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『idea3月号』の紙面において、以下の通り誤りがありました。お詫びして訂正申し上げます。
【当該箇所】
① 表紙 「今月の表紙」1行目
誤 千厩町磐清水の小字名「萩生田」
正 千厩町磐清水の小字名「荻生田」
② P9「センターの自由研究」 2段落 13行目
誤 2位の「萩生田」
正 2位の「荻生田」
HPでは、修正後の内容で記載しています。
(idea2024年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
当センタースタッフがピックアップした「難解・難読地名」をテスト形式で100人に出題し、当該地域における「読めない地名ランキング」を勝手に作ってしまう人気企画「難解・難読地名に挑戦!」。
第8弾となる今回の対象地域は千厩町の「磐清水」。今回も「最も読めない地名」に見事選ばれた場所に実際に行ってきました!
(記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果)
難解・難読地名
ランキング
※ゼンリン住宅地図に掲載されている地名の読み仮名を正解とします(「ザワ/サワ」「ダ/タ」なども区別しています)。
地名(よみがな) |
正解者 (105人中) |
|
1位 |
姥田(ばんだ) | 2人 |
2位 |
荻生田(おぎおだ) | 9人 |
3位 |
樋口(ひのくち) | 12人 |
4位 |
蒲沢(がばさわ) | 15人 |
5位 |
神子沢(みこのさわ) | 18人 |
6位 |
田神(たのかみ) |
29人 |
7位 |
躑躅(つつじ) | 33人 |
8位 |
重箱石(じゅうばこいし) | 42人 |
9位 |
上関代(かみせきしろ) | 49人 |
10位 |
鷹巣(たかのす) | 52人 |
今回の調査には105人の方にご協力をいただきました(磐清水地域以外の市内各種組織・団体・企業の方、講座や会議等でお会いした方など、当センタースタッフが直接対面しての調査)。その調査結果をランキングにまとめたのが左の表です。
1位となったのは解答記入者数58人、うち正解者がわずか2人しかいなかった「姥田(ばんだ)」。解答は「うばた」が圧倒的に多く、次いで「おいた」が数人。先述の105人とは別に、磐清水住民に地区民祭(磐清水梅の里地区民祭)などで同様のアンケートをとりましたが、15人の協力者のうち、正解は5人、「うばた」という解答が5人、無解答(=ギブアップ)が5人と、磐清水地域内でも認知されていないということが判明。「今まで『うばた』と呼(読)んでいた」という声も聞かれました。「姥」という字には本来「ばん」という読み方がないため、こうした結果になったと思われます。
なお、解答記入者が最も少なかった(47人)のは「躑躅」ですが、その正答率は70%で、3番目に高いという結果に。2位の「荻生田」は「ハギュウダ」「オギュウダ」などの回答が多く、正答率は13%でした。
■「姥田」の由来
「ばんだ」という読み方で由来を調査しても、「これだ!」と思うものが見つけられなかったため、試しに誤答で多かった「うばた」という読み方で調査を行うことに。
すると、いわゆる「地形語(地形地名)」の中での「ウバ」は、崖地や岩地を表したり、「北東ー南東」方向を意味することがあるという情報を入手。姥田の地質を地形アプリで調べると、花崗岩の土地であり、かつ、姥田を麓とする山から見ると、姥田は北東や南東方向に位置しています。つまり、「うばた」という読み方であれば、姥田の実情とリンクするのです。
「姥」は訓読みで「ばば」とも読むことから「うばた」が「ばばた」となり、それが転訛して「ばんだ」になったという推察もできます。
しかし……。文化14年(1818)の寺沢村の絵地図には、現在の姥田の場所に「姥田屋敷」が2軒記されていますが、寛永19年(1643)の『御検地帳抄記』には、屋敷名に「新百姓 ばんた」という記載が。「新百姓」ということで、移住者の可能性も……。そうなると、転訛よりも最初から「ばんた」の可能性が高く、真相はわからぬままです。
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姥田(ばんだ)に行ってみた
千厩町磐清水の難解難読地名1位になった「姥田」を実際に訪れ、その土地柄や、由来に通じるものがないか、調査してきました!なお、姥田住民の方は「うばた」と呼ばれることに慣れているらしく、特に結果への驚きはないようでした(笑)
■「姥田」の立地
千厩町磐清水の小字名である「姥田」は、国道456号を千厩町から大東町摺沢に向かって走らせると、道路の左方向にあり、JR大船渡線の「仏坂踏切」を越えて向かいます。
「姥田」の行政区は「千厩22区」で、自治会は「寺沢自治会」に属します。寺沢自治会には、69世帯166人が暮らし(令和5年3月現在)、うち2世帯4人が姥田に居住。この2世帯の方に話を聞くと、「50年程前に嫁いで来た時には5戸あった」とのことで、一時戸数の増えた時期があったようです。
▲国道456号から見た姥田
■「姥田」の特徴
山の谷沿いに居住地を開いたような「姥田」は、道も狭く、道路も未舗装。山の斜面を切り出して作ったような道もあり、住民が定期的にメンテナンス(流れた土を寄せる等)をしています。
花崗岩の土地であり、表面上は粘土質(花崗岩は風化すると粘土状になる)です。
※『東磐井の地名と風土(阿部和夫著)』には「姥田は(ハニダ)で粘土質の田」という記載がある。ただ、「姥」に「はに」という読み方は存在しないため、真意は不明……
◀姥田に引っ越した貴重な道標
以前は別の場所(個人の所有地)にあったが、耕地整理等のために姥田に移動。花崗岩の道標で「宝暦13年 従川 上 まつ川 下 千まや 向 うす衣 門 するさわ おくたま」と刻まれている。千厩町内で確認されている道標の中で最も古い。
「うばた」の可能性を検証してみた
上頁でも紹介したように、江戸時代には屋敷名として「姥田」が存在していたことは確認できました。ただ、どうして「姥」を「ばん」と読むのか、納得のいく理由が見つからず、「うばた→ばばた→ばんだ」への転訛説を押したい私たち(笑)「うばた」の可能性を検証してみました。
絵地図で見る「姥田屋敷」
文化14年の寺沢村を描いた絵地図。「姥田ヤシキ」という屋敷名が2軒確認できる。立地も現在の場所と相違なし。
一関市博物館(2013)『第20回企画展 地を量る-描かれた国、町、村-』より
■「北東-南東」を指す「ウバ」
水田等に自然の水流を利用するため、好んで傾斜のある山沿いを利用した時代があったようです。そのために、そうした場所を表現する言葉(地形語等と呼ばれる)が方言的にできていったのだとか。
その一つに「ウバ」があり、「北東-南東」方向を意味するという情報が。姥田が麓と言える山が2つありますが、それぞれ姥田が北東、南東にあたります。「ウバで田を始めた家」のような屋敷名だと納得がいくのですが、検地帳の記載が「新百姓 ばんた」になっており、残念ながら矛盾が生じます…。
■「姥捨て山」だった!?
地元の歴史に詳しい方にお話を聞くと「姥捨て山伝説」の話が……。文献等がなく、検証はできませんでしたので、ご存じの方がいればぜひご一報ください!
<参考文献・論文(Webサイト)> ※順不同
磐清水村誌編纂委員会(1957)『磐清水村史』
阿部和夫(1982)『東磐井の地名と風土』
一関市博物館(2013)『一関市博物館第二十回企画展 地を量るー描かれた国、町、村』
その他、調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました!
↓実際の誌面ではこのように掲載されております。