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(idea 平成26年12月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
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63年間の歴史に幕を閉じ、2013年に閉校した達古袋小学校。今もバスが通らない田舎で、昔ながらの里山の風景の中に佇む校舎は、木造平屋建てで横幅が119mもあり、広い校庭からは青空と森林を背景に校舎の端から端までを一望することができます。今回はこの校舎を守り、歴史や魅力を伝え発信するNPO法人一関のなかなか遺産を考える会の阿部眞昭さんと阿部えみ子さんにお話を伺いました。
活動を始めるきっかけになったのは2009年一関市内にある5つの木造校舎の耐震診断とのこと。その際、阪神淡路大震災後に耐震診断を世に広めた東京大学の坂本功名誉教授と腰原幹雄准教授(現在は教授)に耐震診断の指導を依頼。来関したお二人が、達古袋小学校を一目見て「美しい学校だ」と言った言葉が全ての始まりでした。当時は廃校前に校舎の半分の取り壊しが決まっている状態だったため、「今のままの校舎を残したい」という想いで活動を開始。市から一年間の猶予期間をもらい、校舎を活用した講座や講演会、住民との懇談会を繰り返した結果、119mの校舎がそのまま残ることになりました。
「達古袋小学校で朝顔の種を植え育てる“明後日あさがおプロジェクト”の活動では、地域の子どもからご年配の方までが参加してくれたし、住民懇談会では『自分達の親が苦労して造った学校だから、本当は残したいんだ』という言葉を地域の方からいただきました」とえみ子さんは振り返ります。
達古袋小学校の校舎は、地域の人達が我が子のために、土地や必要な資材・労力を提供して造りあげたという歴史があります。
「かつて、地域住民が一丸となって造り上げた建物であり、ここでたくさんの生徒が学び、思い出がつまった場所です。しかし、時が経つにつれ気持ちが薄らいできます。建物が残っていれば、その想いを後世に伝える役割を担うことができます」とえみ子さん。
団体名でもある「なかなか遺産」とは、どこにもない特異性をもち、国の重要文化財や世界遺産には認定されないものの、地域や人々に多様な恩恵をもたらすことから「なかなかだなぁ」と見る人を唸らせる共有の財産のことです。今年8月には、達古袋小学校の歴史的・景観的価値が認められ、国際なかなか遺産委員会より世界第一号となるなかなか遺産に認定。達古袋小学校のニュースは全国紙の新聞にも掲載され、遠方からも見学に来る等の広がりを見せています。
達古袋小学校に限らず、市内には地域の歴史を伝える歴史ある建築物が多くあります。しかし、予算や利便性の問題等から古い建物は壊されてしまっているのも事実。同団体では、達古袋小学校以外にも、市内のなかなか遺産を発掘し残すために、建築物の保存や景観に関する勉強を行いながら、地域の建物の魅力を全国に広めていきたいと今後の抱負を語りました。