毎月さまざまなテーマで地域づくりについて考えていくコラムです。
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第60話(idea 2024年3月号掲載)
「地元の味」を守る =「地域性」を守る
最近、市内でも新しい店舗等のオープンを目にするようになり、明るい話題だなと感じる一方、新聞に目を通すと、閉店や事業所閉鎖のお知らせが……。高齢化による人手不足、経済の低迷に、コロナ禍の影響が拍車をかけています。「生活」は、それなりにできるにしても、「地域性(=地域らしさ)」を失い始めているのを実感します。
令和5年7月、当市から「青果市場(一印一関青果卸売株式会社)」がなくなりました。市民生活への影響は案外大きく無いように見えますが、実はじわじわと可視化され始めていることが。ピーク時は約30億円の売上高があったという青果市場は、直近では約9億円と、取引件数は減り、昔に比べると取引商品が並べられている面積も小さくなってはいたものの、需要があったのも事実。市場の存在によって支えられていた人々がいたのですが、その人たちにはどのような影響があったのでしょうか?
「売り先」となる市場が無くなり、作付けをやめる農家が増えました。「産直があるじゃないか?」と言われることもあるのですが、産直出荷は、消費者とつながる楽しみがあるものの、個人販売が主となるため、出荷作業も個人向けに。ある程度の規模感で作付けをしている農家にとっては、大ロットで出荷できる方が収穫と出荷のバランスが良いのです。市場の閉鎖をきっかけに作付けをやめた農地が増え、その姿は、土が見えるだけ。まったく美しくない。景観が変わってしまいました。
大手スーパーの進出で個人商店(八百屋)がどんどん姿を消していく中、これまで青果の卸や小売りなどで何とか続けてきた商店がありました。しかし、これらの個人商店も、市場がなくなったことで「仕入先」を失い、閉じる決断をせざるを得ない傾向に……。同じく、入所施設や地元の食堂に卸していた仲買人も、仕入先を失い、直接農家と交渉し始める姿がありました。そして、農家あっての‘種屋さん’までもが……。
負の連鎖はここまで続くのか……と、切なく感じると同時に、それだけの関係性があって産業が維持されていたのだと改めて気づかされます。農家は、自家消費分は生産を続けているので、食べる分には困らないですが、市内に出回る野菜が市外産、県外産中心という事態になってしまっては、地産地消なんて間違っても言えません。農業は基幹産業だと言いながら、「売り先」がないと、このような状態になってしまいます。作る・売るのバランスが取れるようにできないものかと、悩み続けています。
そして、令和5年12月31日、室根町を代表する菓子「白あんぱん」が150年の歴史に幕を下ろしました。令和4年には、「藤ねずり」がなくなり、翌年は「白あんぱん」……。ローカルな菓子は、地域の象徴として存在するものと言っても過言ではありません。産直に寄って、その土地の銘菓を探すことはよくありますよね。産直に行けば、その土地の何かを発見することも多く、外出時の楽しみの一つだという人も多いでしょう。地元住民が、盆正月や御遣いに使うのはご当地のもの。高齢化、後継者不足で「地元の味」を失ってしまうのは、「地域性」も失ってしまうことに。
地元にあるモノが「当たり前」で、「いつでも買える」という安心感はもうありません。私たち市民が、改めて地元にある銘菓などの価値を知り(広域の一関市なので恐らく知らない銘菓もあるはず)、これ以上失うことがないように、地元銘菓などの維持キャンペーンを行い、菓子店にメッセージを送りましょう。「猿沢羊羹」や「ふじまんじゅう」のように、復活・継承されたケースもあり、それに期待したいです。
さらに、旧町村単位で「〇〇町と言えば〇〇」と言えるほど名物店のような存在だった「ローカル食堂」たちの中からも、高齢化が理由で現店主の代で閉店ではないかという噂も聞こえてくるように……。
時代の変化とは言え、今後に不安しかない日々。これ以上、私たちの地域性を失わないためにも、どうする?一関。