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(idea2022年月10号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
田植えの時期になると、田んぼのあぜ道などで和気あいあいと休憩をとる光景を目にします。この「農作業の合間の休憩」を当地域では「たばこどき」と称し、煙草を吸う・吸わないに関係なく、大人も子どもも「たばこどきにすっぺ」の合図で休憩をとっていたようです。そして当地域に伝わる「郷土菓子」の多くは、この「たばこどき」の定番メニューとして伝承されてきた可能性が……。「たばこどき」と、当地域における「おやつ」事情を整理しました!
※記載内容はあくまでも当センター独自調査の結果です。
■「たばこにする」とは?
当地域の農家や年配者が当たり前のように使ってきた「たばこどき」や「たばこにする」という表現。標準語で表すと「一休み」や「休憩」です。決して「喫煙する」という意味ではありません。
「休憩」を「たばこ」と称するのは、当地域含む岩手県(概ね花巻以南)と宮城県、秋田県の一部。当地域では「たばこどき」「たばこにする」という使い方が多いですが、宮城県では「たばこ休み」「たばこ休憩」という用例になるようです。
興味深いのが遠く離れた山陰地方でも使われているという事実!出雲弁・鳥取弁・但馬弁・丹後弁(いずれも山陰地方)では、「たばこする」という表現が同じ意味で使われているようです。
また、鹿児島弁には「こたばこ=小煙草=小休止」として「こたばこいすいが(小休止しよう)」という方言があるとか。
いずれの表現も「たばこ=休憩・休止」という意味合いで使われていますが、特筆すべきは「作業の合間に少し手を休める」というニュアンスであり、「作業」と紐づくものということ。そしてあくまでも「小休止」であり、「まだしばらく続きそうな作業なので、一度休憩しましょう」という場面で使われる表現です。
また、「三遍回って煙草にしょ」ということわざがあり、「休憩は後回しにして、手落ちがないか、念には念を入れて確かめよ」という意味です。夜回りの人が三回見回って安全を確かめてから一服(煙草休憩)をしたことからできた表現のようですが、「煙草=休憩」という意味合いになっています。
江戸時代以降に庶民の嗜好品として流行した煙草は、休憩時の最上位の楽しみであった可能性もあり、「休憩=煙草」だったのかもしれません。嗜好品の幅が広がるとともに、喫煙以外も含めた休憩が「たばこ」になっていったのか……と推測するも、その背景や時期は分かりませんでした。
■「小昼(こびる)」とは?
同様の表現に「小昼(こびる)」があります。当地域でも使われることはありますが、「たばこどき」の方が圧倒的にメジャーです。
逆に岩手県北では「小昼」の方がメジャーであり、「こびり」「こんびり」という表現になることも。全国各地で「方言」として紹介されていますが、国語辞典にも掲載されていることから、標準語に近いようです。
なお、当地域では「農作業などの休憩時間や家庭のおやつとして食べる郷土菓子」を総称する「名詞」として使われることもあります。
「たばこどき」の今昔を探ってみた
現在でも農作業時(特に田植え)には「たばこどき」という言葉を使うという人は少なくなく、「たばこどき」という習慣そのものは現代にも残っているものの、そこで提供される食べ物には大きな変化が!
右の表は当地域の中高年層にヒアリングした結果と、各種文献資料に記載されていた「たばこどき」で提供されていた主なメニューです。
握り飯は現代まで一貫してスタンダードメニューですが、当時は「がんづき」「げんべた」や、冬に仕込んでおいた「凍み餅」などが「たばこどき」の主要メニューでした。
昭和50年以前の「たばこどき」スタンダードメニュー
米(もち含む) | 小麦 | その他 |
・小豆飯(おふかし/赤飯) →豊作祈願で初日のみ ・握り飯(塩/塩と豆/味噌) ・ぼた餅/おはぎ ・ごんぼっ葉もち(≒草餅) →ヤマボクチなどの葉を使用 ・凍み餅(≒干し餅) →じゅうね油で焼くことも ・団子 |
・がんづき(塩/味噌/黒砂糖) →重曹を使わないものもあり ・げんべた(≒なべやき) →材料や調味方法は家庭による差が大きい ・葉焼き →みょうがの葉を使用 ・麦まんじゅう ・ぎんつば |
・ふかし芋 ・干し柿 ・お煮しめ ・甘酒 ・どぶろく →特に結いで手伝ってくれている人へ ・そばねり
|
・油焼き →冷飯に小麦粉を入れてかさましし、調味後にじゅうね油で焼く |
