(idea 2020年6月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
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昭和24年岡山県生まれ。地元で建築関係の仕事に就くも、23歳の時、当時の職場の縁でサモアにできた建築関係の合弁会社に派遣されることに。サモア滞在中に世界一周の旅の途中だった夏枝さんと出会い結婚。長女が小学生になるのを機に、自然の中で子育てをしたいという思いから妻の実家である花泉町日形へ。63歳からは「専業林家」として71歳の現在も山に入る日々を送る。
対談者 専業林家 千葉日出雄さん
聞き手 いちのせき市民活動センター 主任支援員 佐々木牧恵
目にすることの少ない「専業林家」という肩書。当地域でも農業の傍らに林業に携わってきた人は少なくはないものの、林業のみで生計を立ててきたという人はいないに等しく、全国的に見ても数少ないと言います。先祖が残してくれた山の管理に頭を抱える人が増えつつある中、林業とは何なのか、その根本的な考え方のヒントを2回に渡ってお届けします。
佐々木 32歳で日形に来て、すぐに林業を始めたんですか?
千葉 最初はこの地域の会社に勤めようと思ってたんだけど、失業保険より安い給与のとこばかりだったからね。そうしたら農協で「山があるならシイタケでもやったら」と言われて、原木シイタケを始めたんです。どうせやるなら東北1位になろうと思ってね、乾燥で4t近く作りましたね。とにかくそれで食べていかなきゃいけないから。
佐々木 乾燥で4t!ほだ木やほだ場の確保だけでも大変そうですが。
千葉 普通は1m強のほだ木を使うところを、私はその倍の2m、太さも倍の直径30㎝程のほだ木を使いましたから場所はとらず、しかも林業機械を使うので、長くて太いほだ木でも効率的に作業ができました。
佐々木 その時点ですでに林業機械を導入していたとは!林業機械は高価だと思いますが、入手するのに躊躇はなかったんですか?
千葉 海外の林業を見ていたからね。それに日形に来てからも63歳まではODA関連の仕事でゼネコン各社の嘱託職員として発展途上国に派遣されていて、その給与を林業経営資金に回すことができたしね。なにより1年の半分近くは海外にいるので、効率よく作業をしなければ間に合わないわけです。
佐々木 最初は兼業で資機材をそろえていったんですね。海外の方が林業は進んでいた?
千葉 当時日本の林業は50年は遅れていて、機械化が全く進んでいなかった。なので東北では私が一番最初に導入したという機械がいくつもあります。今は追いついてきたけど、機械化して専業で林業をしているという人はやっぱり少ないままだね。
佐々木 専業林家になれない由縁というのは機械化の問題なんでしょうか?
千葉 農家や酪農、漁業にしても、1億円もかければ1代でも完全な専業になれるけど、林業はそれ以上かけても1代では成り立たない。1番重要なのは自分の持っている山の年間成長率。今1立方㎡あたりの木の相場はわずか7千円。資機材代を考えると年間で2千立方㎡は切らなきゃやっていけない。つまり年間成長率がそれ以上(2千立方㎡以上)ないと専業では続けられないというわけ。
佐々木 それは大きな山を持っていなければいけないということですか?
千葉 面積の問題とも違う。2千haの山でも、0年生の木ばかりじゃ何の収入にもならないでしょ。0年生の木を含め、100年生、150年生の木を持って、その山全体の中で年間成長率が2千立方㎡以上。だから私の管理している126haの山でも、機械化したことで2千立方㎡は簡単にこなせるわけ。
佐々木 150年生の木となると、先祖が子孫のために植えておいた木ということですよね。
千葉 そう、最低でも4代はかかるね。1代目が植えて、2代目も植えながら管理して、3代目から間伐しながら管理して、4代目から本当の収入になる。
佐々木 1代目、2代目の人たちは未来への投資でしかないように聞こえますがどうやって生計を立てていたんでしょうか?
千葉 当時、山は財力のある旦那様たちがもっていたんだね。江戸時代、山は藩の所有だったけど、千葉家は伊達藩時代に山林の管理をする役目をもらっていて。その関係か明治時代に山の払い下げを受けたらしい。当時、この地方では自然林での林業が主で、植林をすることはほとんどなかったらしく、4代前の寿三郎が植樹を地域に推奨した。その頃は材価も良かったから、自然林の木を伐り出しながら、人工林での林業(植林)にも手がつけられたんだね。
佐々木 人を雇ってまで木を植えられるくらい材価が良かったわけですね。今じゃ無理!
千葉 この辺りは特に大地主さんと小作人という関係が強いから、ほとんどの人が自分の山なんか持っていなかった。それが戦後の復興期、農地としても多くの国有林が払い下げられ、そこでようやく自分の山を持った人が多いんじゃないかな。
佐々木 戦後に山の初心者がいっぱい生まれたということ?しかも中途半端な面積の山……。
千葉 多分平均2~3反歩くらいで、何町歩も持っている人はそういない。その規模では飯も食えないので、けっきょくはほったらかしになる。大地主さんが持ったままの方がまだ良かったのかもしれない。あとは数十人規模の名義がある共有林も手がつけられてないね。
佐々木 ここ最近、自伐型林業という小規模かつ外部に委託しない林業形態が注目を浴びてきていて、若い世代が参入し始めているようですが、プロの目からはどう感じていますか?
千葉 兼業ならまだしも、専業では厳しいね。薪用の雑木だって40年はかかる。水稲だったら100日で収入になるがね、林業は1年やっても切った材が売れなきゃ赤字にしかならん。
佐々木 けっきょくはどんなに小さな林業と言っても、自分の代の儲けうんぬんだけ考えてたらダメだということですね。
千葉 「持続可能」という考え方は林業から出てきたとも言われる。この地域に何代も住み続けることができるように、というもの。本来の林業は山を活性化していくためのもので、切って終わりの破壊とは違う。それに自給自足、お金がなくても生きられるような暮らしをしてないと林業は難しい。1か月給料がないだけでパンクしている世の中だけど、我々は短くても半年か1年後じゃないとお金にならない(木が市場に並んでも材として売れないと収入はない)から2~3か月じゃ気にしない。
佐々木 林業は単なる仕事ではなく、生き方そのものという感じですね。
(2回シリーズの前編 ★後編はこちら)