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(idea2021年6月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
「間取り」
「nLDK」という表記で表現される間取りだけで育った世代と、江戸~明治にかけての和風住宅(いわゆる書院造の建物)で育った世代とが共存する現代。前者にとって後者の使う「オカミ」「デイ」「ナンド」等々の名称は、聞いたことのない、ましてや何に使う部屋(空間)なのか検討もつかないことでしょう。かつての間取りを紐解くことで、当時の「くらし」が見えてきました。
※記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果です。
当市域にも美しい農村景観が数多く残されていますが、農民が自分の屋敷を持てるようになったのは江戸時代に入ってから。それまでは上層農民の屋敷内に住まっていましたが、農地を所有して生産者として自立(本百姓)すると、自分たちの屋敷を持つように。この本百姓の住まいが確立されていったのが17世紀末~19世紀にかけてであり、茅葺屋根の農家の住まいはこの頃に広まりました。
上層農民の住まいは、中世の地方武士の住まいの系譜を引く大規模なものでしたが、江戸幕府は「身分相応な家を」という趣旨のお触れを出していたため、様々な規制があり、百姓はもとより、肝入までもが「天井、長押は無用」とされていたのだとか。
明治20年頃から洋風建築が日本でも建てられ、大正時代には住宅改良運動が盛んになりますが、農山村では戦後まで大きな変化はなく、当市域でも昭和30年頃から台所や屋根の改造が行われるようになったようです。現在は多くの「古民家」がリフォームされ、当時の面影はうっすらと残るだけとなってしまいました。
「農村の古民家」と聞くと、「南部曲家」をイメージしがちですが、当市域の家は「直屋(すごや)作り」と呼ばれる長方形で、厩(馬屋)は主屋の横に独立しています。
間取りは全国的にも江戸時代後半から末期にかけて普及した「田の字型」。その特徴は、床の間のある「座敷」と、そこに続く部屋との間の襖を取り払うと、広い続き間になること。村の行事の寄り合いや、冠婚葬祭等を家で行っていたことが、そうした間取りが普及した背景と言えます。
田の字型含む伝統的な日本住宅の特徴にもう一つ「接客重視」の姿勢が挙げられます。床の間を備えた来客用の座敷を重視するため、家族のための部屋はなく、「家父長制」も相まって、女性や子どもの生活はあまり考慮されていませんでした。
そのため、民主主義や基本的人権の尊重が謳われた戦後には、「個室」や、一家団欒として家族が集まって過ごす「居間」の整備が推奨されました。「接客本位から家族本位へ」という標語まであったというので驚きです。
「田の字型」間取りのキホン
名称は地域性がありますが、機能としては左の4つに大別できます。
【1】玄関・作業場としての「ニワ」
いわゆる「土間」の部分。冬場や夜には筵(むしろ)を敷いて作業空間に。
【2】食事場所としての「ダイドコ」
カマドや囲炉裏を含む空間。カマドや流しは三和土(たたき)の上ですが、「カッテ」と呼ばれる板間の部分も含めて、食事(調理)機能を持つエリアが「ダイドコ」と呼ばれます。
【3】客間としての「デイ」「ザシキ」
「床の間」のある「座敷」は、客間であり、日常生活では使用しません。
2部屋あり、襖を取り払うと広い続き間になるという家も多数存在。
【4】若夫婦の寝室としての「ナンド」
物置のイメージがある「納戸」は、若夫婦の寝室であり、産室にも!
当市域の
「屋敷構え&間取り」
スタンダード
旧8市町村毎に様々な方にお話を伺い、また、実際に当時の間取りを垣間見ることができる家を拝見させていただきながら、当市域における「一般的な農家の間取り」を以下のようにまとめてみました!地域性や農家の規模、立地条件等によって異なる部分もありますが、基本パターンとしてご覧ください。
▲左から臼、大黒柱、カマ神様、カマド
ダイドコの必需品たち。煙突等があるカマドは戦後。
▲戸棚(膳棚)
「銘々膳」など、現代で言う食器類が主に収納されている。
▲神棚と座敷炉(開けると炉になっている)
オカミには仏壇や神棚のほか、炉がある家も。
▲奥から床の間、カミデイ、シモデイ
シモデイとカミデイの襖を取り除くと広い続き間に。
間取りの小ネタ
■寝室は「ナンド」→「オカミ」→「ナカマ」の順
ナンドでスタートした若夫婦が一家の大黒柱となるとオカミに部屋が移り、高齢になると日が当たり目の届きやすいナカマに移る。
■囲炉裏(イロリ)の座り順には暗黙のルールが!
土間から最も遠い奥の場所が家長の座る「横座」、その右隣が家事をする女性が座る「嬶座(かかざ)(母座)」、その対面が「客座」等々……。
■間取りを設計するのは「家相師」の仕事
「家相師」と呼ばれる仕事があり、家の立地や間取りのほか、「建前」など関連儀式の日程も決めてもらうのだとか。
■地域性だけじゃない!家柄によって部屋の呼び方が異なる
「座敷」を「デイ」と呼ぶ傾向は東磐井郡で強いが、東磐井郡の中でも、庄屋や武家由来のある家では「座敷」と呼ぶなど、家柄に左右
される面もある。「ナカマ」も同様に、家柄によっては「小座敷」と呼ぶ(「床の間」があったかは不明)。
誌面では割愛させていただいた、今回の調査に係る情報です。
なお、市内各地で様々な方にヒアリング協力もいただきました!
この場を借りてありがとうございました。
<市内・見に行ける古民家>
鈴木家 (〒021-0101 岩手県一関市厳美町沖野々116−6)
村上家 (〒029-0802 岩手県一関市千厩町小梨不動)
千葉胤秀旧家 (〒029-3103 岩手県一関市花泉町老松佐野屋敷)
<参考文献>
家具道具室内史学会(2019)『ビジュアル日本の住まいの歴史④近現代(明治時代~現代)』
家具道具室内史学会(2020)『ビジュアル日本の住まいの歴史③近世(安土桃山時代~江戸時代)』
室根村教育委員会(1985)『室根村文化財調査報告第四集 室根の古民家』
調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました!
↓実際の誌面ではこのように掲載されております