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(idea 2020年5月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
平成11年発足(初代会長:故・菅原平)。砂鉄採掘の跡ででこぼこした形状の内野地区の山々を地元住民は「ホッパ山」と総称していたことから、ホッパの会と命名。
〒029-0202 一関市大東町大原字萱160-13(砂鉄川たたら製鉄学習館)
TEL: 0191-77-2416(事務局 勝部欣一)
H P: http://tatara.news.coocan.jp/
写真:大原小学校6年生による第10回たたら製鉄での記念撮影(令和元年9月4日)。
大東町内には江戸時代から明治初期にかけて「たたら製鉄」が行われた烔屋遺跡が多数確認されており、砂鉄川源流部の内野地区は18世紀前半以降仙台藩最大の砂鉄採取地としての歴史があります。
舞草刀研究会員であった地元刀匠の故・菅原平さんは、地元で鍛冶屋を営む傍ら、自ら砂鉄川から砂鉄を採取し、たたら製鉄による和鉄(玉鋼)で舞草刀の復元に取り組んでいました。
その活動拠点である菅原さんの鍛冶場を見学したことがきっかけでたたら製鉄に感心を持ったのが当時の内野小学校。砂鉄川の砂鉄を利用した鉄づくりの体験を通して地域の歴史を学んでもらう「ふるさと学習『郷土の歴史~鉄の文化を知ろう~たたら製鉄』」として取り組むことに。地域住民の関心も高まっていたことから、平成11年、その学習を支援し、本格的な「たたら製鉄」を復元することを目的として、地元有志10名で設立したのが「ホッパの会」でした。
同会の結成により、旧内野小学校の子どもたちは本格的なたたら製鉄の工程を学ぶこととなります。
平成12年からは学校が「総合的な学習の時間」の一環に位置づけ、同会指導のもと、鉄塊になるまでの4過程「砂鉄採取・炭焼き・溶鉱炉の築造・たたら製鉄」を体験。全工程手作業で行うことや、原材料が全て地域内で採取できることから「鉄作りは手がかかり、昔の人は苦労したんだ」「内野の山は宝の山だね」と当時の小学生から感想が寄せられたのだとか。
「第1回目に体験した児童らは現在30歳を過ぎたあたり。地元を離れてしまった若者もいますが、当時の体験を思い出し、故郷を誇りに思ってもらえると嬉しいですね」と、当時の子どもたちの感想を思い出しながら三代目会長の勝部昌平さんは語ります。
平成16年にはホッパの会や当時の諸関係団体、地元出身者が経営する土木・建築業者などが協力し、製鉄体験や製鉄農具展示の場として「砂鉄川たたら製鉄学習館」を建設。また、たたら製鉄の本場島根県での研修や「全国たたらサミット」への参加、日本大学生物資源科学部 河野教授を招いての講演会など、会としても精力的に活動の輪を広げていきました。
学習の拠点ができたことにより、地域の製鉄に関する歴史を学ぶ機会が増え、会員数も平成21年には60名に。
また、下内野自治会(大東町大原)が開催する「石磨き大会」に毎年参加している日本大学生物環境工学科の学生たちも、平成18年以降はたたら製鉄研修を取り入れ、現在は大原小学校の溶鉱炉作り(後述)にも協力をもらうなど、交流と協力の輪が広がっています。勝部会長は「高齢化が進む内野地区では、毎年学生が来ることを楽しみに元気をもらっている」と笑顔を見せます
平成21年度をもって内野小学校は閉校となりましたが、平成22年度からは大原小学校5年生へと引き継がれた「たたら製鉄」の学習。事務局長の勝部欣一さんは「内野小では全工程に児童が参加しましたが、大原小では難しいということで検討を重ね、ホッパの会が全面的支援(粘土採取、レンガ造り、溶鉱炉造りなど)するという形で学習を継続することができました」と当時を振り返り、「大原地域のたくさんの子どもたちに継承されていくことを大変誇りに思います」と続けます。
平成25年からは、たたら製鉄学習の実施学年を6年生に移行、平成30年からは奥州市の及源鋳造さんのご協力のもと、たたら製鉄でできた「ケラ」を材料に、児童の卒業記念として校章をあしらった鋳造製品(文鎮)を製作することとなりました。「これまでは、砂鉄川から砂鉄を採取し、ケラを造るまでの体験学習でしたが、このように企業さんのご協力を得て、製作物として記念に残るような形になったことは大変喜ばしい」と勝部会長。
平成30年度にはこれまでの活動をまとめた「たたら製鉄20周年記念誌」を発刊。さらに令和元年にはこれまでの長年の取り組みが評価され「第29回一関文化賞(地域文化部門)」を、令和2年には「岩手日日文化賞(学術研究部門)」を受賞した同会。「全盛期60名だった会員も高齢化で半分の30名。今後は地元の若い方々にも興味を持ってもらうこと、いわば支援する側の継承が課題ですかね。第1回目に体験した児童が活動に関わってくれる年頃になってきたので、そこに期待したい」と今後への抱負と期待を語ってくださいました。
かつべしょうへい
勝部昌平さん
同会設立の発起人で、下内野自治会として日本大学との交流を始めた当時の自治会長でもある。平成27年より3代目会長に。
A.鉄づくりは全ての基である
かつべきんいち
勝部欣一さん
平成17年に入会し、事務局長に。ホームページでの発信に力を入れ、様々な分野の人々とのつながり作りや20周年記念誌の発刊にも尽力。
A.たたら製鉄の復元と伝承
地域の鉄文化をまとめた資料や製鉄が仕上がるまでの工程をまとめた掲示物もあり、その歴史を学ぶことができます。
1400度位と高温のたたら炉に砂鉄と木炭を交互に入れていくと、砂鉄30㎏から約10㎏前後のケラ(鉄塊)ができる。
本来はたたら炉を解体して鉄を取り出しますが、館内には見本として残してある溶鉱炉が。溶鉱炉の材料も近場で調達。
出来上がったケラを鋳物に加工。写真は昨年の6年生による卒業記念。デザインは校章をモチーフに児童が考案しました。