(idea 2020年12月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
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昭和44年生まれ。國學院大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程修了。博士(神道学)。明治神宮権禰宜・主任研究員を経て、平成21年より御嶽山御嶽神明社へ。岩手県神社庁西磐井支部長。昭和63年設立の「老松活性化同志会」で事務局を、同会の事業として平成27年に発足させた「老松雅楽会」では代表を務め、地区内外のメンバーに雅楽を指導している。著書に『明治聖徳論の研究―明治神宮の神学』がある。
対談者 御嶽山御嶽神明社 宮司 佐藤一伯さん
聞き手 いちのせき市民活動センター 主任支援員 佐々木牧恵
「地域資源」や「民俗文化」いう側面から神社を捉え、地域での今後の向き合い方を考える2回シリーズの後編。集落にその地を守護する鎮守神をまつる風習は当市域はもちろん、全国的にも多く確認され、明治初期の全国の神社数は旧村落の大字村の数18万余りに近かったと言われています(文化庁の宗教年鑑より)。地域に必要とされていたはずの神社たちの「これから」とは……?
佐々木 近年「墓じまい」(※1)が身近になりつつありますが、同様に地域で祀り切れなくなった「神様」を供養してしまうような事例もあるのでしょうか。
※1 後継者がいない等の理由から、お墓を撤去し、遺骨を他の墓地に転移、あるいは永代供養墓地等に改葬すること。
佐藤 供養ではないですが、神様を別の場所に移す「遷座」は意外と珍しいことではありません。実際に今年、ここにも油島から遷座してきたお社がありますし、これまでにも複数の御神体が遷座してきています。
佐々木 遷座してくる背景には何があるんでしょうか?
佐藤 様々なケースがありますが、今回の油島からのケースの場合、とある施設の守り神として祀っていたものの、施設の閉鎖に伴い、更地にして返すために遷座を選択したようです。あとは旧士族の方の家で後継者がなくなり、屋敷内から地域の神社に遷座させるというケースも。
佐々木 なるほど。必ずしも高齢化等の影響ではないのですね。
佐藤 どちらかと言うと生活の変化でしょうか。神様ではないですが、今年は例年以上にケースに入った5段飾りの雛人形の供養依頼が多かったです。生活環境が変わり、必要なくなったが、自分一人では処分できないからという依頼です。あとは実家に使わなくなった井戸があり、その井戸をそのままにしていて良いのかというような相談をいただいたこともあります。今はあまり選ばれなくなった金の装飾が施された霊柩車の供養を依頼されたことも。お宮として改修(※2)し、境内に祀っています。
※2 上記写真参照
佐々木 以前にオシラサマに関する取材(※3)をした際、「昔は家にあったが処分してしまった」という家が多かったことが個人的にはショックでした。処分することで、もともとそこにあった意味=その家のルーツを知る手がかりや、文化や歴史的な意味合いまで消えてしまうようで、寂しいなと感じるのですが……。
※3 『idea』2020年6月号 参照
佐藤 市内にも民俗資料館(※4)ができましたが、農機具の保存展示のほかに、民俗信仰に関するものがあった方が良いとは思っています。あとは供養したとしても、その家でなぜ・どのように祀られてきたかという経歴が残るような形だと良いですね。自治体の指定を受けるような文化財でなくても、かつての暮らしを知るという意味では貴重な「地元の文化財」だと思います。
※4 平成30年11月、旧渋民小学校の2階に開館。「一関市民族資料館(一関大東町渋民字小林25)」
佐々木 確かに、個々の家だけでなく、地域の暮らしを知る手がかりにもなりますよね。
佐藤 地域でお祀りしている神様も、由緒書きなどを読むことでその土地を知ることができます。引っ越しなどで新しい土地に移り住んだ際に、その土地の神様(産土様、氏神様)にまずはご挨拶に行くというのは、そういう意味合いもあります。土地を守ってくれている神様に挨拶をしないと祟られる……という側面もありますが。
佐々木 そう言われると、先ほどの人形や井戸のように、無意識のうちに「祟り」を心配してしまう対象がありますが、「土地」に対してそうした不安を抱く人は少なくなっている気が…。そもそも自分の土地を守ってくれている神様を知らない人も多いのではないでしょうか。
佐藤 ちょうど先日、一関に移住してきた人から氏神に関する問合せがありました。移住後も以前にいた場所の神様を祀っていたら、移住先の氏神を祀らなければダメだと知人に言われたと。ただ、移り住んだ先の氏神がどこなのかわからないので教えて欲しいという相談でした。話を聞いていくと、年末に地域の人がお札を持ってくるというので、そのお札の先が氏神だとお知らせしましたが、生活していれば「ここが氏神なんだな」というのは自然と情報として入ってくるものです。
佐々木 つまり自分は意識していなくても、多くの世帯がどこかしらの氏子として登録されているということですか?
佐藤 そういうことです。ちなみに年末に各神社から配られるお札の多くは「神宮大麻」と言って、伊勢神宮のお札です。明治天皇の時から全国民に配布されるようになりました。その初穂料の多くは配布元の地域の神社ではなく、伊勢神宮に入り、お宮等の維持管理に使われます。つまり伊勢神宮は国民全体で守っているということなんです。
佐々木 全く知りませんでした。最近は地域で集められる寄付金等にもシビアな世帯が増えていますし、正しく理解されていないと拒否する人も多いのでは?
佐藤 実際、寄付金等と同じように捉えられている節はあります。日本人の中心に「お伊勢さんをお参りする」ことが柱と考えられているためのことなんですが。
佐々木 正直、そういう感覚を抱いたことがなく……。私たちのような世代が寺社仏閣に意味を見出し、守っていけるのか自分でも不安になってしまいます。
佐藤 神観念というのは変わっていって良いものだと思います。かつては「神様は祟る」という考えから、祟らないように拝む、神様を鎮めるために神楽等を奉納していましたが、長い歴史の中で、神様は良いもので、拝めば救ってくれるものへと変わっていった。そのように原始時代と今とでは当然神観念が違うので、今は今の神観念があるべきです。人権等を無視すべきようなものではないですし、最近では女性の役員さんや宮司さんも増えてきています。
佐々木 なるほど。信仰心は薄くても「地域の文化」「地域の歴史を知るためのきっかけ」という位置づけであれば、守っていきたいとは思えます。
佐藤 基本的に神社は人々を結びつける役割であり「人が人として安心安全に生きていくためのもの」であると思っていますので、ツールとして使っていただいて良いんです。「お祀り」の仕方を変えること自体も決して悪いことではなく「大切にする」という方法も変わって良い。間違いないのは神社が地域の活性化につながる資源を秘めているということ。そういう時には地域の宮司たちも相談に乗りますので、ぜひご相談ください。
(2回シリーズの後編 ★前編はこちら)
佐藤 一伯
電話 0191-82-3382(御嶽山御嶽神明社)