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(idea2019年11月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
日本には昔から、脈々と受け継がれてきた技術や風習、伝統があります。一関市内にも絶えることなく受け継がれてきたもの(お仕事)があるのでは?ということで、昔から伝わる“今では希少なお仕事”を大調査します(「仕事の流儀」シリーズ)。今回は知っているようで知らない『養蚕』の世界。一関市弥栄で養蚕農家を営む、金田清さんに約3ヵ月の密着取材をしてきました(2回シリーズ予定)。
※記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果です。
調査にご協力いただいた金田清さんは江戸中期から代々続く養蚕農家です。近年、養蚕に触れる機会が少なくなりましたが、金田さんは少しでも多くの子ども達が日本の伝統産業である養蚕に興味を持ってもらえればと、毎年、地元の弥栄小学校3年生の総合的な学習の一環で蚕の生態や養蚕業の歴史について教えています。
さて、金田家が江戸中期から養蚕業をしているように「養蚕」の歴史は古く、紀元前15世紀頃に中国で始まったと言われています。
当時の絹織物は美しく貴重な品だったため、商人は危険な目に遭いながらも絹織物を求め、その際に通ったのが「シルクロード(絹の道)」です。
その後、日本やヨーロッパに伝わったとされ、江戸時代に入ると日本各地で養蚕が盛んになります。明治時代になると、フランス人を日本に招き入れ、その指導の下で繰糸機や蒸気機などを輸入し、群馬県の富岡に日本発の器械製糸場を建設。これが平成26年に世界遺産登録をされた富岡製糸場です。富岡製糸場は日本各地から工女を受け入れ、最新の製糸技術を全国に伝える役割も果たしていました。
昭和に入り、安価な化学繊維であるナイロンの普及、輸入絹織物の増加などが重なり、全国の養蚕農家の数は激減。最盛期の昭和4年には221万戸あった養蚕農家も、平成30年には293戸にまで減っています。こうして日本における養蚕業は急激に衰退していきました。
それでは当市における養蚕の歴史についても見ていきましょう。
一関市は、北上川下流農業地域ということもあり、昭和初期から養蚕が盛んな地域で、千厩町と竹山(現在の市役所)に製糸工場を造りました。また、花泉町老松には常に冷たい風が吹く「小沼風穴」という場所があり、そこに蚕の種(卵)を貯蔵する保冷庫を設置。風穴の温度は常に7度のため、卵が孵化せずに休眠状態となり、昔は年1回しか行うことが出来なかった養蚕を、孵化の時期をずらすことで回数を増やし、繭を大量に作ることができました。「風穴」は全国各地にあったようですが、現在確認できているものは少なく、とても貴重なものが花泉には残っていると言えます。
また、当市でも各地で行われている小正月行事「繭玉ならし」も、餅の団子を繭玉になぞってミズキの枝に飾り、蚕の成長と農作物の豊作を祈ったといわれているなど、養蚕に纏わる旧跡や伝統が今も尚、受け継がれています。
全国でも293戸まで減った養蚕農家ですが、いわて平泉農業協同組合管内(以下「JAいわて平泉」)の一関・平泉地方では、8戸の養蚕農家が養蚕業を続けています(平成31年度時点)。最盛期に比べるとはるかに少なく、後継者不足や養蚕農家の高齢化などの問題が深刻化してはいますが、日本の養蚕業の約3%を一関・平泉地方が担っています!
▲花泉町老松にある「小沼風穴」。現在保冷庫はありませんが、冷風は通っているのでとても涼しいです。
養蚕農家さんとJAいわて平泉さんにご協力いただき、貴重な養蚕業の現場を見学してきました。
養蚕は春から秋までに5回行いますが、蚕が孵化し、繭になるまでは約1カ月を要します。その間、養蚕農家さんは朝から晩まで蚕に餌を与え、温度・湿度等の管理をします。蚕はとてもデリケートな生き物!苦労も多い養蚕業の裏側を調査してきました!
①蚕種(さんしゅ)
蚕種は福島県の蚕種業者から一関市花泉町のJAいわて平泉涌津稚蚕共同飼育所へ運ばれてきます。
◀ 特殊なシートに包まれて運ばれてきた蚕種。黒く見えるのは、孵化したばかりの蚕(蟻蚕)。
②掃き立て
「掃き立て」は孵化したばかりの蚕に餌を初めて与える作業です。蚕は体が小さく弱いため、無菌状態に保たれた部屋で飼育します。
◀ 体長3~4㎜程の蚕に人口飼料を与える様子
③1齢、2齢…
蚕の発育段階のことを1齢、2齢…と呼びます。1齢は孵化後、2齢は1回目の脱皮、3齢が2回目の脱皮後。飼育所で育てられた蚕は3齢後、各養蚕農家(青森県南~宮城県北)へ運ばれていきます。
◀ 3齢の蚕。 大きさは1㎝程。
④成長する蚕と養蚕農家の苦労
養蚕農家に到着した蚕は、ここから繭を作り始める直前まで、食欲が旺盛に。また、上質な繭を作るためには、蚕を健康に育てる必要があり、蚕室の温度・湿度・通気性等の管理には特に注意しています。そのため、養蚕農家は朝早くから夜遅くまでの作業が毎日続きます。
▲蚕の主食となる桑の葉。毎日、金田さんが自宅の桑畑から調達。餌は成長とともに増やしていく。
▲蚕用の温度計
⑤5齢・上蔟(じょうぞく)
繭を作る直前の5齢となった蚕を「回転蔟」へ移動(蚕の上へ上へと登っていく習性を利用)させます。この作業を「上蔟」といいます。
▲お気に入りの部屋を探す蚕たち
◀蚕が繭を作る部屋となる回転蔟(上が重たくなると重さで回転することが由来)。回転することでほぼ均等に蚕が部屋に入る。
⑥営繭(えいけん)
蚕が繭を作りました(=営繭)。しかし、中にはまだ動き回る蚕がいる場合も…。その時は、排泄物で繭が汚れないよう蚕を摘み取ります。
▲ 営繭の様子。
▲繭の周りについている糸は繭を作る時に足場として蚕が最初に吐いた糸。
⑦繭の選別・出荷
一関・平泉地方の養蚕農家がそれぞれ育てた繭を持ち寄り、繭集出荷施設で繭の選別をします。長年の培った感覚で汚れや傷の有無、変形していないかなどを確かめ、念入りに取り除いていきます。その後、繭は山形県酒田市の工場で糸にされ、京都府で反物となり京友禅の美しい着物となります。
◀汚れ、変形、大きさに問題があり、規格外となった繭
<取材協力> 養蚕農家 金田清さん / JAいわて平泉 営農部園芸課 監理役 村上悟さん
<参考文献> 農研機構 (2018)『カイコってすごい虫!』
JAいわて平泉 (2018) 広報こしぇる『美しい伝統産業を支え続けて!』
↓実際の誌面ではこのように掲載されております。