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(idea2024年9月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

くらし調査 ファイル№26 「ママさんパパさんバレー①」

 昭和40年前後から当市においても旧町村や地区単位で取り組まれてきたバレーボール。旧千厩町では昭和35年に「千厩町バレーボール協会」が発足し、旧室根村では昭和40年に「第1回家庭バレーボール競技大会」が開催されています。中でも旧大東町においては、昭和42年に「大東町家庭バレーボール規則」が定められて以降、県内屈指の「バレーボールの町」となっていきます。その背景や歴史を辿りながら「大東町のバレーボール文化」を紐解きます。

 

     (記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果です。)

 大東町とバレーボール

  当市大東町が誇る文化「大東町ママさん・パパさんバレーボール大会」。その起こりについて、『大東町家庭バレーボール50回大会記念誌』には「昭和40年代当初、公民館の婦人学級に参加する人たちの中に、農作業からくる腰痛や肩こりなどの農婦症を訴える人が多かった。その対策として登場したのが家庭バレーボールです」と記載されています。現在では地域振興事業のような位置づけですが、当初は「農夫(婦)症対策」が目的だったのです。 

 

 大東町の中での先駆けは興田地区でした。当時は公民館主催の「婦人学級」が頻繁に開催されており、農村女性の抱える課題に向き合う中で「農夫症」に関する話題も。そこから、当時人気上昇中のスポーツであり、農夫症予防・解消にもつながると話題になっていたバレーボールに取り組んでみようという機運が。 

 

 また、大東町では、農業に携わる人の農夫症予防対策と、集落のコミュニティ醸成の一環として「スポーツ」を推奨すべく、昭和32年、計7名の「体育指導員」を委嘱します。農作業の合間にバレーボールを用いて全身運動をする農家婦人が増え始めた昭和40年前後、体育指導員らは「家庭バレーボール」導入の先進地に視察研修へ。興田地区担当の体育指導員がバレーボール経験者だったこともあり、婦人会と協力しながら、競技としての「家庭バレーボール」を普及していこうという運びに。こうして興田地区を筆頭に、大東町のバレーボール文化が築かれていくのです。

「農夫症」とは

 「農夫症」は、農業に従事する婦人に症状が現れることから、当初は「農婦病」とされており、農業労働力の不足から農婦が過重労働となり、血清蛋白の低下をはじめ様々な異常等が原因となり、肩こり、後頭部の圧迫感、胃部や四肢の疼痛や貧血症状が現れることを言います。

 

 昭和27年の第1回農村医学会で、「農婦だけでなく、男性や若者にも同様の症状がみられることと、疾病というより『症候群』とみなすべきである」ことなどを理由に、「農婦病」に代えて「農夫症」という呼称が提されました。現代でも、医学用語としては「農夫症」と呼ばれ、農家や農作業に従事する中年以降の男女に多く見られる「肩こり、腰痛、手足のしびれ、夜尿、息切れなど」の症候群とされています。 

 

 ではなぜ農夫症にバレーボールが有効とされるのでしょうか。その確かな医学的根拠は見つけられませんでしたが、大東町では「腰を伸ばしたり、肩を動かすことなどが多いスポーツであり、庭先でもできることから、農夫症などの予防に役立つ」としています※1。労働省(現・厚生労働省)婦人少年局が昭和41年に発行した報告書※2では、農家婦人の「過労防止対策」を紹介する中で、その他の項目に「バレーボール等スポーツの導入」という事例記載があり、昭和54年発行の文献※3には、「かがみ姿勢の多い農村の人々に対する指導として、バレーボール運動を取り上げる地域が多い」という記述が。昭和40年代以降、農夫症対策としてバレーボールを取り入れた農村部が複数あったことが伺えます。 

 

※1 岩手県町村会(1981)『まちづくりむらづくり-事例集-』 

※2 労働省婦人少年局(1966)『婦人関係参考資料第72号 最近の農村婦人の実情と問題点 昭和40年農村婦人問題連絡協議会から』 

※3 松田克治(1979)『近代化農業に要請される体力とその対策』

 

◆「東洋の魔女」が影響か……⁉

 昭和36年、全日本女子バレーが欧州遠征で24連勝し「東洋の魔女」と称されます。3年後の東京オリンピックでは、ソビエト連邦(現ロシア連邦)チームを破り、日本が金メダルを獲得!一躍人気スポーツとなったバレーボールは、国民スポーツとして浸透し、各地で「ママさんバレー」の講習会、試合等が開かれるように。そうした全国的なバレーボール熱により、昭和45年には「第1回全国家庭婦人バレーボール大会」が開催されたのです。

 

 当時、戦後の困窮した生活を再建させる担い手として積極的な活動を期待されてきた各地の「婦人会」とって、女子バレー選手の活躍は、大きな刺激・話題となり、「農夫症」を切り口に、バレーボールに取り組む機運・チャンスにつなげていったのかもしれません。

大東町ママさん・パパさんバレーボール大会

歴史を深堀りしてみた①

 全国的な動きも背景に、興田地区から大東全域に広がった「家庭バレーボール」。

 

 その歴史に携わった方々に当時の話を聞かせていただきながら、バレーボールが「文化」となっていく過程を深堀り(今月号では昭和時代、次号で平成以降)しました!

