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復興支援で陸前高田市にも(平成23年12月)
(idea 2024年7月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
米の消費拡大とともに、古くから家々の祝い事で行われていた餅つきを再現し、集落の賑わいにも繋げていこうと、東山郷農家組合(渋民9区エリア)の下部組織として平成14年に結成。集落の絆とともに、古き良き時代の「文化」を次世代に継承中。
住所:一関市大東町渋民字伊勢堂22
TEL:0191-75-4049
平成6年、大東町渋民の渋民9区は「東山郷自治会」を発足。翌年、自治会名と同じ「東山郷」を用いて「東山郷農家組合」を立ち上げました。
初代組合長(芦正太郎氏)らは、平成10年頃から米の消費の落ち込みや米価格の低下など、農業課題に対し懇談を重ね、「昔のような賑わいのある集落を」と模索していました。
その中で着目したのがすでにほとんど出番がなくなった「臼」と「杵」。自身らの少年期に親世代がついたできたての餅の味を思い出し、使用頻度が極端に減った臼と杵の活用や懐かしい餅つき唄も再現しようと、組合長を含めた有志3人が「餅つきの復活」に向けて動き出したのです。
「昔は、どこの家でも祝い事となれば臼と杵を使って餅をついたものだ」と語るのは、有志の一人で、昭和11年生まれの小崎福雄さんです。昭和50年代になると、簡単に餅ができあがる家庭用の餅つき機械が主流となりましたが、機械は「蒸かしたもち米を練る」のに対し、臼と杵は「もち米をつくことで仕上がる」ため「味(食感)が全く違う」のだとか。
「あの懐かしい味」を後世にも伝えたい……その想いは共感を呼び、組合員の家庭に眠る臼や杵を譲り受けることに。また、少年期に聞いた餅つき唄の記憶に近い音源(カセットテープ)を奇跡的に入手することに成功。当時の環境が整ったことで、平成14年、初代組合長を中心として、「東山郷福餅つき隊(以下、福餅つき隊)」を結成しました。
※「芦東山先生」の生誕集落であることが由来
「ソレツキ ヤレツキ めでたい めでたい」和太鼓のリズムを加えた餅つき唄に合わせ、男衆が杵で餅をつき、タイミングをあわせて高々と餅を持ち上げ、空気を含ませます。手水を注しながら餅を返し、その出来具合を確認する「手合わせ」も慣れた手つきです。
20分ほどつくと、出来立ての真っ白な餅が女性陣の手に渡り、親指と人差し指の付け根で一口大にカット。熱々の餅は、数種の餅ダレの中へ……。時間との勝負だと言わんばかりの手際のいい作業が続きます。
「女性陣の動きは見事なもんだ」と絶賛するのは、東山郷農家組合長で福餅つき隊3代目隊長の芦廣幸さんです。発足当初から、農家組合長が福餅つき隊の隊長を担っていたことから、今でも慣例的に兼務にしています。
「福餅つき隊員は農家組合員(44世帯)ですが、地域等のイベント出演がある際には、集落全体(自治会)に声を掛け、スタッフとして動ける体制としており、自治会や農家組合と連携を図りながら、協力的な関係性を築いている」と、芦さんは笑顔で語ります。
福餅つき隊を発足して最初の継承事業は、「餅つき唄の研修会」でした。隊員20人ほどが集まり、奇跡的に入手したカセットテープを聞きながら、民謡の唄い手だった地元の方から指導を受け、その成果として、隊員らの声で録音。以後、「東山郷夏祭り(同自治会主催)」や「渋民地区文化祭(同実行委員会主催)」など、集落や地域・町のイベントで餅つきを行う際には、隊員らの声で録音した「餅つき唄」を「東山郷福餅つき隊の唄」として使用し続けています。
初代自治会長で、現在は区長の及川紀夫さんは、「集落の課題を吸い上げ、『地域を盛り上げよう』という初代農家組合長の熱い思いが、現在まで受け継がれている。自治会や家庭での餅つき行事はあるかもしれないが、町内を見ても餅つき団体はないようなので、発足以降、企業や商店街、学校など地域内外から声をかけて頂き、たくさんの笑顔に出会えた」と語ります。
隊長の芦さんも「ここ数年は、コロナ禍で餅つきの機会もなく、継承活動が難しく感じていたところだったが、今年2月に大原小学校からの依頼で久しぶりに隊員に声をかけたところ、とても協力的だった。さらに、子どもたちや保護者らの笑顔を見て、改めて餅つき隊の意義を感じた」と続け、「代替わりを図りながら、地域の特徴ある活動として今後も継承していきたい」と、熱く語ります。
一度眠った臼や杵。百年以上も前から各家で使用されてきたものもあったと言います。多くの祝いの席で使用され、「ごちそう」として笑顔で食した昭和期。時を経て「東山郷福餅つき隊」は、平成から令和と時代が変わっても、息を合わせ、これからも餅を高々と振り上げます。
あし ひろゆき
芦 廣幸さん
「コロナ禍後最初の依頼は不安もありましたが、隊員らの協力で無事成功。餅つきができて良かった、という声が励みです」と、今後の継承に意欲的です。
A.先輩達からの財産
おいかわ のりお
及川 紀夫さん
「東日本大震災の被災地支援で行ったお振舞は生涯忘れません!」福餅つき隊の結束力と老若男女笑顔になれる餅つきでの出会いを大切にしています。
A.子どもたちはもちが大好きと言います。なぜかうれしいです。
結成時にTシャツとエプロンを揃え、揃いの法被(自治会所有)も餅つきには欠かせません。背中には「東山郷」が光ります。
男衆が餅をつくタイミングに合わせ、手水を注しながら、餅の出来具合を確認。手水の塩梅が餅の仕上がりを左右します。
コロナ禍を経て、久々の餅つきは、令和6年2月一関市大原小学校のPTA事業でした。高々と振り上げた餅に、歓喜が!
餅タレや餅をついた後の一連の流れは、集落の女性陣の間で受け継がれ、当初の主力世代から、次の世代にバトンタッチ!