今回も岩手県を舞台にした作品を紹介することができました。時代は盛岡藩にさかのぼります。
◎本の帯書きから
~時代の波に翻弄されながらも、次々と襲いかかる苦境に挫けることなく、果敢に宿命と対峙しようと立ち向かった綺良。盛岡藩の草創期を舞台に、人間の愛と夢を描き切った、著者渾身の傑作時代長篇~
表紙には、振袖姿の女性が枝垂れ桜に手を伸ばしている絵が。きっと主人公の綺良なのでしょう。本の題名にも桜の花びらが装飾されています。さすが女性作家の作品らしさがうかがい知れます。
◎盛岡藩はどこにある
さて、物語の舞台は盛岡藩。城のあった場所から盛岡藩で、大名からでは南部藩。現在の盛岡市を中心としたエリアは想像できますが、どこまでの範囲だと疑問がわきます。
調べてみると、南は現在の北上市(相去が仙台藩と盛岡藩の境界らしい)あたり、北は何と現在の下北半島までと広かったようです。また、現在の秋田県鹿角市も盛岡藩に含まれています。
石高は、平野部が少ないこと、当時は冷涼な気候では稲の栽培が難しかったことで、米の生産は低く10万石と言われています。
◎南部盛岡初代藩主利直公
盛岡藩初代は南部利直公 系図を遡れば源氏にたどり着く。
二代目重直公、三代目重信公の時代を背景にこの物語は書かれています。
初代利直は盛岡のまちづくりをします。
仁王小路、新山小路などの小路のつく地域は武家屋敷。
京町、鍛治町、大工町、紺屋町などの町のつく地域は町人や職人が住む場所。
仙北組町、上田組町などの組町のつく地域は身分の低い同心(足軽)が住む場所。
街道筋には惣門を設け、番所を置いて人、物資の往来を監視。
今でも、残っている町の名前が物語の随所に出てきます。「惣門」といえば、鉈屋町の町家通りを歩いた折に、惣門のいわれを紹介する看板を見たことがあります。
◎二代藩主重直公
二代目重直は、江戸屋敷で生まれ江戸の育ちですが、初代が亡くなり盛岡に移ります。
盛岡を江戸や京に負けない文化の香り豊かな国にすることを目指し、近江、大坂、美濃の商人を受け入れ、文人、俳人、芸能人を数多く抱えた。
○方長老…対馬藩の神僧。京で学んだ茶道を盛岡で普及させた。また、上方にならって清酒の醸造方法を広めた。
○鈴木縫殿(ぬい)…甲州から盛岡に招へいされた鋳物師。砂鉄から鉄器をつくる技術を伝えた。
盛岡のまちを訪ねるとどこかしら落ち着いた感じがするのは、重直の施策の遺産かもしれません。
しかし、この物語はこの重直のもう一方の施策から展開していきます。
◎三代藩主重信公
桜木兵庫は利直の代の300石取り御側用人。その娘が主人公「綺良」。
ちなみに、1石は米2表半(150kg)で300石は750俵に相当。
綺良は、病弱で内地の盛岡より海辺の空気や潮風が体に良いのではと、宮古湊の叔母の庵「華厳院」で幼少期を過ごす。
その華厳院には見事な枝垂れ桜が ~遠目に望めば花の滝の如し、近づきて搔い潜れば花暖簾の如し~ NHK盛岡放送局の上原康樹アナの朗読が似合いそうな情景です。
この宮古湊には後の三代藩主重信(幼少名彦六郎)が住み、綺良と彦六郎は将来を誓うのだが……。
変転する綺良の人生。最後にこの桜が意外な形で現れて、終わる。
◎女性版「蝉しぐれ」
この作品を読み、藤沢周平作「蝉しぐれ」に似た感じを受けます。2つの作品では男女の立場が逆ですが、どちらも父が逆臣の汚名を着せられて生家は没落するが、逆境を跳ね除けながら成長していく。最後には、運命の下で結ばれなかった二人が在りし日のことを語り合う場面が。
映画「蝉しぐれ」のラストシーン。一青窈が歌う「かざぐるま」が程よくマッチします。
◎盛岡藩を舞台にした作品が生まれたわけ
作者の今井絵美子さんは広島県生まれで現在もそこに住んでいます。岩手県からずーと遠い広島の方がなぜ盛岡を舞台とした作品なのかと。
今井さんはあとがきにこのようなことを書いています。
~盛岡で書店の挨拶回りをして時、さわや書店フェザン店の田口さんから「盛岡には今井絵美子ファンが多い」と言われた。地元にゆかりのない自分がどうしてひいきにされるのか?と思ったとき、書店の方々が自分の作品を積極的に売り出す努力をしてくれていると思った。そして、「盛岡を舞台に今井ワールドをくり広げてみてください」との言葉に後押しされた~。
たくさんの文献をもとに盛岡藩の創生期を紹介したこの作品。岩手の歴史を知る機会にもなるかもしれません。
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