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(idea2017年11月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
センター内でアイドルグループ「乃木坂 46」の話題から、「そういえば都会の方では、○○坂って多いよね?」という流れに。それでは「わがまち一関には?」と考えてみたのですが、中山間地を有するため坂道だらけの割には、意外に坂の名前が知られていない気がします。そこで今回は通称「○○坂」と呼ばれている坂を調査することに決定。調査結果の中から旧市町村ごとにスタッフが勝手にチョイスした「○○坂」を、名称の由来となるエピソードとともに紹介します。
今回は、市内協働体アンケートや市民フェスタでの公開アンケートで寄せられた54カ所の坂の中から、地域ごとに担当者が1つ選び通称「○○坂」の場所を実際に歩き、名称の由来について聞き込みを行いました。
※坂の名称、由来などは諸説あるようですが、今回紹介するものはあくまでも当センターの独自調査によるものです。
「坂の途中に五里塚があったことから、いつしか『ごりんざか』と呼ばれるようになったのでは?
」という、400mほどの細い坂。子どもたちの声が響く通学路だった坂もスクールバスの時代で少し寂しい影が・・・。
岩手県立大東高校へ向かう坂、通称“乙女坂”。摺沢家政女学校があったから“乙女”という名がついたのでは?という説もあったが、「高校にたどり着くまでに息切れがすることと、乙女の恋心のドキドキ感をかけて乙女坂と言う」が有力説。
清田の花の駅裏から清田小学校裏へ続く坂道。国道284号線ができる前の旧気仙沼街道だった。由来は不明だが、よく日が当たる道なので“ダン”の字は“暖”ではなないかという説がある。
山道入り口(写真左)から約500m登った先にある「女殺し坂」(写真右)。ここでは昔「昔、暗がりの坂で男が愛する女を誤って殺してしまった」という悲しい民話が名称の由来とされている。
「どっこ様」と呼ばれる子宝の神様(男の神様)が近くにあることから「どっこ坂」と呼ばれるようになったのではないかとのこと。古い旧道で、現在は坂に隣接する家の人たちですら滅多に通ることはないらしい。室根山が前方に見える。
泉沢自治会集会所の道路の向かい側にある坂で、地元では「藤崎線」「二日町線」とも呼ばれている。坂(写真左)の途中には八幡神社(写真右)に続く道もあり、昔は山仕事を行う人や荷物運びの馬など多くの人々が行き交う主要道路だった。
現在は田んぼだが、かつては坂の下まで沼があり、船で荷物を運んでいた。対岸等から運ばれてきた荷物を、この坂を登って町に持って行くが、当時は険しい山道だったため、馬の背に荷物をつけて運んだ。そのためか、地名にはないが、この地区そのものが馬越と呼ばれている。
西口地区の白沢神社へ行くために急な勾配を我慢して登ったことから名づけられた。60年程前までは使われていたが、現在残っているのは入口(写真左)のみで、道は草木で隠れており(写真右)、屋号として名前が使われている。
地域の主要な生活道路などでいつしか呼ばれるようになった○○坂。その多くは新しい道路が整備されたり、道路そのものがなくなったことでその名前を知る人も少なくなりました。もしかしたら普段何気なく通る坂にも、実は何か名前がつけられているかもしれませんね。