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昭和36年設立。昭和24年頃、炭焼きを生業としていた現代表取締役会長小野寺義直さんの父(初代・小野寺忠一さん)が、薪炭の需要減少と国産木材の需要増加を受け、昭和30年代後半から薪炭の販売と合わせて建築用材も取り扱うように(旧東磐井郡、本吉町、歌津町の山林を保有)。昭和41年、現住所の道路拡張工事に伴い事務所と工場を構え、チップ製造と製材(建築用材・パレット※用材)に業態を切り替え、平成4年には義直さんが二代目代表取締役に、令和4年には息子の友義さんが三代目代表取締役に就任。山林も保有しながら、必要な業種に安定した資材供給を行っています。
※輸送・物流用に使う、すのこ状または、板状の台。物品の保管用に需要が高まっている。
(idea 2023年5月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
森林資源豊富な一関市室根町津谷川地区は、森林の少ない宮城県沿岸部に近く、燃料としての薪炭の供給を担ってきました。株式会社山忠を創業した小野寺忠一さん(故人)も炭焼きを生業とし、沿岸部への行商をしていましたが、薪炭の需要が減り始めると、徐々に建築用材の製材に切り替え、バブル期へと突入します。
「当時は当地区にも大工さんが15人程いて、住宅建築で木材需要が多かった。今のお得意先は建築業者(法人)だが、だいぶ少なくなったね。安価な輸入木材に頼り、国産木材の値段は当初の半値程度(ウッドショックの影響でここ数年は回復)。地元の製材業者も少なくなった」と現状を語るのは、代表取締役会長で二代目の小野寺義直さんです。
現在、日本の住宅メーカーが取り扱う木材の約7割が輸入木材。戦時中の製炭需要や戦後の住宅需要に伴う乱伐により、国産材が減少したこと(=国産材の高騰)も影響しているとか。「木材(建築用材)は植林してから市場に出るまで50年以上かかる。国内の森林が回復する前に林業従事者が減少し、国内の林業は衰退してきた」と、林業の置かれた厳しい状況に触れながら、義直さんは「炭焼き、製材業、そして現在も需要が変化しつつある中で、心配なことは50年後の山だね」と表情を曇らせます。
「植樹をしたら、約15年はしっかり手をかけないと、太い丸太にはならない。下刈りや除伐等、山林の整備をしないとツタや草に木が負けてしまう。これまではできていたことでも、これからは人・働き手がいない。企業単独だけではなく、様々な人の力を借りないと、今のこの時代では力も予算も足りないんだよ。豊かな森を継承していくために、そして企業として安定した供給ができるよう考える時期がきた」と語り、「50年後も空気がきれいだといいな」と世代交代したばかりの友義さん(現代表取締役)に希望を託します。
「チップ」の製造と「木製パレット」用の資材供給も行っている同社。チップはバイオマス燃料のほか、大手製紙企業とも契約しており(紙の原料)、1日60~70立方mを製造します。東日本大震災以降需要が高まった木製パレットは、東北各地から注文が入っており、年間を通して加工業者に材料を供給しています。
なお、自社で保有する山林以外にも、公有林や民有林の立木も購入しており、民有林の場合は、立木の状態を1本ずつ調査して査定。工場での作業以外にも、そうした現場での知識を得ることができるため、同社で木材に関する知識や製材の技術を学んだ後、独立して林業等に携わる人も多いのだとか。
友義さんは「家業への興味は薄かったが、父の背中を見て育ち『いずれは継ぐのだろうな』という気持ちはあった。地域の資源である森林の保持や人材の育成にも力を入れていきたい」と、次なる「背中」となっていきます。
各材質の説明をする、代表取締役会長の小野寺義直さん。
チップは25tトラックで一日約4台分製造されます。
自然乾燥中の建築用材。
DATA
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一関市室根町津谷川字下川原7-6
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