毎月さまざまなテーマで地域づくりについて考えていくコラムです。
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第66話(idea 2024年9月号掲載)
「見えない」部分にこそ、大事な役割
コロナ禍で書面開催が増えていた各種組織の「総会」ですが、今年度は、ほとんどが対面での開催に戻ったのではないでしょうか。私たちも地域協働体の総会にいくつかご案内いただき、出席させていただきました。総会資料で1年間の事業を振り返る時間は、新年度を迎えるにあたり、気持ちが引き締まる思いになる瞬間でもあります。決算や事業報告の資料作成に携わる事務局さんたちへの労いの気持ちも忘れてはいけませんね。
一関市内では、地域協働体(RMO)の設立から10年程度の時間の経過があり(設立時期は地域ごとに異なるので、12年が経過している協働体も)、その存在は少しずつ定着してきているようです。
一方で、「地域協働体って何?」と言う住民がいることも事実。そのことを気にかける役員等からは、「住民に認めてもらえる地域協働体にならなければいけない」という焦りや、切迫した言葉が出てくることもしばしば。この気持ち、ものすごく共感できます。
共感できるのですが、「住民に認められるために何をしようか?」と焦って、「住民が喜ぶ事業をしよう!」と発想してしまうのは、どうなのでしょうか?「事業」は地域協働体の大事な一部分ではあるものの、「目に見える事業」に関しては、結果的に住民の負担が増えてしまう可能性も。
また、「何をしたら喜んでもらえる・参加してもらえるのか?」と、‘ニーズ把握’に頭を悩ませ、ニーズを探れば探るほど泥沼にはまっていく‘ニーズ把握の困難’という課題に直面してしまう様子も見受けられます。
他のRMOの事例を検索すると、配食サービスや移動支援などの福祉活動、子ども支援や小商いといった事業が多数出てきますが、「事業をする側」と「サービスを受ける側」が両想いにならないと、実現が難しいものばかり。せっかく良かれと思ってやってみても、利用されないようでは、住民が喜ぶ事業とは言えず、負担ばかりが増えるだけです。
「継続は力なり」ではあるのですが、継続するものをいくつも抱えてしまうことにより、事業過多になってしまい、本来RMO(地域協働体)が担うべき地域の状況や課題を把握する機能が低下してしまいます。
‘イベント事業’は、住民に直接関係し、‘協働体が動いている’ということを分かりやすく伝えることにはなりますが、‘コーディネート事業’こそ、‘住民には見えないけれど、地域の将来のためには大事な動き’です。例え見えなくても、‘「取り組むことに対して自信を持つ」という勇気’を出すことが必要です。
自信を持ちきれない背景には、「地域点検」などを行い、行政等への提言活動などをしているにも関わらず、‘話し合いの成功体験’や‘繋ぐ成功体験’ができていないこと、があるように思います。
地域協働体に課題の把握や話し合いを求めても、その課題解決に関係各所が関わらなければ、「課題を把握し解決策を提言しただけ」で止まってしまい、地域協働体が自信喪失になるのも当然のこと。地域協働体でしっかり議論した上で、関係各所とも話し合いができる状況を創り出す。そこで関わった関係各所が、「地域の意見」として、話し合われた内容をピックアップしてあげることが、地域協働体の自信に繋がっていくことでしょう。
地域協働体の動きが住民に見えなくても、見えないところで頑張るのが地域協働体です。そこに関わる住民が議論に参加し、何気ない世間話の中で、「そのことは地域協働体で話し合っているから」と共有してくれる状況がつくれたらベストではないかと思います。「見えないところで頑張っているんだね」という認識になるのではないでしょうか。
地域協働体は、住民に直接関係することもあれば、住民ではなく、役職者に関係することもあります。地域協働体に関わって、初めてその存在意義に気づくこともあるでしょう。何をしているか分かるようで分かりにくい、見えるようで見えにくい、それが「コーディネート機能」の役割であり、宿命なのです。
ある地域で議論が紛糾した際、「俺たちは、金を払って話し合いをしているんだ!」という発言がありました。会費を払って議論に参加し、‘見えないところで地域のために頑張っている場面’の象徴的な発言だったと今でも鮮明に覚えています。
‘人が多かった時代’から、今後の‘人が少なくなる時代’に向けての「システムの再構築」のために、「コーディネートする」ことが「地域協働体の存在意義」だと考えています。
行政側の認識も揃えていくため、各支所地域協働係が集合する機会を年数回持ち、情報・意見交換を行っています。