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(idea2022年月2号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

伝説調査 ファイル№7 金山一揆(前編)

 当地域で起こった「一揆」として‘聞いたことがある’という人は少なくない「金山一揆」。その中心人物たちは撫で切りや処刑となり「罪人」としてその多くが家系図からも消されているのだとか。しかし、民衆側に立てば、自らの命を犠牲にして領主等に立ち向かった「義民」であり、その側に立った歴史解釈も必要なはず……。そこで、犠牲になった民衆側に立って、「金山一揆」を整理してみました(記載内容はあくまでも当センター独自調査の結果です)。

 

※市民86人へ質問した結果、35人が「聞いたことがある」と回答。そのうち、詳細を把握していた人は8人。

 

 

■通説に見る「金山一揆」

 

「金山一揆」の通説は、伊達藩の視点で語られています。その内容は次のようなものです。

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 産金地であった当地に豊臣秀吉の命で3奉行が派遣され、産金の税を年1回から3回に増やした。これに対し堀子たち3千人が強訴のため白山堂(現在の千厩町松沢神社)に集まり、一揆に発展した。

 

 金山肝入白石十郎左衛門は、秀吉配下の3奉行をかくまい、伊達藩の宿老に急報。宿老は代官の黒木中務宗元を将として鎮定軍を派遣し、一揆の発頭人を撫で切りに、頭取38人を処刑、一揆を鎮定した。

 

 しかし、この一揆の黒幕が政宗であると秀吉家臣に直訴した者が。この疑惑を白石十郎左衛門らが身命を賭して上洛・申し開きをしたことで、政宗の謀反疑惑も晴れ、白石十郎左衛門も無罪放免となった。

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 この視点に立つと、金山一揆の英雄は3奉行をかくまい、かつ伊達政宗の潔白を証明した白石十郎左衛門(白石時直)であり、実際、時直はこの一揆を経て伊達政宗から褒美を授かります。それは土地4貫文(40石)や、政宗の子を身籠った側女という、破格なものでした(その他、褒美には諸説あり)。

 

 しかし、この白石時直は葛西旧臣であり、実はこの一揆の発頭人(頭取)たちの多くも葛西旧臣だったという側面が。つまり、一揆の発頭人たちの立場とすれば、同じ葛西家臣だった時直が伊達藩に仕え、なおかつ自分たちを苦しめる秀吉配下の3奉行をかくまったというのは、裏切られたような状況……。

 

 そもそも、なぜ葛西旧臣たちが金の堀子として暮らしていたのでしょうか?次頁では視点を変えて金山一揆を見てみます。

 

※決して白石時直らを否定する意味合いではありませんので、ご理解をお願いします。

金山一揆 関係者相関図

 

 

堀子から見る金山一揆

金山一揆 堀子側のストーリー オリジナル漫画

 

白石十郎左衛門(白石時直)にスポットの当たることが多い「金山一揆」。あえて堀子側にスポットを当ててみると、上↑のようなストーリーになります。以下、注目ポイントをご紹介!

 

 

1.葛西旧臣たちはなぜ堀子に?

 奥羽仕置後の木村氏の圧政と、そこから生じた大崎・葛西一揆などを経て、疲弊していた当地域。新領主となる伊達氏は、領民支配のためにあえて葛西旧臣を排除せず、穏便に従順させるため、村の肝入にしたり、帰農させ、土地を「安堵する」方策をとりました(逆に先祖代々の在地を離れ、山師的な生業を余儀なくされた「野武士」もいたとか)。

 当時、朝鮮出兵も相まり産金需要が増していたため、帰農した葛西旧臣を含む農民たちは金の「堀子」としても働いており、堀子となった葛西旧臣たちは「堀子の頭」的な存在だったのかもしれません。

2.「強訴」するほどの重税だった?

 通説では「強訴」の原因(内容)は「年1回から年3回の増徴」への反発とされますが、強訴が行われたのが3回目の「本判役(≒金山年貢)」の納入時期(10月)だったことから、1・2回目は納入していたのでは?という説が。

 

 ではなぜ3回目の納入時期に「強訴」に踏み切ったのか……。それは「年3回」という年貢の中身ではなく、「本判役」の「収取方法」への不満だったのではないかと指摘する研究が!

 

 実は「本判役」が課せられる「本判持」の中には、他国から流れてきた者も多く、困窮して

逃亡する者も……「本判役」は「本判持」が死亡・逃亡等をした際には親族に賦課し、親族が探し出せない場合は村が弁済していたのだとか(村の肝入が本判肝入を兼務するケースが多いため?)。

 

 また、そうした「渡り金掘り」たちが無秩序に産金を行うなどの混乱も生じていたといい、‘「本判役」の納入が困難な状況が発生していた’ことを直訴したかったのでは……という説もあるのです。 


3.なぜ軽い処罰で済んだ?

 3千人もの参加者がいたのに対し、「六道塚」に「磔」にされたのは38人とされ、一揆の規模に対して少数と言えるのだとか。また、一揆に加勢した者に対しても、政宗から「今回は罪に問わない」という旨の書状があったとされます。

 

 この背景には、朝鮮再征を控え、軍資金調達に当地域の産金が要であったことに加え、千厩が馬産地でもあり、ターミナル的な機能を有していたことがあるのでは、という話も。

 

 しかし、軽い処罰で済み、金山経営も伊達直轄に戻ったにも関わらず、堀子たちの「本判役」の苦しみは大きくは変わらず、結果的に、1601年には「釜石一揆」という葛西旧臣の絡む一揆が発生しています。

 

次号(後編)では、金山一揆に関係する実際の場所や、当地における金の採掘方法をご紹介いたします!

 <参考文献> ※順不同

千厩町観光協会(1997)『金山一揆』

池亨・遠藤ゆり子(2012)『産金村落と奥州の地域社会-近世前期の仙台藩を中心に』

村上光一(1998)『中澤家文書に見る近世初期断片 千厩宿を中心とする地方史から 平成11年度東磐史学第24号抜刷図書』

千厩町史談会(1994)『金山一揆 文禄三年金山一揆四百年記念資料集図書』

↓実際の誌面ではこのように掲載されております

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