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※idea 2020年6月号掲載記事の関連記事です(=本誌に未記載内容)
※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
「オシラサマ」について調べていく中で、当市にも多くのオシラサマがあったことが判明。
旧町村時代に教育委員会などがオシラサマの調査をし、それをまとめた文献も存在するので、昭和後期~平成初頭頃のオシラサマの所有軒数やその状態などは大まかに把握することはできました。ただ、資料写真が白黒のため、イメージしきれないことと、その後の追跡調査などがされていないために今現在の様子が把握できないことから、当センタースタッフも実際に何軒かのお宅にオシラサマを見せていただきに行ってきました!
また、本誌掲載後にも、オシラサマに関する情報が寄せられているため、オシラサマに関する情報のストックとして、このページに随時オシラサマに関する情報を掲載していきます。
※順不同、随時更新
オシラサマは大きく「包頭型」と「貫頭型」の2つに分けられ、当市においては前者が多いことは本誌で紹介しました。本当は誌面でも当市では数少ない貫頭型のオシラサマを紹介したかったのですが、取材日程の関係で叶わず…。しかし、印刷完了後ではありますが、貴重な貫頭型のオシラサマを取材させていただくことができたので、この場にてご紹介します!
【大東・熊谷家】
貫頭型のオシラサマ。
1体は女性、1体は馬の頭になっている。年に1回、母親が家にある布を切って被せていた。保管用の木箱はあるが、すでに入りきらなくなり、父親(先代)が飾り用の土台(木製)を作ってそのまま座敷の床の間に置いている。
布は切れ込みが入れられており、布の端には年号(着せた年)が記載されている。子どもの着物や座布団カバーなどを使っていたのではないかと現在の家主さんは推測。
年号は平成23年までは確認できたが、平成24年の着物にはなぜか書かれておらず。また、平成25年にそれまでお世話をしていた現在の家主さんの母親が亡くなったため、以降は新しい衣をまとっていない。
オシラサマをひっくり返してみると…
中心部の古い布は茶色く、麻のようなもの。
戦前のものを一度脱がせている(処分?)らしく、現在の布は全て昭和以降のもので、実際にはいつからオシラサマが家に祀られていたのか分からない。
女性を模したオシラサマ。
現在の家主さんの記憶では、オシラサマを頭や耳の後ろ、肩などにこすりつけられる(お祓いをするような感じで)ことはあったそうですが、それが祭日の正月16日かどうかまでは覚えていないとのこと。
また、過去の調査文献によると、熊谷家では「腹痛の時にオシラサマの衣の端を切りとり、それを入れた茶碗にお湯を注いで飲む」という趣旨の記述があるが、現在の家主さんにはそうした記憶はないとのこと。
馬型のオシラサマ。
ちなみに、熊谷家ではオシラサマは養蚕の神と伝えられており、実際に昭和40年代まで養蚕をしていた。幼少期は蚕と寝るくらいたくさん蚕を飼っていたとのこと。
大東の中でも熊谷家のある大原・下内野地区にオシラサマを所有する家が多く、養蚕が盛んな地域だったことから、やはり養蚕の神として分布したのではと地域の人は推測。
※大東では養蚕<目の神という文献もあるが……。