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(idea2024年11月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

くらし調査 ファイル№27 「俚謡(餅つき唄)」

 その土地の風土や生活を連想させる「俚謡(里謡)」は、婚礼等で唄われる「祝い唄」や、木挽きや酒造り等で唄われる「労働唄」など、古くから庶民の間で口伝されてきました。近年はあまり耳にしない「俚謡」ですが、もち食文化が残る当市域では、餅つきをする際に「餅つき唄」を唄うため、現代でも「俚謡」が継承されています。先人がどんな思いを込めて「餅つき唄」を唄ってきたのか、その歌詞には地域性があるのか調査してみました。

     (記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果です。)

俚謡とは?

 その土地の人々の間で唄い伝えられた唄は、里謡・地唄・俚歌・俚曲など様々な形で文献等に記載されますが、正確には「俚謡」と呼ばれ、地方から人々の集まる都市部で唄われる、都歌・今様・俗謡などに対して、特に田舎の狭い地域で口伝され、その土地の風土や生活感が伝わる歌詞が特徴です。

 

 「俚謡」の種類としては、田植唄・籾摺唄・餅つき唄・酒屋唄・茶作り唄・奉納唄・祝い唄などがありますが、その唄は「誰がつくり、いつごろから広まったのか」については不明点も多くあります。また、同じ地域内においても、唄う人や集落によって節回しや歌詞が微妙に異なるものが多いのも「俚謡」の特徴です。

俚謡と民謡は違うの?

 明治中期には民俗学的に「民謡」という新語で訳され、大正時代以降「民謡」という呼び方が普及していきますが、戦前はまだ「民謡」よりも「俚謡」と呼ぶのが一般的でした。

 

 戦後からは、里謡・俚謡・里唄という言葉が田舎を連想させ「差別的に感じさせる」という理由で放送関係では「民謡」と表現するようになり、地方でも「俚謡」と呼ぶ人が少なくなっていきました。現在は、全国的に俚謡のことを「民謡」と総称しています。

一関市の俚謡

 市内各地域の文献をもとに、古くから伝わる「唄」が何かを探ると、地固め唄・麥打ち唄・田植唄・馬方節・餅つき唄など様々な種類があることがわかりましたが、時代とともに唄う人が少なくなったようです。

 

 そこで、市内の20~90代の男女47名を対象に、地域や集落に継承されている「唄」があるかどうかヒアリング調査をしたところ、「餅つき唄がある」「餅つき唄の歌詞を知っている」と答えた人がそれぞれ23名と、約半数の人が「餅つき唄」を認知していることがわかりました。その背景は、一関市が「もち食文化」のまちであることや、現在は「餅つき隊」などの組織を結成し集落・地域・市が主催するイベントにおいても餅つき唄が披露されていることなどが考えられます。

 

 当市域で継承されている「餅つき唄」は、杵(棒状の千本杵)と臼で餅をつくときに一緒に唄われていた唄です。完成した餅はその場で振舞うことが多く、平成中期頃までの婚礼行事(結婚式や嫁入りの行列など)にも欠かせない「祝い唄」の一つでした。

 

※不祝儀の際も餅はつくが、唄は唄わない。

 

 しかし、同じ「餅つきをするときの唄」なのにも関わらず、地域によってその歌詞や節回しに違いがあることも判明したのです。それでは、当市にはどんな餅つき唄があり、その歌詞にどんな特徴があるのか……!?詳しく紹介していきます。

俚謡にはどんなものがあるの?

俚謡の種類 派生図

一関市で唄われる「餅つき唄」の特徴

 当センターがヒアリング調査した結果、市内で継承されてきた「餅つき唄」は大きく分けて、『南部餅つき唄』『県南餅つき唄』『気仙坂』から生じた餅つき唄(旧東磐井を中心に継承)3種類に分かれるようです。その中でも、旧東磐井で伝わる餅つき唄には特徴的な歌詞があり、深掘りしてみました。※地域の方言により歌詞に若干の違いがあります。

