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(idea2018年7月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
小窓や部屋がたくさんある鳩小屋。中がいったいどうなっているのか気になりませんか?
当市内でも各地で見かける鳩小屋。小屋は目にしても飛んでいる鳩を見ることはあまりなかったり、そもそもの競技内容や競技人口、どんな人が競技しているかなど、実は知らないことが多い鳩の世界。想像以上に深い世界がそこにありました!
鳩の帰巣本能を活かし、同一地点(放鳩地)から同時に放鳩し、誰の鳩が早く帰ってくるかを競う競技です。
血統が勝負を左右する「レース鳩」たちは神社やお寺等でよく見かける「土鳩」とは帰巣能力・飛翔能力ともに大きく異なります。競技にあたっては、放鳩地から各自の鳩を飼育している鳩舎までの距離を正確に測定し、鳩が帰るのに要した時間で割って、1分間のスピード(分速)を出して比較します。優秀なレーサー(=レース鳩)は四国(四万十市)から一関まで1日で戻ってきてしまうというので驚きですが、実は帰巣できるのはごく一部のレーサーのみで、長距離レースともなれば大半が途中で脱落してしまったり、タカなどの餌となってしまうのだとか。
レースは主に秋と春。秋に地区レベルの短距離レースでデビューすると、徐々に距離が伸びていき、春の長距離レースの頃には自然と少数精鋭に淘汰された状態になり、残った優秀なレーサーたちが日本鳩レース協会主催の広域レースに参加することができます。愛鳩家(=飼主)は自分の交配させたレーサー達が帰巣する喜びと、名誉をかけて挑戦を続けるのです。
鳩レースに参加するには、「競翔連合会」の会員にならなければなりませんが、現在、市内には「一関連合会(西エリア)」「新南三陸(東エリア)」の2つの連合会があり、会員数は合わせて約60人。
戦後の暮らしが落ち着き始めた昭和25年頃から鳩を飼育する人たちが現れ、昭和35年頃には小学生の男の子にとっては「鳩を飼うことが常識」であったとか。この頃すでに市内にもレース鳩の連合会があり、大人たちに交じってレースを楽しむ子どもたちもいたそうです。鳩レースは子どもと大人の接点・交流の場にもなっていたのです。
昭和53年、週刊少年チャンピオンでレース鳩の漫画(「レース鳩0777」)が連載されるなど、全国的に鳩レースはブームに。そして昭和58年、現在の一関連合会が発足(復活)します。
現在の会員は鳩レースを続けたいがために地元に就職した人が大半で、逆に就職によって一度は鳩レースを辞めたものの、未練が残り、退職と共に鳩レースのために帰郷したという人も多いとのこと。娯楽が増えた昨今、新規会員はほぼなく、25名以上の会員が必要な連合会を維持していくことが目下の悩みです。
▲鳩小屋は大きく「レーサーの部屋」と「種鳩の部屋」とに分かれている。上下2~3階建てに分割した小屋もあれば、左右に分割した小屋も。
種鳩は交配を変えながら年に2回程ヒナをとる。1回に2個の卵を産み、かえって25日程度でレーサーの部屋に移動(=親離れ)。春に産まれたヒナ達は8月頃から飛ぶ練習を始め9月から本格的に訓練開始、デビューに備える。
小屋と1組の種鳩があれば始められる鳩レース。
興味のある方は「一関連合会」事務局まで!
☎ 090-7666-1667(泉さん)