家庭バレーボール 講習会の様子(昭和42年)

▲講習会の様子。割烹着姿の女性も(昭和42年)


和暦 できごと 補足

昭和

30年

 2町3村が合併し、「大東町」誕生。旧町村毎に「地区体育協会」も発足  

昭和

31年

「大東町体育協会連合会」発足

翌年、大東町が体育指導員を計7名委嘱

 高度経済成長期となり、男性が都市部に出稼ぎに。女性が家を任され、農業に従事することが増えたため、農夫症問題が顕在化する。

昭和

39年

・東京オリンピックで日本女子がバレーボール金メダル獲得。全国的なバレーボールブーム到来。

・(ブームを受け?)農夫症を訴える人に対し、農作業の合間に気軽にできるバレーボール(全身運動)が推奨される

 当時のスポーツは、野球等、男性中心。女性がスポーツや運動をする機会は年1回の地区民運動会くらい。そのため「農夫症解消という大義名分の元に、婦人会でも積極的に取り組んだ」という背景も。

昭和

41年

興田体育協会主催「第1回家庭バレーボール大会」が開催される(会場:興田公民館の庭)

  昭和41年に町スポーツ振興審議会において、町教育委員会の諮問(スポーツ人口の増大、青少年の体育スポーツの振興)に対し、5つの答申がまとまり、その中の一つに「家庭バレーボールの普及」が。これを受け、各地区の公民館等が講習会等を積極的に行った。

 9人制と6人制をミックスした8人制(前衛・後衛4人ずつ)年代別に出場枠を設け、多くの年代の参加を促進。これまでに4回ルールを改正し、集落の審判員養成のための審判講習会も開催

昭和

42年

体育指導員らが中心となり「大東町家庭バレーボール競技規則」が定められる

昭和

43年

大東町体育協会連合会主催「第1回大東町婦人バレーボール大会」開催(会場は地区持ち回り)    

昭和

44年

「家庭バレーボール」を普及させるため、大会の様子を8ミリビデオで撮影し、集落で鑑賞した(姑さんに理解してもらう狙いもあった)

昭和

48年

・「大東町婦人バレーボール大会」の名称を「大東町ママさんバレーボール大会」に変更

「第1回大東町パパさんバレーボール大会」開催

昭和

50年

参加チーム増大により、大東中学校校庭大東グランド(現大東野球場)に会場を固定

昭和

51年

「大東町ママさん・パパさんバレーボール大会」の参加チームが100チームを超える  チーム力強化や、大会出場者を選抜するため、地区や自治会、班対抗などでメンバー選抜試合が行われることも(ページ下部写真②参照)。

平成

元年

大東町のバレーボールに関する取組が「朝日体育賞(朝日新聞社)」受賞  バレーボールを中心としたスポーツ活動で、住民の健康づくり、地域の活性化に貢献したことが評価され、「大東町体育協会(当時の会長:金康弘氏)」が受賞。

朝日体育賞(朝日新聞社) 受賞式の様子▶

朝日体育賞 大東町体育協会 受賞式の様子

 昭和30年代、当時の文部省は「体力づくりを進めていきましょう」という動きをしており(昭和33年に文部省に体育局が復活したため)、社会教育や社会体育を担う公民館にも働きかけがありました。

 そこで、興田公民館の館長だった金野冨夫さんが先進事例などを元にブームとなっていたバレーをすぐに取り入れたんです。

 興田地区の体育指導員・佐藤守正さんが高校時代にバレーをしていたことも幸いし、興田での普及が進みました。教育委員会の千葉浩朗さんも立役者の一人。興田で「第1回家庭バレーボール大会」を開催するにあたっては、ルールなどの説明をする講習会練習会も開催されましたね。体育指導員が指導等を行ったはずです。

 

興田地区体育協会 事務局OB 小山耕一さん

興田地区体育協会 事務局OB

小山耕一さん

(昭和43年から昭和49年まで)


大東バレーボール協会事務局OB 小崎龍一さん

大東バレーボール協会 事務局OB

小崎龍一さん

(平成5年から令和3年まで)

