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(idea2022年月6号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
現在では生活必需品であり、当地域においても昭和50年代後半にはほぼ一家に1台以上は普及した「電気冷蔵庫」。現代日本人にとって「冷蔵庫のないくらし」は考えられないものですが、日本の歴史においては「冷蔵庫のあるくらし」はつい最近の出来事。冷蔵庫のない時代のくらしとはどのようなものだったのか、当地域における実情を調べていく中で、現代日本人にとっては盲点とも言える事実が様々見えてきました!
※記載内容はあくまでも当センター独自調査の結果です。
■ポイントは食文化
当地域において一般家庭への電力供給が始まったのは大正初期。大正3年頃から市街地を中心に本格的な普及が始まり、農山村エリアへの普及は昭和に入ってからでした。戦争も挟み、ほぼ全戸に行き届いたのは昭和30年代。つまり、昭和30年代までは多くの家が「電気冷蔵庫のない暮らし」でした。
実は電気冷蔵庫の普及前に、全国的には「氷式冷蔵庫(左頁参照)」が普及しています。ところが、市内各所で氷式冷蔵庫に関する聞き込みをしてみても、使っていたという家庭はごくわずか。千厩や一関の街中に住んでいた商店主など、どちらかと言うと富裕層で何軒か確認できた程度でした。ちなみに、他県から嫁いだり、移住してきた中高年層に聞くと、高確率で氷式冷蔵庫の使用歴が!全国的には一時的にも氷式冷蔵庫が普及した中で、当地域では普及しなかったのは一体なぜなのか…。
調査を進めていく中で分かったのは「冷蔵が必要な食品は食べていなかった=井戸やムロで十分だった」という、そもそもの食生活・食文化が現代とは大きく異なっていた、という事実でした。
農山村エリアは特に、各家に井戸やムロがあり、冷やしておきたい食材はその中に貯蔵しておきました。また、現代のように「生肉」「生魚」などの「要冷蔵食材」を「生のまま保管する」ということはなく、入手した時点で塩漬けや味噌漬けなど、保存するための加工を加えていました(そもそも、そうした食材を食べる機会もかなり少ない)。
さらには「行商」の存在が。豆腐や納豆、牛乳など、井戸等での保管が難しい食材は、短いスパン(地域にもよりますが、農山村エリアでも2~3日に1回は来ていたらしい)で行商さんから購入することができました。大船渡線が開通すると、気仙沼の海産物などを取り扱う行商さんも出てきたため、「その日に食べるものはその日に調達する」という、「生のまま食材を長時間保管する必要のない生活」が確立されていたことが判明。
昭和30年代に入り、徐々に食生活が豊かになるにつれて、「食品の安全管理」という概念も広がっていき、食材を「冷蔵」する必要性が出てくるのです。
電気冷蔵庫普及までの道のり
旧町村で発行していた町勢要覧などからの数字を拾っていくと、当地域においては昭和30年代後半に電気冷蔵庫を購入する家庭が出始め、多くの家庭に普及したのは昭和50年頃と推測できます。
大正初期 |
電灯が入る(≒一般家庭への電力供給がスタート) ※一関は大正3年~、花泉は大正6年~、千厩・室根・大東は大正7年~ |
大正12年 |
アメリカの電気冷蔵庫が日本に初輸入される。 |
大正14年 |
千厩・西小田の「氷採集所」「貯蔵所(1万5千貫)」が飲料氷として県の認可をうける |
昭和3年 | 大船渡線開通(一関 - 折壁) |
昭和5年 |
国産の家庭用電気冷蔵庫が登場 千厩で「氷屋組合」発足=天然氷が盛んに製造された |
昭和10年 | 大船渡線全通 |
昭和20年(終戦) |
白石薬局(千厩)に木製冷蔵庫が導入される この頃まで一関三反田付近でも天然氷を製造していた |
昭和20年代後半 | 白石薬局(千厩)に業務用の電気冷蔵庫が導入される |
昭和30年 | 高度経済成長期突入。「三種の神器」が爆発的に普及 |
昭和33年 |
一関の戦後開拓地では電気と電気冷蔵庫が同時に入る ※全戸への電力供給完了はこの頃 |
昭和35年 | (有)北進冷蔵が気仙沼から千厩に進出 |
昭和38年 | 藤沢の電気冷蔵庫普及率2% |
昭和39年 | 住宅改善運動・台所改善運動が各地で進む |
昭和40年 | 大東の電気冷蔵庫普及率9.2% |
昭和46年 | 花泉の電気冷蔵庫普及率77.5% |
昭和53年 | 花泉の電気冷蔵庫普及率102.8% |
※上記の表の画像版です。クリックで拡大します。
氷と氷式冷蔵庫を深堀りしてみた
当地域において「氷式冷蔵庫」は一般普及しなかったことがわかったものの、気になってしまうのが「氷の入手方法」。氷式冷蔵庫はその名の通り、上段に入れた氷のかたまりによる冷気で下段に入れた食材を冷やします。電気式冷蔵庫すらない時代、どうやって氷を作り、保管したのでしょうか。
調査を進める中で、市内の複数箇所で「天然氷を作っていた」という場所の情報を入手!また、天然氷を作っていたとして、需要のある夏場まで本当に保管することができるのか、実際に当センタースタッフが実験してみました!
