毎月さまざまなテーマで地域づくりについて考えていくコラムです。
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第68話(idea 2024年11月号掲載)
本当に‘守らなければいけないこと’は何か?
「多様性」という言葉を使って都合よく自分の権利を主張する人がいて、「使い方が違うのでは?」と気になることもしばしば。多様性と謳ってしまえば何でも許されるようなきらいがありますが、社会で「多様性」という言葉が採用された‘そもそもの背景’があるはずです。それを知らずに言葉だけを切り取って、自分にとって都合よく使い始めているのではないでしょうか?
多様性の尊重とは、‘異なる文化、信仰、人種、性別、性的指向、年齢、身体的能力、経済的背景など、人々が持つさまざまな側面を認識し、尊重すること’です。この‘多様性の尊重’が社会や組織においてアイディアや革新をもたらすため、大事な考え方とされています。
協働に似ていて、我々がよく使う表現をすると‘強みの掛け算’でしょうか。異なる人を受け止めることは含まれていますが、個人の権利を主張するための考え方ではありませんね。
では、地域づくり分野、地域での暮らしに寄り添って考えてみましょう。総務省では、地域における多文化共生を「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと※」と定義しています。
「好き・嫌い」「価値観」など個人によって相違があるのは当然のことであり、それを多様性という一言で片づけるのではなく、‘地域社会の構成員として一緒にいろいろな考え方を共有しながら、困ったことがあったら助け合うこと’が前提になっているようです。やはり、個人の権利を主張するための考え方ではありませんね。
※ 総務省「多文化共生の推進に関する研究会報告書~地域における多文化共生の推進に向けて~(平成18年3月)」より
このような事例は、多様性だけではなく、今でも話題になる「個人情報保護法」も同じことが言えるのではないかと感じます。「個人情報保護法」ができてからというもの、「名前を教えるのも個人情報なので」と言われることが多くなり、地域では住民把握に困ってコミュニケーションの希薄化を加速させました。
同法は、インターネットの普及により個人の利益侵害の危険性が高まったことにより整備され、‘個人情報の悪用から守るためという背景’があり、地域住民とのコミュニケーションを避けるための法律ではありません。
「コミュニケーションを取りたくないから」という理由から、「個人情報」という言葉を切り取って権利を主張するのは、どこかおかしい気がします。拒否する人からすると、悪用されるかもしれないという恐怖心があるのかもしれませんが、今は「使用目的」や「目的外使用の禁止」は、自治会レベルでも留意しています。
‘法律や制度を盾にすれば自分にとって都合が悪いことは回避できる’と捉えている人がいるかもしれませんが、それは間違いです。
普段の生活が平穏に送れるのであれば、地域との関わりを遮断しても困ることはないのでしょう。しかし、有事の際に「助けてほしい」と思っても、関係が構築されていないようでは助けられません。困った時に支え合うため、自分や家族を守るためにも、住民同士のコミュニケーションは大事なのです。
このことを知ってもらうため、「住民意識の向上を目的とした市民講座を開催しよう」となるのが一般的ですが、市民講座では参加する人が限られてしまいます。先にすべきことは、個人情報保護法や多様性などの言葉の壁に直面している自治会役員や地域協働体(RMO)役員など、‘現場の人たちへ向けて研修や講話を行い理解を促すこと’ではないでしょうか。
特に輪番制が主になってきている役員では、「『知識や経験がないから』と役を受けることに抵抗がある人もいる」と聞きますし、あるワークショップにて「役員は、業務内容よりも、住民との向き合い方のフォローアップの方が優先順位が高い」という声も聞きました。
役員クラスが言葉の正しい意味を理解し、例えば住民から「個人情報ですから教えられません」と言われても、正しく対応できる状態をつくることが、役員の負担軽減の一助となるはずです。
中野民区(一関市山目)の見守り事業では、個人宅が分からない民生委員が、区長と班長に同行してもらいながら訪問していました。
地域の安全のために地区内の高齢者宅を訪問し、地道にコミュニケーションを築いている地域も多いようです。