)
「葛粉をお湯でといて、風邪の引き始めや食欲不振時などに食べた」という声が多くありましたが、「葛粉を作った」という経験者は見つからず。幼い子どもの体調不良時にも安心して使用できたのが魅力だったようです。
<誌面未掲載>
実際に「クズ粉」が出来るのか挑戦してみました!
【クズの根を秋~初冬に掘りおこす】
写真の根はゴボウのように細いですが、タンパク質が豊富な根だと大人の「太もも」よりも太くなるのだとか⁉
【揉みながら絞る】
細かくした根を、絞り袋などに入れ水の中で揉んで成分を出して行く!灰汁が真っ黒です!?
【失敗!?】
この白く浮遊しているのを乾燥させたものが葛粉になります。何回も水をかえたのですが、不純物(茶色)が葛粉よりも比重が重く別々になる事はありませんでした…。
【皮を剥き金づちなどで繊維を壊す】
機械等を使用せず、金槌で叩く。この後包丁やハサミで細かくします!
【上澄みの水を交換】
灰汁が凄い出るので、上の水が透明になるまで朝晩水の交換を続けていきます!
【結果】
不純物を別々にすることが出来なかった為、この後の乾燥作業は断念しました…。当地域では「葛粉」を作っていたという話は聞けませんでしたが、寒い中根気がいる作業が多く改めて先人の方々の凄さがわかりました!
《自然の絆創膏》
チドメグサ
和名は「血止草」で、その名の通り、葉を揉んで、そこから出た汁を傷口に塗れば出血が止まるとか(ヒアリングでは「葉を傷口に貼った」という声が多かった)。繁殖力旺盛で、外来種のブラジルチドメグサは特定外来生物なので注意。
《他にもたくさん!》
薬効のある身近な植物
ヒアリングではあまり聞かれなかったものの、文献上では当地域でも使用されていたと思われるのが「ドクダミ(十薬と呼ばれ、様々な薬効あり)」「ヨモギ(お茶や薬湯に。血行促進作用あり)」。また、梅や柿にも薬効があり、梅干しや干し柿はもちろん、梅肉エキスや柿の葉茶など、使い方で薬効が変わってきます。
薬屋と『赤本』、配置薬は「とうじんさん」
江戸時代には開業医や薬屋のほか、薬の行商(配置薬のルーツ)など、庶民にも医療が少し近づきました。当地域においても「とうじんさん」と呼ばれる薬の行商が富山県などから来ており、「配置薬」は現在もなお我々の暮らしを支えています。
また、当時の薬屋は「百味箪笥」などと呼ばれる複数種類の生薬を保管する箪笥があり、「乳鉢」や「薬研」「押切」等を使用して、それぞれの症状にあわせて調合していたのだとか。
大正14年に発刊された「赤本」こと『家庭における実際的看護の秘訣(築田多吉著)』は、海軍の看護特務大尉だった著者が、地方で通用している民間療法を収集し、自身が試した後、効果があったものを紹介した本で、何度も重版され、民間療法のバイブル的存在だったようです。
大正時代の「自然薬佐久(一関市大町)」店内を描いたイラスト。昭和54年に先々代が当時を思い出して描いたもので、百味箪笥なども描かれている。同店では現在も生薬由来の商品を取り扱っている。
「僧侶」や「薬屋」が普及する知識
「自然薬佐久」は明治6年、千厩町本町の「白石薬店」は「白石里仁堂」として明治37年に創業しており、当地域でも明治期には薬屋が複数存在していました。薬屋は、身近な動植物等を使用した対処法などをアドバイスすることもあったようです。また、そうした薬効のある植物の販売もしており、自然薬佐久では最近まで、ハトムギ、お灸用のヨモギ、ドクダミ、クチナシ、センナなどを取り扱っていたそうです。当時は原材料で販売されていたものも、次第に「健康食品」として製品化されていき、サプリメントや健康茶として、気軽に取り入れられるように変わっていきました。
「僧侶」も庶民に知識を普及した存在です。藤源寺の佐藤住職によると、薬草等を用いて社会救済事業を行っていた「施薬院」に代表されるように、僧侶は修行や社会貢献の一環で、医療や困窮者の救済を行っていました。識字率の低い山村においては、字の読める僧侶は学識者であり、僧侶間のネットワークで知識も豊富。京都や海外にも通じるネットワークがあり、平泉に近い当地域では、僧侶によって学問や知識が運ばれてきた可能性も高いと言います。
当地域にも各所に「薬師如来(お薬師さま)」がありますが、病気治癒の願掛けに行った折に、僧侶から身近な対処法を教わることがあったかもしれません(勝手な推測です)。
<参考文献・論文(Webサイト)> ※順不同
柳田国男 編(1937)『山村生活の研究』
柳田国男(1942)『郷土生活の研究法』
指田豊(2021)『散歩で見つける薬草図鑑』
井上陽子『困ったときのお助け帳』
鈴木棠三(2020)『日本俗信辞典 植物編』
東城百合子(1998)『薬草の自然療法』
稲村半四郎(1978)『農村漁村文化協会むらに生きる先人の知恵』
配置薬の歴史を検証し未来を考える会(2019)『配置薬ニッポン総ケア宣言』
立川昭二(2013)『明治医事往来』
立川昭二日本医史学会神奈川地方だより3(1994)『日本医史学会神奈川地方会 民間医療信仰の小さな旅』
瀬戸内和美(2015)『日本人の知恵ぐすりを暮らしに‐身近な食材でからだ調う‐』
花輪壽彦(2015)『ビジュアル版東洋医学漢方・生薬の教科書』
株式会社阪急コミュニケーションズ(2011)『Pen+(PLUS)ペンプラス 漢方とは何か?』
松岡洋一(1985)『一関地方の自然と文化(二)―郷土の文化シリーズー一関地方の植物』
大東町(2005)『大東町史 下巻』/一関市編纂委員会(1978)『一関市史第2巻各説1』
一般社団法人全国配置薬協会.「おきぐすりのれきし」. https://www.zenhaikyo.com/history/ (2024.1.16)
イー薬草・ドットコム.「薬用植物総合一覧表」.http://www.e-yakusou.com/ (2023.12.20)
日本ハーバルセラピー研究協会(JHTRL).「日本ハーブ」.https://jhtrl.org/japan_herbs/
(2023.12.20)
【調査協力者】
一関市 自然薬佐久さま
千厩町 白石薬店さま
その他、調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました!
↓実際の誌面ではこのように掲載されております。