This is 氷式冷蔵庫!その構造と現在
千厩町の「せんまや街角資料館」に展示されている氷式冷蔵庫。寄贈者等の情報は明確ではないようですが、当地域で使われていたと思われるものとのこと。木製の鍵付き戸棚のようになっていますが、内側面には断熱効果が得られるようにブリキやトタンなどが貼られています。
電気式冷蔵庫の普及とともに、一般家庭からは消えてしまいましたが、食材が「乾燥しない」という利点から、現在でも高級鮨店や日本料理店では使われているのだとか!当地域でも昭和50年代頃までは使い続けていた料亭や魚屋があったそうです(一般家庭用とは大きさや棚数が異なっていたと推測)。
天然氷は何処で作られた!?
大正14年、千厩町の氷小売人・金野新造氏による「氷採集所」及び「貯蔵所」が県の認可を受けたという記事が岩手日報に残っています。この金野新造氏は「金新商店」として、千厩町の各所で天然氷を製造し、販売していたのだとか。そのうちの1か所、北ノ沢のため池跡に行ってみました!
天然氷の製造方法
岩手県千厩警察署からほど近く、現在では「マリアージュ千厩」さんの敷地付近は、かつては水田だったと推測。その南側を流れる北ノ沢川を利用して、天然氷を作っていたというのです!
北ノ沢川の後方に林がありますが、川と林の間に製氷用のため池が。そのため池には、川の流れをせき止め、ため池へと続く水路に川の水を流していたと考えられます。現在ではその水路はぼんやりと跡が確認できる程度ですが、ため池はその面影を残しており、地面はかなりぬかるんでいました。
調査にご協力いただいた東磐史学会の菅原良太さん曰く「日当たりの悪い西向きに面していて、水路と思われる形跡もある。近所の方の証言をふまえれば製氷が行われていた場所である可能性が高い」とのこと。
ちなみに、製氷を行った場所から貯蔵施設があった場所までは氷の塊を背負って運んだらしく、学生時代(昭和25~26年頃)にそのアルバイトをしていたという証言も!その方曰く「1回の運び方で3~5円貰えた。何回運べるか競って運んだ。1回毎にダンボールの券をもらい、その日の最後に券を出して稼いだ分をもらった。年2回は氷が出来た」のだとか。ロープでは滑って運べないそうで、わら縄を使ったそうです。
さらに、北上川でも天然氷ができていたことが判明!天然氷ができるかどうかのポイントは「水の流れがあるか否か」。
昔の北上川には「水制工(すいせいこう)」があり、水の流れが少ない(制御される)場所が。また、治水対策が行われる前の蛇行した川であれば、水の流れが穏やかな場所があり、舞川(一関)や門崎(川崎)などでも天然氷ができていたのだとか。流氷のような状態になり、橋が壊れることもあったようです。
※上写真は平成24年1月撮影の北上川。「シガ」と呼ばれる河氷の一種が流氷のように流れている珍しい光景(NPO法人北上川サポート協会提供)。
実験!氷の保管はどれくらい可能!?