 きっかけは「農夫症対策」でしたが、しだいに大東町のバレーは「人と人、集落と集落をつなぐ1つのツール」となり、「地域(集落)づくりの1つのエンジン」となりました。それは昭和から平成にかけての「大東町のまちづくり」の「大きな柱」でした。

 また、ママさんバレーの日はパパが子守をする日。両親が楽しむ様子を子どもに見せる機会でもあったので、当初はパパさんとママさんを別日開催にしていました。

 大東町のバレーは、強さよりも地域のコミュニケーション健康維持を目的にしていましたが、ママさん・パパさんバレーボールより高みを望んだ人はクラブチームに入って活動していました。多いときで大東町内に4チームありました。

 


 

実際に参加していた‘当時のママさん・パパさん’たちの体験談

一関市大東町摺沢「ことぶきカフェ」のみなさん
摺沢「ことぶきカフェ」のみなさん(60~90代)

 ・嫁いできて初めて出場したのは第3回大会。私の集落は強いと有名だったので、開会式ではユニフォームを隠し、試合開始直前に上着を脱ぐことで、相手に対策を立てられないようにしていた。(80代女性) 

・隣町から大東に嫁ぎ、学生時代バレー部だったので「おらいのお母さんはバレー部で」が、姑の口癖。バレーの練習には「茶碗洗っておくから早くいがいん」と言われた。(60代女性)

・姑もバレーをしていて、手ぬぐいをほっかぶりして練習していた。2世代でバレーをしている世帯も結構いた。(70代女性)

・単身赴任をしていたが、大会3日前くらいには地元に帰り夜間練習に参加。いつかは地元に帰ると決めていたので、そのための交流にもつながっていた。(70代男性) 

 

・年齢でチームを見ていると痛い目を見る。腰を曲げていても上手い人がいた。(80代男性)

試合後 反省会の様子
❶試合後の反省会は特にママさんにとっては何よりの楽しみ       (昭和48年/渋民地区)
子どもをおんぶしたまま臨む表彰式
❸ 子どもをおんぶしたまま臨む表彰式(昭和62年)
「大原山口地区班対抗バレーボール大会(休耕田牧草地にて)」の様子
❷ 「大原山口地区班対抗バレーボール大会(休耕田牧草地にて)」の様子 (昭和58年)

 

次号では平成以降の歴史をご紹介します!

 

<参考文献・論文(Webサイト)> ※順不同

東磐井郡釘子尋常高等小学校(1940)『岩手県東磐井郡矢越村郷土教育資料』
浜横沢小学校(1940)『浜横沢郷土教育資料』
折壁尋常高等小学校(1940)『東磐井郡折壁村郷土教育資料』
労働省婦人少年局(1966)『最近の農村婦人の実情と問題点 昭和40年農村婦人問題連絡協議会から』
藤井敬三(札幌病院長)(1967)『農村医学14 巻1号 シンポジウムⅠ. 農夫症について』
大淵重敬/野田喜代一/田谷利光/和田野三郎/石川明朗/野寺修(1978)『シンポジウム第3席 日本農村医学会雑誌 第5巻第2号「いわゆる農夫症について」』
松田克治(1979)『近代化農業に要請される体力とその対策』
内田昭夫(千葉大学医学部教授)(1983)『日農医誌33巻4号 昭和58年度厚生科学研究費補助事業報告(総括)農村地域におけるプライマリーヘルスケアの確立に関する研究』
財団法人 笹川スポーツ財団(1999)『日本財団図書館 SPORTS FOR ALL NEWS Vol.33』
杉山章子(2002)『日本医史額雑誌 第48巻第3号  農婦医学の発展―「農夫病」をめぐって 』
池野雅文(コーエイ総合研究所)(2002)『論文 戦後日本農村における新生活運動と集落組織』
大東町(2005) 『大東町史 下巻』
浅野幸子(2008)『関東都市学会年報10号 戦後地域婦人会運動史~全国各地の女性の主体形成活動と“地婦連”の連帯力を基盤として~』
宇ノ木健太(立命館大学政策科学会)(2012)『論文 戦後日本の「近代化」と新生活運動 -新生活運動協会の取り組みを対象として-』
一関市大東支所(2018)『大東町家庭バレーボール半世紀(1968~2017) 大東町家庭バレーボール50回大会記念誌(平成29年度 いちのせき元気な地域づくり事業)』
岩本通弥(2019)『日本の生活改善運動と民俗学 -モダニゼーションと〈日常〉研究』

 

【調査協力者】

一関市大東町 小山耕一さん

一関市大東町 小崎龍一さん

 

その他、調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました! 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております。

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