現在は道の駅やスーパーなどに様々な「がんづき」が売られていますが(①)、当時はもちろん家庭での手作り。一般的にがんづきは重曹などを使用して膨らませますが、甘酒や味噌などを発酵させることで膨らませていた家庭もあるようです。
また、黒砂糖を使用するイメージも大きいですが、当時は塩や味噌で味付けした「しょっぱいがんづき」も多かったことが判明。②は実際に当センタースタッフが再現してみた「甘酒と味噌で発酵&調味したがんづき」。
現代で言う「ホットケーキ」に近いのが「げんべた(③)」。地域によっては「なべやき」や「べったらやき」などとも呼ばれます。要は小麦粉を水で溶き、油で焼いたものですが、家庭によっては「流し焼き」ではなく、耳たぶ状の硬さにした生地に、味噌(砂糖があれば混ぜる)などを挟んで焼く(ゆでる家も)ことも。同様のものをみょうがの葉にくるんで焼く(いろりに挿す)と「葉焼き」になり、初夏の楽しみだったそうです。
ちなみに当時使用した油は「じゅうね油」であり、昭和40年頃までは多くの家庭がじゅうねを栽培し、じゅうね油を使用していたのだとか(油絞め工場がなくなったことで衰退)。
じゅうね油で焼くものとしては他にも「凍み餅」や「油焼き(詳細は上記表参照)」などがあり、農作業時のエネルギー源として人気があったようです。
< 現代の「たばこどき」>
当センタースタッフが今年の田植え時に撮影した「たばこどき」の風景です。左の写真は豊作祈願でお供えするお煮しめと赤飯(おにぎり)で、「たばこどき」にはお供えしたものと同様のメニューをいただきました。そのほか、市販の食料も調達。全国的にも「田植え休憩」のメニューは、兼業化や農作業の機械化に伴い、田植えが少人数かつ短期集中型で行われるようになった1980年代以降はスーパー等で購入した食品が主流のようです。
「おやつ」に関するミニ知識①
ヒアリングする中で現在の60代以上から聞かれた「昔は『おやつ』なんてなかった」「しいて言えば野山で自力で調達する木の実などが『おやつ』だった」などの回想。現代のような「おやつ」という概念はなく、食事以外の食べ物(特に甘い物)を口にすることができたのは「たばこどき」のような「作業の対価」としてだったとか。働かざる者食うべからず……ということで、子どもたちも「たばこどき」を楽しみに農作業を手伝ったそうです。ちなみに、「おやつ」という言葉自体は元禄期(江戸時代)にはあったようで、その語源は「八つ時(やつどき)」。昔の時刻の呼び方で、現代の午後2時~4時にあたります。古くは1日2食でしたが、流通が盛んになったり、夜間に灯りを灯せるようになると、1日の活動時間が延び、1日3食が普及したのだとか。農家の場合、日の出とともに起床し、農作業をしてから1食目を食べ、再び作業を行い、日没後の3食目までの間食として2食目を食べているので、その2食目が「おやつ」の時間帯だったようです(身分や職業、地域によって異なる)。
なお、現代における「お菓子などを食べる『おやつ』」は、昭和30年代後半から放送が始まったテレビCM(「文明堂のカステラ」)がきっかけと言われますが、当地域で一般家庭のテレビ普及率が70%を超えるのが昭和40年以降なので、当地域で「おやつ」という概念が一般的になるのも、その頃からなのではないかと想像します。
「おやつ」に関するミニ知識②
「お菓子などを食べる『おやつ』」という概念が普及していった背景には「駄菓子」の存在も考えられます。当地域においても旧村(≒現在の大字エリア)毎に少なからず「駄菓子」を扱う店はあり(昭和30年頃)、町場エリアにはいわゆる「駄菓子屋」もあったようです。
ちなみに「駄菓子」という言葉が生まれたのも江戸時代。当時食べられていた「お菓子」には「上白糖」が使われており、高級品(当時は)でした。そのため、食べられるのは大名や武士などの身分の者だけ。この上白糖を使った高級な菓子を「上菓子」と呼んでおり、上白糖の代わりに安価な黒糖を使った菓子を「上菓子」に対して「駄菓子」と呼びました。
「駄菓子」とされるお菓子は、麦、豆、稗(ひえ)、粟(あわ)などの雑穀、屑(くず)米でつくった粉、これに水飴や黒糖などを加え、種々の形にこしらえて彩色を施したものであり、現代の「駄菓子」とはまた異なるものでした(通じるものもあります)。
全国的に見ると、「駄菓子」は、江戸期には屋台売りでしたが、明治以降は露地裏の小店で売られるようになり、これらの店ではお好み焼きやアイスキャンデーなども取り扱うなど、いわゆる「駄菓子屋」に発展していきました。大東町大原の駄菓子屋では「きなこ飴」や「きんたろう飴」のほか、美空ひばりのプロマイド写真なども売られていたとか(ヒアリング結果より)!
