※お願い※
記事内の写真や資料は、当情報誌での使用について許可をいただいて掲載しております。
無断での転載などの二次利用はご遠慮ください。
会長 細川昇さん
(idea 平成31年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
◆会長: 細川 昇さん
◆住所:〒029-0301 一関市東山町田河津字竹沢316
◆電話:0191-47-3895
東山町田河津に「菅公夫人の墓」と呼ばれる史跡を守っている、竹沢集落を中心とした保存会があります。
菅原道真公(菅公)は学問の神様として有名ですが、その奥様が「菅公夫人」です。右大臣だった菅公が謀略により大宰府に左遷された際、夫人は従臣を伴い、3人の子と胆沢郡へ落ち延びました。菅公は左遷後3年で亡くなり、それを伝え聞いた夫人も悲しみから病が高じ、菅公の死後3年、906年(延喜6年)に死去。夫人の墓は胆沢にほど近い山里の竹沢に置かれ、従臣菅原氏の子孫らに守られてきたといわれます。
時は移り平成3年。この年、竹沢集落振興会(自治会)の会長に就任した細川昇さんは、夫人の墓のお世話を高齢の地主別当、菅原さん(故人)が一手に行っている姿に、「大変そうだし地域で何とか支援できないものか」と考え、竹沢集落全体で菅公夫人の墓の維持管理を支援する保存会の設立を提案。かくして竹沢集落全戸が加入する形での保存会が結成され、ふるさと創生事業基金などを活用し環境整備も実施しました。
数年後、大きな転機が訪れます。とあるご縁により、菅公の霊を祀る太宰府天満宮の第39代宮司が菅公夫人の墓の存在を知ったことから、平成6年に大宰府から門外不出の梅の木3本(「東風吹かば~」の句に代表されるように菅公は梅を愛したことでも知られる)を菅公夫人の墓前に自ら植樹されました。同年鎌倉荏柄(えがら)天満社、平成9年に京都北野天満宮と、日本を代表する三天神から梅の木を贈られた意義は大きく、平成7年に菅公夫人の墓が史跡として当時の東山町文化財指定を受けたことと併せ、保存会を取り巻く輪は竹沢集落の枠を超え、広がりを見せていくことになります。
さらに夫人没後1100年にあたる平成17年には、大規模な整備事業と1100年祭を実施。その費用捻出にあたっては、保存会を中心に地元を駆け回りながら、田河津全戸のほか、東山全域及び近隣の企業や有力者らにも趣意書を回し、様々な方から(大宰府からも)協力を得たそうです。一番の思い出を「1100年祭に大宰府天満宮39代・40代の宮司が親子で訪れ神事を斎行されたこと」と懐かしそうに振り返る細川さん。この1100年祭にはなんと800人余りの人々が駆けつけたのだとか。
現在の主な活動としては、毎年命日である9月12日前後に神事を実施。子ども達は白装束をまとい、野菜や穀物を持ち献膳行列に参加。大人達は神事の後、直会(なおらい)で懇談を行います。また、補助金なども上手く活用しつつ、環境整備でも清掃を祝寿会(老人ク)、剪定や看板・柵の設置は実年会(50~60代)や青年会、父母の会、花壇は婦人部、と役割分担するなど、老若男女が少しずつ関われる工夫をしています。そこには会長歴が四半世紀越えで御年86歳という細川さんの「無理に事業を拡大せず負担を分担することで持続可能な活動にし、この活動を後世に伝承していけたら」という思いがあり、そのために「世代交代や活動の周知、自主的な活動参加など」という期待も持っているのです。
「梅の花よ、春風が吹いたら匂いをよこしてくれ。主人が不在でも春を忘れるな」そう詠み残した菅公。その夫人の墓を守るこの地に今年も梅が咲き、芳しい匂いを放つ季節がきます。歴史に想いを馳せに、ぜひ一度訪ねてみませんか?
神事で行われる献膳行列の様子