電気式冷蔵庫が普及する前は、各地に「氷屋」が少なからず存在していたことが判明。氷式冷蔵庫の所有有無に関わらず、「自転車で氷屋に氷を買いに行った」という経験がある人は複数いて「氷はオガクズ(木材を切る時に生じる細かい木屑)をまぶしてあった」という証言も。そこで当センタースタッフが実験をしてみたところ、室温でも12時間以上カタチが残り続けるという驚きの結果が!
以下、実験の詳細です(誌面未掲載内容)。
【実験1】ため池などで本当に濁らない氷ができるのか!?
昭和30年頃までは市内の各所で「天然氷」が作られていた可能性があり、その天然氷はため池や水田、川を利用して作られていたことが分かりました。
そこで抱くのが「土や草のあるため池などで、キレイな氷ができるのか?」という疑問。
この疑問の答えを探るべく、当センタースタッフがため池に見立てた環境で氷を作ってみました。
<手順>
①タライに土と草を入れる
②1センチほど水を入れて凍らせる
③その後、約1センチずつ水を足しては凍らせるという作業を繰り返す(計6回)
<結果>
約1週間かけ、少しずつ氷を育てていった結果、土や草の影響はほとんどなく、濁りのない氷ができた。
※実際に現在でも天然氷を作っている栃木県日光市の「(有)松月氷室」でも、氷池に山の湧き水を引き入れますが、一日に約1㎝の厚さを増していくようです。毎日埃や葉っぱ、雪などを掃き、磨いてから新しい水を引き入れ、15cmほどの厚みに育ててから切り出すのだとか。
【実験2】「氷専用のこぎり」は本当に必要か!?
調査の過程で「氷専用ののこぎり(氷鋸)」が存在した(現代にも存在)ことが判明。
疑り深い当センタースタッフは「普通のノコギリでも切れるのでは?」と、実験1で作った氷を一般的な木材用ののノコギリで切ってみることに!
ところが……!
本当に切れない!!!!!
木材用の目が細かいノコギリでは、目に詰まってしまい、刃が進まないということが判明。
少し目の粗いノコギリで再挑戦するも、やはり詰まりがひどく、頻繁に詰まりを取り除きながらなんとか切ることができました。
氷用のノコギリは、刃がかなり大きく(荒い、谷が深い)、さらに天然氷用となると、柄も長いようです(氷の上に乗りながら切るので、自分が落ちないように切り口から離れた場所に立てるように)。
【実験3】冷凍庫に入れずに、氷はどれくらい溶けないのか?
天然氷の場合、冬に氷を作り、需要のある夏場まで「氷室」に保存していたということが分かりましたが、冷凍室でもない「氷室」で本当に溶けずに夏を迎えることができるのか?
やはり疑い深い当センタースタッフは、溶け方の検証をしてみました。
<手順>
①実験1で作り、実験2で切った氷(約7センチ×約7センチ)を2つずつ「常温チーム」と「氷室チーム」に分ける。
②それぞれのチームの中で、1つにはオガクズをまぶし、「オガクズをまぶした氷」と「むき出しの氷」とで溶け方の違いを観察。
③氷室チームは、氷室や氷式冷蔵庫にに近い環境として、電源を切った冷蔵庫(普段使用していない)の冷蔵室を代用。
※開始時の温度は14℃
9:50スタート
10:20
10:50
11:50
14:00
18:00
<結果>
実はこの実験、2回行っています。
1回目は「勤務時間内にはほぼ溶けず、放置して帰った結果、次の日出勤したら溶け切っていた」という、悔しい結果に終わりました。
※あまりにも溶ける気配がなかったため、電源を切った冷蔵庫にいれた「氷室チーム」も「常温チーム」に合流させてしまった。
その悔しさから、2回目の実験では定期的な観察はできないものの、退勤時(18時)にセッティングし、次の日の出勤時にどうなっているかを観察するという作戦に。
どれくらい溶けたのかを数値的にも観察すべく、実験前後の重さも計測しました。
その結果…(2回目の実験)
◆常温チーム
→開始前の重さ
「オガクズをまぶした氷」=264g
「むき出しの氷」=290g
→15時間経過後
「オガクズをまぶした氷」=126g
「むき出しの氷」=ゼロ(完全に溶けた)
◆氷室チーム
→開始前の重さ
「オガクズをまぶした氷」=255g
「むき出しの氷」=286g
→15時間経過後
「オガクズをまぶした氷」=142g
「むき出しの氷」=64g
……ということで、オガクズをまぶした氷の方がむき出しの氷よりも溶けにくく、なおかつ厚みのある氷の場合、氷室のような保温効果のある環境の中にあれば溶けにくい、ということが、少し証明できました(笑)
※氷室の環境や氷の大きさ、氷の密集度などによっては「確かに溶けなさそうだ」というイメージを持つことができた、というレベルです(笑)
「天然氷は溶けにくかった」という経験談が調査の中で聞こえてきましたが、調べてみると、
一般的な家庭用冷凍庫などで作る「急速冷凍させて作った氷」はマイナス10℃から溶けるのに対し、「天然氷」が溶け始める温度はマイナス4℃!
