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取締役 加藤国男さん
(idea 平成30年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
◆取締役:加藤国男さん
◆住 所:〒029-0523一関市大東町摺沢字沼田27
◆電 話:0191-75-2215
◆FAX:0191-75-3385
“ペコちゃん”の人形が愛らしく出迎えてくれる不二家乳業株式会社。旧大東町の第1号誘致企業である同社は、牛乳、クリーム、ソフトクリーム、練乳などを製造し、市内小学校や中学校の給食に欠かせない牛乳でお馴染みの企業です。
「弊社は小さな民間会社ですが、地域農業と大きく関わりのある企業。先人たちの思いが今ここにあるのです」と語るのは取締役の加藤国男さんです。
加藤さんは地元の高校卒業後、不二農産工業株式会社(現不二家乳業株式会社)に入社。平成17年から平成22年までは工場長として尽力し、その後も取締役(非常勤)として運営にかかわっています。
誘致に至る背景を伺うと、「この地域は、昔は耕地が少ないために長い間たばこ生産、養蚕、木炭とわずかな稲作を生業とし、町民所得は岩手県平均所得の6割程度だったそうです。戦後、昭和24、5年あたりから酪農の先駆者が現れ、昭和30年代に入り酪農家戸数が増えはじめたと聞きましたが不安定な収入だったようです。旧5町村が合併し新生“大東町”が誕生したのは昭和30年4月。その後まもなく株式会社不二家が『岩手乳製品工場計画』を発表し郡内各町村トップが誘致運動を展開したそうで、初代大東町長も低所得農業を打破すべく工場誘致の実現を目指し、酪農家と共に誘致運動を推し進めたそうです」とのこと。
当時、工場誘致の最低条件は「生乳1日120石(約22t)の確保」。これを達成するため「工場誘致は自分たちの手で」を合言葉に酪農家有志と行政がさらに運動を展開し、それまで個々に業者と提携し生乳を収めていた224戸の酪農家から賛同をもらい、最初の集乳日には、なんと207石(約37t)もの生乳を集めることができたのです。「“思いがけず”という言葉がぴったりかもしれない」と当時の様子を加藤さんは表現します。
昭和37年8月、地域の酪農家の思いが伝わり、正式に不二家乳業株式会社の前身“不二農産工業株式会社(独立採算制)”が設立され、近代的なコールドセンター(酪農家から集乳された生乳の検査・冷却・一時保管、乳業工場に向けた出荷作業)を建設、その後、乳製品工場を増棟。東北全域で市販する牛乳・東磐井郡内の学乳、ミルキーの原料となるコンデンスミルクやケーキ用ホイップクリームの生産がスタートしました。平成元年には名称を「不二家乳業株式会社」に改め新工場を増設。設立当初は大東町全域と千厩町の一部酪農家から集乳していましたが、現在は一関市・平泉町全域から集乳し学乳も市内だけではなく大船渡市、陸前高田市、住田町まで広がりました。
また、同社では、牛から絞られた乳がどのような工程で製品化されるのかなどを学んでもらおうと小学生を対象とした工場見学、中学生や高校生の職場体験も積極的に受け入れています。「将来を担う子ども達に地元先人たちの思いを伝え、感じてもらいたい。そして地域に誇りを持ってもらえたら」と願いを込め、「これからも地産地消と郷土発展のため、町内誘致第1号として誇りを持ち社員一同努力していきたい」と熱く語っていただきました。
会社の屋根には可愛らしい“ペコちゃん”“ポコちゃん”がお出迎え
地元のお祭りなどで保健所の許可があれば、ソフトクリーム
製造器(台数に限りあり)を貸し出すことが可能とのこと