=====旧一関市・旧花泉町などに多い=====

♪県南餅つき唄

ハァー 唄いましょうや

舞いましょう

若さ二度ない 二度はうそや

一度は咲いて 実がなるや

ハァー 一関や 台から

見れば長い町 長けれどや

一夜の宿を 取りかねた

※1番と3番歌詞

▲一関民謡保存会の仲間数人と共に平成6年結成された、祝い餅つき振舞隊が継承している餅つき唄。

♪南部餅つき唄

奥州サーハェー

(ハーエヤコラ エヤコラ ハイハイ)

奥州南部の大畑なれや

出船入船 繁華の港

陸は豊年 瑞穂の宝

※冒頭部分

▲青森県八戸市で発祥した労働唄。大正時代には岩手県北部でも盛んに唄われるようになりました。


=====旧東磐井郡を中心として継承=====

♪『気仙坂』から生じた餅つき唄

ソレツキ ヤレツキ めでたい めでたい

もちつきは 楽だとみせて さー楽じゃない

たのみます 杵さきあげて さーなかたのむ

よめごきた 小豆鍋かけて さー塩入れる

塩入れて 嫁ごに食わせ さー抱いて寝ろ

抱いて寝て 寝肌が良けりゃ さーまたござれ

明日朝の 夜明けの金の さーなるまでも

 

ねばりよい 男孫の さーできる餅

つけた餅 いつまでついて さーなぐさめる

うたいましょ 舞いましょ 若さ さー二度とない

呼べば来る 呼ばねば来ない さーせきの水

ゆうべまでの しのんだ裏の さー細道を

 

今朝見れば 七重垣を サー結ばれた

結わば結え 七重も八重も さー九重も

音に聞く 黄海の宿の さー七日町

気仙坂 七坂八坂 さー九坂

十坂目に かんなをかけて サーたいらめた

それは嘘 人足かけて さーたいらめた

 

あんびゃあいい あんびゃあいい

※歌詞は「東山郷福餅つき隊(当誌2024年7月号参照)」より。

 

◀節は、民謡の『気仙坂』から生じたもので、かつて気仙大工が唄っていた木遣り(きやり)唄(=労働唄)の一種が変化したのではないかと推測。嫁入り行列を迎える喜びと、その後の子孫繁栄を願う歌詞には方言を交えています。

東日本大震災後、支援として出前餅つきを実施する「東山郷福餅つき隊」の様子

↑東日本大震災後、支援として出前餅つきを実施する「東山郷福餅つき隊」の様子


藤沢町黄海には七日町という集落があるため、旧東磐井郡で継承されている餅つき唄のヒントが黄海にあるのでは?」と考え、餅つき唄を調査していくと……

同じ旧東磐井郡内なのに歌詞が違うことが判明!

♪黄海民謡舞踊愛好会が

継承している餅つき唄

音にきくや 黄海の 宿の七日町

前は川や 後ろは 繁る小松山

ハアーソレツケ ソレツケ ソレツケ ソレツケ

 

松の葉のや 色こそ 変わる落葉こそ

落ちたとてや お前の 世話にゃなりやせぬ

ハアーソレツケ ソレツケ ソレツケ ソレツケ

 

雨が降るや 船場さ 笠を忘れたや

笠も笠や お江戸で はやる菅の笠

ハアーソレツケ ソレツケ ソレツケ ソレツケ

 

気仙坂や 七坂 八坂九の坂

十坂目にや かんなを かけた如くだよ 

それはうそや ご人足 かけて平らめた

ハアーソレツケ ソレツケ ソレツケ ソレツケ

 

つけた餅や いつまで ついてなぐさめる

あすのさのや 夜明けの 鐘のなるまでも

ハアーソレツケ ソレツケ ソレツケ ソレツケ

2023年11月開催の収穫感謝の会の様子(提供:一関市立黄海小学校より)

↑2023年11月開催の収穫感謝の会の様子(提供:一関市立黄海小学校より)


黄海民謡舞踊愛好会

代表 佐川公郎さんに取材!