つまり、天然氷はマイナス5℃以下であれば溶けないのに対し、急速冷凍の氷をキープするためにはマイナス11℃以下の環境が必要であるということ。
電気の入っていない冷蔵庫を氷室に見立てて氷を入れた時、約1時間後には庫内がマイナス10℃になりました。
天然氷であれば確実に溶けない環境ですが、今回試作した氷は冷凍庫で作った急速冷凍のもの…。
残念ながら溶けてしまいましたが、「天然氷であれば夏まで持ったかもしれない」という確信を勝手ながら抱いてしまいました(笑)
次号では冷蔵庫がない時代の食生活・食文化を具体的にご紹介します!
〈協力〉 ※順不同
菅原良太さん(千厩在住 東磐史学会)、せんまや街角資料館、千厩本町商店街の皆様
その他、ヒアリングにご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。
<参考文献>
岩手県花泉町役場(1956/1963/1970/1972/1975/1980)『町勢要覧「はないずみ」』
花泉町史編纂委員会(1984)『花泉町史(通史)』/大東町(2005)『大東町史 下巻』
千厩町史編纂委員会(1993)『千厩町史 第三巻 近世2』
磐清水村誌編纂委員会(1957)『磐清水村誌』
東山町史編纂委員会(1978)『東山町史』
千厩町役場総務課(1968/1977)『町勢要覧「せんまや」』
千厩町役場企画商工課(1989)『1989岩手県千厩町勢要覧資料編』
岩手県藤沢町(1966)『藤沢町綜合調査』
大東町役場(1957/1958)『大東町勢要覧』
岩手県大東町(1960)『大東町町勢要覧』
岩手県大東町役場(1961/1962/1963/1964/1966)『大東町勢要覧』
岩手県大東町(1967/1968/1970)『大東町勢要覧』
岩手県大東町役場(1971)『大東町勢要覧』
大東町(1973)『町勢要覧 だいとう』
大東町役場(1975)『大東町勢要覧 町制20周年』
大東町(1977/1979/1982/1983/1984/1985)『大東町勢要覧』
大東町社会科学習資料編集委員会(1976)『わたしたちの大東』
東山町(1988)『広報 ひがしやま 縮小版 創刊号(昭和31年)~第347号(昭和63年)』
東山町役場(1978)『東山町制20周年記念町勢要覧 ひがしやま』
東山町役場(1988)『東山 町制施行30周年記念誌』
一関市役所(1978/1981/1983)『いちのせき市勢要覧』
一関市(1949/1951/1952/1953/1955/1958/1960/1961/1963/1965/1966/1967/1968/1969/1970/1972/1973)『いちのせき市勢要覧』
室根村教育研究所(1997)『わたしたちのむろね 小学校社会科副読本図書』
室根村(1982)『広報 むろね 縮刷版図書』
室根村(1975)『村政20周年の歩み』
千厩氷採取場 貯藏所認可.岩手日報.1925-03-08,p.3.
↓実際の誌面ではこのように掲載されております