(idea 2024年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
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一関コミュニティFM株式会社 放送局長 塩竃一常 さん
平成24年4月に放送開始した「一関コミュニティFM」パーソナリティ。立ち上げから関わり、平成28年より放送局長に。一関二高卒業後、専門学校で放送を学ぶと、関西のコミュニティ放送パーソナリティへ。複数の放送局で経験を積み、平成19年には帰郷とともに奥州市の「奥州FM放送」の立ち上げにも尽力。昭和53年、一関市生まれ(在住)。
対談者 一関コミュニティFM株式会社 放送局長 塩竃 一常 さん
聞き手 いちのせき市民活動センター センター長 小野寺浩樹
「FMあすも」こと「一関コミュニティFM」は、公設民営の放送局でありながら、現在は8割を民間スポンサー収益で賄っています。資金面等で閉局に陥る放送局もある中、間もなく12年を迎え、いよいよ「地域性」を乗せていこうという今、「市内にコミュニティ放送がある」意義を考えていくと、我々市民が担うべき「役割」も見えてきました。
(2回シリーズの後編 前編はコチラ)
小野寺 「ここまで」の10年間は「ラジオがある生活」を定着させるために、あえて地域色は濃くせず、基本的かつ良質な「放送」を心がけてきたということでしたが、では、次の10年間はどうお考えですか?
塩竃 震災後、寂しい思いを抱えている人などに、寄り添うと言うか、隣にいる、それもピタッと隣に座っていて、肌の温もりが伝わってくるような、そんなラジオにしたいと思ってきて。そういう人の孤独が分かったら、そこに対して解決策というか、「こんな制度がありますよ」ってつないであげられるようなラジオ局が理想なんです。なので、リスナーさんとよりつながっていきたいですね。
小野寺 以前には市民がスタジオゲストで参加するコーナーもありましたよね?
塩竃 コミュニティFMらしさが表れた番組でしたね。市民が自分で話をし、それを別の市民が聞いて「良い話してるな」という連鎖。それを引き出せるパーソナリティが手薄になった時期があって途切れていますが、今またパーソナリティも育ってきているので本格的にやっていきたいな、と。単なる取り組み内容だけでなく、想いやきっかけ、家族や関わる人の支えとか、そういうことをしっかり引き出せるような。リスナーもそういう部分が聞きたいという風に育ってきていると思うんです。
小野寺 イベントなど、表立って何かに取り組む人のピックアップになりがちですが、例えば地道に地域の役職で支えている人とか、そういう人の頑張りや本音も引き出して、つないで欲しいですね。
塩竃 光が当たりがちな人の周りにも人がいるので、それを伝えることは大事だと思います。実は、震災後、放送から離れようとした時期があったんです。
それまではずっと「ラジオは防災のため」と思っていたんですが、「その先の役割」については用意できていなかったことに気づいて。当時、生活困窮者に寄り添うパーソナル・サポーター※1の仕事に興味があり、講座を受けたんですが、学んだのは、当事者に対して、その人が何をしたいのか、まず本音を引き出して、そこに的確な情報を伝えるのが大事だ、ということ。そのときに、「今までラジオがやってきたことと似ている」と気づいたんです。さらに、住民に親切に寄り添う気持ちをプラスした「情報」を出すことで、ラジオはもっと頼りにされるんじゃないかな、って。
※1 様々な生活上の困難に直面し本人の力だけでは個々の支援を的確に活用して自立することが難しい人に対し、個別的かつ継続的に相談・カウンセリングを行い、問題を把握し、必要な公的サービスのコーディネートなど、自立に向けた個別支援を行う専門員。
小野寺 いざという時って、「災害」だけでなく、「日常」だったりしますからね。病気とか、介護とか、困窮とか……。
塩竃 そう、「こういう仕組みがある」というのを知っておくだけで、命や心が救われることがあると思うんです。
小野寺 今は「本人支援」が中心の社会なので、認知症や障がいなど、本人に対しての支援はあっても、それを支える家族などへの支援はなくて。支えている人への支援がないのは課題だなと思っていて……。
塩竃 そういう声って、自分たちでは注目するのが難しい部分もあるので、聞いている人から「こういう声も取り上げて欲しい」って出してもらえるのもラジオの良さかなと。
自分も高校生の時に、けっこう重い悩みをオールナイトニッポン※2に投稿したら、読んでもらえただけでなく、パーソナリティが「リスナーはどう思う?翌週までに送ってください」って呼びかけてくれたんです。翌週、本当にまた取り上げてくれて「いろんな意見があって、答えはないけど、これだけの考え方があることを知って欲しいから、これを全部送りましょう」って、僕に送ってくれたんです。それが「ラジオってすごい」と思った原点だし、この経験から「自分が答えを持ち合わせていなくても良い」と思えるようになりましたね。
※2 1967年10月に放送開始し、現在も全国的に人気を誇る「ニッポン放送」の看板番組。
小野寺 すごい経験ですね。でも同じように「みんなが思ってるけど口に出せないこと」って絶対あって、例えば「家族支援が必要だ!」って、誰かが言ってくれることで、それがムーブメントになることだってあると思う。ラジオにはそういう力がある気がしますね。
塩竃 「今〇〇で困ってます。困ってるけど言う場所がないからラジオに送りました」みたいな、本音を言える場所が、一関においてはラジオになるっていうか。それを一つの「情報」として僕らが伝え、それを聞いた誰かが一緒に考えてくれたり「あ、自分が助けても良いのか」って。それがコミュニティFMの根幹かなと思っています。
小野寺 今、地域では歴史あるお店の閉店が続いていて、この先も残念ながら続きそうです。地域性や地域文化とも言えるものがなくなっていくのをただ見ているだけというのは、本当に危機感でしかなくて。
塩竃 「コミュニティ放送がある町で、情報不足で人が亡くなるのは恥ずかしいことだからね」って言われたことがあって。閉店の話も、失くしてしまってから伝えるんじゃなく、その前に伝えて、何とかできないかと伝えたいですよね。そのためには、市民全員が取材班のような気持ちで、かなり早い段階で情報をもらえるような関係性が必要ですよね。
小野寺 失ってはいけないものが失われていく今、市民力でカバーしていくことが大事ですね。
塩竃 そうやって「失っちゃいけない」って口に出す人の存在も大事で。アナウンサーには立場上、言いにくいこともあるんです。なので「リスナー育て」も重要なんです。
小野寺 ラジオ局というクリエイティブな職業ができて、メディアの仕事がしたいという子の選択肢が地元にあることは大きな存在だと思うし、あとはキラキラした部分だけでなく、塩竃さんのそうしたマインドもつながっていくことを願います。
塩竃 誰かをスターにしたいのではなく、地域に活用してもらうことを模索していて、それが「あすも」を末永く残していくための道だとも思うので、民間主体の、健康的な放送ができる局であり続けたいと思います。