黄海民謡舞踊愛好会 代表佐川公郎さんに取材

 佐川さん(96歳)によれば、歌詞に出てくる「七日町」について、「かつて北上川を利用した舟運の舟着場があった七日町は、石巻(市・港)から来る人や物で賑わいを見せ、沿岸部からお嫁に来る人も多かった。その方々の迎入れや思い出話が歌詞として残ったのではないか?」と予想します。

 また、黄海村(当時)に着いた物資や人が室根や大東を通り、本吉や陸前高田方面にも運ばれていたことから、「起点であった『黄海の宿 七日町』が道中唄となり、それが広がって祝い唄として餅つき唄にも出てくるのではないか?」とのことでした。

 さらに、婚礼で行われる餅つきに関して、旧東磐井郡で継承される「餅つき唄」には全体を通したストーリー性はほぼ無く、あちこちの民謡や、祝事の連想から「縁起の良さそうな言葉を集めているような感じなのでは?」と続け、地域や集落、またはそのときの雰囲気で、餅つき唄も変化(アレンジ)しているのでは?」と佐川さん。「昔の婚礼は喜びを集落や家全体で分かち合うことが前提。たとえ歌詞を間違えてもにこやかに流して唄い、餅をついたものだ」と懐かしみます。

 実際、「当時は七日町に多くの宿や酒場があり、賑わいを見せていた」と文献にも掲載されており、沿岸部の人々との交流など、展開される泣きも喜びも人間模様が想像できますね。そんな物語が山越えをしながら口伝され、いつしか子孫繁栄を意味する唄となり「餅つき唄」に変化したのかもしれません。


臼と杵の縁起

 餅つきをする臼と杵の形はそれぞれ女性と男性を表し、子孫繁栄、家の繁栄の象徴として、各家庭で大切にされてきました。

市民フェスタ24で餅をつく東山郷福餅つき隊の様子

♪聞いてみよう♪

市内で継承される餅つき唄

下記からYouTubeへ飛びます


<参考文献・論文(Webサイト)> ※順不同

財団法人岩手県老人クラブ連合会(1982)『ふるさとの知恵袋』

小山源蔵(1966)『気仙沼案内』

編:東山町史編纂委員会/発:東山町長 菅原喜重郎(1978)『東山町史』

金沢村教育委員会(1999復刻発行)『金沢郷誌』

一関もち食推進会議(2017)『もちのまち』

編纂:岩手県教育委員会事務局文化課、岩手県文化財調査報告書第七十九集/発:岩手県文化財愛護協会(1983)『岩手の俗信-第六集生活に関する俗信-』

萩原儀久(2003)『茅野市八ケ岳総合博物館紀要11:15-22 「民衆のうた」として諏訪の地に花ひらいた俚謡のあゆみについて』

金田一春彦他(1989)『日本語大辞典』

新村出(1988)『広辞苑 第3版』

長尾洋子(2017)『〈うたの町〉をめぐる近代の空間誌-おわら風の盆の半世紀に耳を澄ます- 第1章「俚謡集」再考-うたの〈方言〉化とやわらかな統制博士(学術)』

いわての文化情報大辞典.「いわての民謡の種類」.http://www.bunka.pref.iwate.jp/genre-list?parent_id=2012(2024/10/25)

城佳世(九州女子大学人間科学部人間発達学科人間発達学専攻)(2020年6月4日受付、2020年7月16日受理)『九州女子大学紀要第57巻1号 日本民謡の概念の変遷-国文学・民俗学・音楽学を中心に-』

室根人社祭「マツリバ行事」袰先人保存会資料

紀元2600年記念 岩手県東磐井郡折壁村 郷土教育資料

紀元2600年記念 岩手県東磐井郡浜横沢 郷土教育資料

紀元2600年記念 岩手県東磐井郡矢越村 郷土教育資料

藤沢町史編纂委員会(1979)『藤沢町史』

黄海村史編纂委員会 (1960)『黄海村史』

 

【調査協力者】

祝い餅つき振舞隊(一関)

要害平餅つき隊(花泉町)

東山郷福餅つき隊(大東町)

入山沢餅つき隊(千厩町)

黄海民謡舞踊愛好会(藤沢町)

一関市花泉町 後藤定幸さん

一関市川崎町 伊藤力さん

一関市室根町 藤原利彦さん(室根町)

一関市藤沢町 佐川公郎さん(藤沢町)

 

その他、調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました! 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております。

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