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効率よく物を運搬・保管するためのパレット(倉庫用、災害復興関連、自動車関連等)を中心に製造を行う。金属・板金加工、溶接、塗装、組立まで一貫した生産が可能。昭和48年、初代代表取締役が「有限会社鈴忠(神奈川県横浜市)」の岩手工場(プレス加工部門)を平泉町内に設立、昭和50年に岩手工場を本社として「有限会社東北機工」へ社名を変更、同社の前身となる。昭和54年、社名を現在の「有限会社光成工業」へ変更したのち、市内や隣町に工場を増設、地元企業として安定した雇用を生み出す。
(idea 2024年11月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
「金の卵世代(団塊の世代)である父は一関市出身で、若くして関東に起業(昭和37年)しました。高度経済成長期も相まって、集団就職や農閑期の出稼ぎなどの労働力は貴重な存在であり、『地元の人が関東で起業した』ということを知った同郷者が、父を頼りに上京したと聞いています」と語るのは、有限会社光成工業の代表取締役(二代目)村上耕一さんです。
村上さんの父は一関市からの出稼ぎ者を受け入れる中で、「地元に同じような工場があれば働きたいか?」と従業員に問いかけたところ、「地元で働けるのならば、なお嬉しい。故郷にもこういう工場があればいいな」との反応があり、その声を受けた形でUターン。昭和48年にプレス加工を主体とする工場を平泉町に設立、昭和50年に本社とします。
昭和63年、一関市萩荘(現住所)に本社工場を移転すると、それまで培ってきた金属加工や溶接の技術を活かし、当時流行したカラオケボックスの国内唯一製造も手掛け全国に流通を開始、以後ハウス事業部を設け、各メーカーに対応したユニットハウスの製造にも着手します。
現在の従業員数は約100人で、平均年齢は40代前半。中には親子二代に渡って従事している人もいて、技術の継承だけではなく、先代の「地元に働く場を」という意思も一緒に受け継がれています。
同社は、普段の仕事(=生産活動)のほかに、従業員有志らで組織する「グループ活動」があり、入社半年を経過すると誰でも参加することが可能です。
グループ活動のテーマは、「安全衛生」「環境整備」「親睦」「ものづくり」「ブランディング」の5つ。チャレンジしたい事などがあれば各グループの検討会議を経て、その計画を社内で諮り、同社の補助を受け事業を展開することができます。
「グループ活動の企画や運営などで、チームを作ったり成功体験を積むことは、結果として生産活動の充実にもつながる」と村上さんは考えており、「生産活動を『縦の糸』とするならば、グループ活動は『横の糸』。従業員同士のコミュニケーションが強化されることで、社内全体に大きな成果をもたらしています」と語ります。
また、同社では、「未来を担う子どもたちがモノづくりを知るきっかけになりたい」という想いから、市内中学校への出前授業や小・中・高校生を対象とした工場見学の受け入れ、子ども溶接教室なども開催しています。
今後について、「一関市外の若者も採用したり、この地域に住み続ける人を増やしたいです。一度、市外や県外に進学した地元の若者たちが、戻って来たくなるような雇用の場を作っていきたいですね」と語る村上さん。次世代の明るい未来に繋げるため、地元の雇用を守り継いでいきます。
代表取締役の村上耕一さん。
自社製造のボックスパレットや棚。
ハウス事業部によるユニットハウスの組立。