(idea 2018年12月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
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対談者 伊藤稔さん
聞き手 いちのせき市民活動センター センター長 小野寺浩樹
‘釣り名人’で全国的に有名な伊藤稔さんに、釣りを始めたきっかけや「名人」と呼ばれるようになるまでのいきさつ、フリーランスで行っているお仕事や地域での活動などについてお話を伺いました。
【小野寺】「釣り名人が一関にいる」という話は聞いておりましたが、伊藤さんとやっとお会いすることができました。伊藤さんは、釣りはいつ頃から始められたのですか?
【伊藤】僕が釣りを始めたのは27歳の時ですね。最初は東京で美術関係の仕事をしていたのですが、27歳の時に実家を継ぐために東山町に戻ってきたんです。そこで地元の会社に勤めながら趣味で釣りを始めました。当時は釣り道具屋さんが流行っていたこともあり、ゆくゆくは釣り道具屋さんの経営と、釣りの本のライターになりたくて。そうすれば飯が食えると思っていました。まあ、好きな道で生きられたら幸せですからね。でも実際は博打のようなものですし、両親にもかなり反対されましたね。
【小野寺】でも実際に本を発売されていますし釣りの名人でいらっしゃいます。有言実行ですよね。
【伊藤】結果的にはそう言えるかもしれませんが、当時は僕のような人間は周りから道楽者としか思われなかったんです。後ろ指を差されて「あそこのバカ息子は…」って。それでも今に何とかしてやろうと思って、27歳から釣りを勉強し始めました。そのうちに、日本のアユ釣りのトップクラスはどれくらいのものなのだろうと挑戦欲が湧いてきまして、アユ釣りが盛んだった関西へ行き、名人達にあちこち弟子入りして回り、多くの技術を学びました。名人達はみんな寝る間も惜しんで熱心に朝から晩まで釣りをするので、それを見たら「たかが釣りといっても、遊びじゃないな。すごい世界なんだ」と思いましたよ。
【小野寺】そうやって技を磨いていったんですね。
【伊藤】そんな中、僕が30歳ごろからアユ釣りの全国大会が始まりました。その中の最高峰が全日本アユ釣り王座決定戦でしたが、35歳の時、予選を運よく勝ち抜き、初出場で優勝できました。
【小野寺】釣りを始めたのが27歳で、王座決定戦で優勝したのが35歳ですから、わずか7年~8年で日本一に上り詰めたんですね。
【伊藤】きっと運が良かったんでしょうね。その後も50歳になるまではずっとトップクラスにいました。
【小野寺】15年間もトップクラスを維持されたのはすごいですね。
【伊藤】同じく35歳の時に、僕は「究極のヤマメ釣り」という本を出版したんですが、その本がベストセラーになりました。なぜ売れたのかというと、その本は今までの渓流釣りの概念を180度変えてしまったからなんです。というのも、昔、渓流釣りは勘の世界でした。「だいたいこの辺で魚が餌に食いつくだろう」とかね。釣りの解説書もその程度のものでした。それを初めて理論的に解明して解説した本を出したのです。僕が「渓流のカリスマ」と呼ばれ始めたのはその頃からですね。
【小野寺】それはすごいですね。
伊藤さんが出版した本の一部です
【伊藤】その翌年に「ダイワ精工」という、当時、日本の釣具のトップクラスのメーカーから「うちの仕事を手伝ってくれ」とお話しをいただき、60歳の定年まで開発や宣伝の仕事を手伝いました。65歳からは「株式会社シマノ」という釣具メーカーの仕事を手伝っています。
【小野寺】それは入社ということでしょうか?
【伊藤】入社ではなく、毎年更新のアドバイザーみたいなものですね。
【小野寺】普段は一関にいるのですか?
【伊藤】はい。呼ばれれば会社に行きますが、多いのは宅急便でのやりとりですね。竿を作る時はパーツを宅急便で送ってもらい、試し釣りを何度もして改善点を指示します。1本の竿をつくるのには2年(2シーズン)かけます。
【小野寺】そうして昨年できあがったのが、伊藤さんモデルの釣り竿「エレガントアタッカー」なんですね。
【伊藤】この竿はシマノに入って初めて作ったものでしたから、気合を入れて作りました。値段は高めですが、増産を3回もするほど売れました。おもしろいことに全国で一番この竿を売り上げたのは一関市内の釣り具屋さんなんですよ。一関市は東北でも釣りが盛んな地域で釣りキチも多いんですよ。
エレガントアタッカーのカタログ
竿もカタログも伊藤さんが作りました
【小野寺】釣りに関して最近何か変わってきたことはありますか?
【伊藤】残念ながらアユ釣りや渓流釣りの釣り人が、減ってきていることでしょうか。この2つの釣りは釣りの中でも難しく、一人前になるには2年も3年もかかるので、なかなか始める人が少ないんです。若い人の間ではバスフィッシングなどのルアーが流行っていますよね。道具も安いし手頃にできますから。しかし、アユ釣りや渓流釣りは面倒な「仕掛け作り」から勉強しなければなりません。だから若い人に嫌われるのかもしれません。
【小野寺】この「仕掛け作り」が難しいという話は聞きます。でもそれが醍醐味でもあるんですよね。
【伊藤】ええ。昔はお互いに作った仕掛けを見比べたり、出来を競ったりしたものです。つい先日、なぜ若者の釣り離れが起きているのかを30代の弟子に聞いたら、「考え方があなたと逆だから無理なんですよ」と言われました。要は、凝って研究したり、日本を制覇しようとか、今までにない物を作りたいとか、そんな向上心旺盛な人は少ないようです。釣りに限った話ではないですが、若い人達には高みを目指して果敢に挑戦してもらいたいものです。
【小野寺】伊藤さんは東山で釣り講座を行っていますが、どのように行っているのですか?
【伊藤】僕が講師をする講座のほとんどは室内でする講釈で、川での実技演習は過去1回しかしていません。実技だと参加人数が集まらないんです。講釈だと70人くらい参加していただきますが、秋田や青森、盛岡、宮古、仙台など遠方から来る方も多いですね。
川で行った実技演習の様子
【小野寺】意外と地元からの参加は少ないんですね…もったいない。
【伊藤】講座では初心者から上級者まで、ある程度全ての方をお相手に話すわけですが、なかなか全ての人に満足してもらうのは難しいですね。レベルを上げると中学生や高校生など若い方はわからないでしょうし、下げればベテランから不満がでます。
【小野寺】中学生・高校生も参加するんですね!それは頼もしいです。
【伊藤】子どもたちは講釈だけじゃわかりにくいだろうと思って、「空いている日があれば、一日川で講習会するから来ない?」と誘うんですが、遠慮してか誰も来てくれません。渓流釣りなら、初めての人でも一日に10匹~20匹は釣らせる自信があるのですが。
【小野寺】若者の育成のためにもぜひ伊藤さんから釣りを学ぶ場をもっと作っていただければ良いですね。
【伊藤】努力してみましょう。
┃ 伊藤稔さん
住所:一関市東山町在住