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昭和10年に創業した有限会社旗や伊藤染工場は、三代続く名入れ染物店の老舗で、受注の8割は大漁旗の制作です。
同工場の初代・伊藤銀蔵さん(現代表取締役の祖父)が仙台市の染物屋に丁稚(でっち)奉公したあと、その技術を持って地元の川崎村(現「川崎町」)に工場を築きました。現在まで昔ながらの職人技を代々引き継ぎ、全工程を手作業で行っています。
(idea2019年5月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
有限会社旗や伊藤染工場は、岩手県の内陸地域で唯一「大漁旗」を制作している染物屋さんで、下絵描き・糊置き・染色・色留め加工・洗い・縫製など、全ての工程を手作業で行っています。「昔の川崎村は水害地帯というイメージが大きいかもしれませんが、良く言えば水に恵まれた地域。テレビなどで染物を川で洗う姿を見たことがあると思いますが、まさにその通りで、昔は目の前の砂鉄川(※)で洗い作業をしていました。創業当初は着物の染物もしており、沿岸部の呉服屋さんに自転車で通っていたことが縁で大漁旗の制作にも携わったようです」と語るのは、三代目代表取締役の伊藤康太さんです。
伊藤さんは高校を卒業後に上京し、百貨店などで使用する垂れ幕を制作する企業に就職しましたが、二代目(父親)が後継者に悩んでいることを知ると、「後世に残していきたい仕事(技)だ」と感じ、それを継承するべく22年前にUターンしてきました。
大漁旗とは、一般的に漁に出た漁船が大漁で帰港する際に船上に掲げる横長の大判旗で、進水式に併せて船主の親戚や関係者などから寄贈される祝儀の一種であり、寄贈者や船名のほか、「祝 大漁」などの文字、日の出やの親戚や関係者などから寄贈される祝儀の一種であり、旗の表面には寄贈者や船名のほか、「祝 大漁」などの文字、日の出や魚、恵比寿、宝船などの絵柄などが海上からでもよく目立つよう、派手な色彩や大胆な構図で描かれています。また、出産祝いや子供の初節句の飾り旗・祝い旗として縁起を担ぐ目的としても活用されています。沿岸部には大漁旗を制作する工場がいくつかありましたが、後継者不足や東日本大震災の被災により、その数は減少し近隣では大船渡市に2か所、気仙沼市に1か所と大変希少な業種となっています。
(※) 現在は河川整備されており、工場から川を見ることはできない。
現在は(印刷会社等による)プリント旗がインターネット販売などで簡単に手に入りますが、同工場で制作する大漁旗は唯一無二の一点物で、「天候にも左右されますが、1日に3枚仕上げるのがやっと(船一隻に掲げる大漁旗は約40枚)」と伊藤さんは語ります。東日本大震災後は、「がんばれ!○○丸」とメッセージを入れた大漁旗を制作し、各地の漁協などへ寄贈するなど沿岸部の一日も早い復興に願いを込めました。
天候の良い日は、川崎町の薄衣舞川線沿い(168号線)、川崎中学校方面にある同工場敷地にて「大漁旗」を乾かす作業が行われています。色彩豊かな旗が風になびくその姿はこれからも変わらず受け継がれることでしょう。「大漁旗を制作している風景というのは市内の皆さんにとっては珍しいものかもしれません。ぜひ、お近くを通られた際にはお立ち寄りください」と最後に笑顔で語っていただきました。
糊の調整を行う
三代目代表取締役の
伊藤康太さん
色付け工程を行う
二代目の伊藤佳伸さん
下絵を確認する伊藤親子