とは言え、やはり農村エリアでは「あけび、柿、ちゃごみ」など、「自然の恵み」が「おやつ」の主流だったようです。
「たばこどき」の定番メニュー「作ってみた」レポート
昭和50年以前の「たばこどき」でよく食べられていたという「がんづき」と「げんべた」。
家庭によって材料や調理工程は異なり、「家庭の味」がそれぞれ存在していたようです。
今回はその中から、当センタースタッフが気になった「甘酒と味噌で発酵&調味するがんづき」と、あまりアレンジを加えない「ベーシックなげんべた」を作ってみました。
1,甘酒と味噌で発酵&調味するがんづき
【材料】
・小麦粉200グラム
・甘酒100グラム(自家製)
・味噌大さじ1~1
①材料を全て混ぜます
②材料がまとまったら、発酵させるため、常温で放置します
5時間後の様子。室温の関係で発酵が進んでいないのか、あまり膨らんでいません
(この日の室温は約25度)。
発酵を促すため、生地の入ったボールの横に40~50度のお湯を入れたペットボトルを置き、それらを鍋帽子で覆った状態で一晩様子を見ることに。
翌朝の様子
→比べると約3倍くらいの大きさに‼ 生地はパン生地に近いです(少し固め)
③発酵が進み、生地が膨らんだら、生地を約15分蒸し(竹串に何もつかなければOK)、完成。
【感想】
・現在のがんづきが「ふわふわ」なのに対し、このレシピだと「もちもち」としていて、ベーグルなどに近い食感だった。
→重曹や酢などを使って膨らませるレシピと異なり、発酵に時間がかかるのと、気温によっては発酵しない可能性もあり、当時はどのようなタイミングで作っていたのか疑問が残った。
・味噌の塩っけがあり、農作業の合間に食事的に食べるのにはちょうど良い!
【ちなみに……】
当センタースタッフが普段作っているがんづきには、卵や牛乳、はちみつ、サラダ油、タンサン、酢、醤油などを使用しています。
酢以外の材料を全て混ぜ、最後に酢を加えて蒸すだけ。
タンサンや酢などのおかげでふわっと膨らみます♪
2,ベーシックなげんべた
【材料(4個分)】
・小麦粉 100グラム
・水 300ml
・黒砂糖 100グラム
・みそ 小さじ2
・くるみ 30グラム
・すりごま 10グラム
・重曹 小さじ1
・サラダ油 適量
①黒砂糖は水で溶いておく(黒砂糖のかたまりが入ってもよければ、とけたらすぐ使用してもよい)
②①にみそ、くるみ、すりごまをいれ小麦粉を少しずつ入れて混ぜる
③フライパンに油をひき②を入れて弱火~強火でホットケーキの要領で焼く
【感想】
・素朴に見えて美味しかった!
・見た目は(薄い)ホットケーキで、食感は「もちもち」しているように感じた。
・くるみとすりごまが入っているのは豪華!自分(当センタースタッフの義母)が子どもの頃は、シンプルに黒砂糖の甘味だけだった。
・今回のレシピは「もちもち」したようなげんべたが出来上がったが、当時ははもう少し「ベチャ」とした食感だった記憶がある。
<参考文献> ※順不同
東山町史編纂委員会(1978)『東山町史』/津谷川公民館(1966)『津谷川部落郷土史 民族編』
真滝村誌復刻委員会 蜂谷 艸平(2003)『復刻 真滝村誌』
編者/弥栄中学校 発行/松崎徳勝(1973)『郷土誌 弥栄の里』
岩手県千厩町磐清水公民館(1957)『磐清水村誌』/門崎村(1956)『門崎村史』
田河津公民館(1986)『社会教育・民族文化財伝承 ふるさとの伝承活動』
鈴木軍一(1990)『郷土教育資料改編 田河津村誌』
社団法人 奥玉愛林公益会 奥玉老人クラブ連合会(1988)『奥玉村誌』
黄海村村史編纂委員会(1960)『黄海村史』/岩手県農業改良普及会(2011)『食べよういわて』
一般社団法人 日本調理科学会(2018)『伝え継ぐ 日本の家庭料理 小麦・いも・豆のおやつ』
藤清光/中山美鈴(2006)『つくって食べたいふるさとおやつ』
室根村教育委員会/室根村社会科資料編集委員会(1978)『写真で考えるむろね』
室根村教育委員会/室根村社会科資料編集委員会(1982)『写真で考えるむろね』
千厩町史編纂委員会(2000)『千厩町史 第四巻 近代編』
千厩町史編纂委員会(2005)『千厩町史 第五巻 現代編』
↓実際の誌面ではこのように掲載されております