(idea 2023年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
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令和5年1月に田河津地区教育振興運動実践協議会らが開催した「多幸′sちいさな雪まつり」の様子
「田河津地区教育振興運動実践協議会」の会長であり「東山地域教育振興運動推進連絡協議会」の会長も担う。子どもの入学を機にUターンし(当初は単身赴任)、平成8年度に田河津小学校(当時)のPTA会長を、その後も旧東山町の教育委員を務めるなど、地域住民の立場で教育の現場に携わり続けてきた。昭和33年生まれ、東山町田河津出身・在住。
対談者 田河津地区教育振興運動実践協議会 会長 高橋 勝男さん
聞き手 いちのせき市民活動センター センター長 小野寺浩樹
旧東山町は28の行政区に分かれますが、子ども会組織は22(令和5年2月現在)。教育振興運動は3つの実践区(長坂、松川、田河津)で推進され、田河津地区が独自で組織していた「田河津地区教育振興運動実践協議会(以下、田河津教振)」は解散予定です。少子化の影響で、地域における「子どもの教育」が新たなフェーズを迎えつつある今、私たちが改めて持つべき「視点」とは?
(2回シリーズの後編 前編はこちら)
小野寺 田河津教振が始めた父母の会の活動発表会が、今は東山地域に広がり、子ども会による活動発表が毎年行われていますが(前編参照)、そもそも「子ども会」と「父母の会(育成会)」を明確に分けていることが今では珍しいなと感じます。
高橋 東山地域では、行政区毎に「子ども会」と「父母の会」もしくは「育成会」を置いたままのケースが多いと思います。ただ、「子どものための、子どもが運営する子ども会」という位置づけではなくなってしまったところも多いでしょうね。
小野寺 そこが気になっていて。最近は「子ども会」と言いながら、実態は「子ども会育成会」だったりしますよね。意味合いが全然違うのに、同じ扱いにされてしまっているのが、どうも引っかかるんです。
高橋 子どもが多い時は、高学年の子どもを中心として、夏休みの行事の計画、冬休みの行事の計画っていうのを子ども会として立ててたんですよね。
小野寺 我々の幼少期はまさにそうでした。
高橋 今の時期だとクリスマス会や正月行事とかね。でも子どもの数が減ってきてしまい、話し合いも成り立たなくなると、どうしても育成会とごちゃ混ぜになってしまって。せめて子どもたちがやりたいことがあって、それを親がバックアップするなら良いんですが、どうも親の敷いたレールというか……。
小野寺 「子ども会」って、子どもだけで純粋に運営ができていた時は、自治会の子ども版のような存在だったはずなんです。行政などが介入しない、純粋な住民領域のものであって。
高橋 確かに「子ども会」が子どもの手だけで運営できればこれ以上のものはないですけど、行政区では成り立たなくなったために広域にすると、子どもたちだけで集まれるかという問題になる。そうするとどうしても親が関わってきちゃうんです。
小野寺 我々の頃だと学校の中で子ども会毎に集まったりしましたが、今は学校も広域になり、先生たちも余裕ないですもんね。
高橋 なので隣の行政区や3つの行政区が一緒になって活動したら良いんじゃないかという話もありますし、田河津でも実際に隣同士一緒に活動している子ども会や父母の会はあります。
小野寺 先ほど同席させていただいた田河津教振の会議※1の中で、各父母の会代表者たちが口々に「個別の子ども会活動ができないので、田河津全体の子ども行事を企画してくれるのはありがたい」と発言されていましたね。
※1 令和4年12月15日に田河津振興会との共催で開催された「イルミネーション事業『夢灯り』打ち合わせ会議」。田河津地区内の各父母の会会長等のほか、東山小学校PTA会長、田河津振興会関係者、地区婦人会、老人クラブの代表者などが参加した。
高橋 やっぱり活動の中心は子どもたちです。子どもたちがいかに幼少期や小学校時代を楽しく地域の中で育んでいけるかっていうところを考えた時に、組織うんぬんではなく、一緒になってみんなで経験するっていうことが大事になると思うんです。自治会と子ども会の関係性もあるとは思いますが、私はどんどん一緒に活動する方法を考えて良いと思ってます。
小野寺 印象的だったのが、子ども会自体の統合を考えるよりも、田河津全体で行う事業を考えていく方向性の方が良いのではないかという発言。「どことどこがくっつく、という話より、どうせ24人しかいないんだから、今いる子ども全部で何かやれば良いんじゃない?」って、すごく良い提案でしたよね。
高橋 妥当だなと思いましたよね。昔は各自治会にそれくらいの子どもがいたわけですが、全体でも24人なら、各子ども会組織は残しつつ、一緒に活動するという方向性はありですよね。
小野寺 田河津教振の構成員として参加されていた婦人会や老人クラブさんも、子どもと関わる機会が減ったからと「喜んでイベントには協力します」という発言でしたし、そこに対して父母からも「婦人会なども巻き込んだイベントが年に1回でもあれば地域の繋がりもできてありがたい」という発言。素晴らしい会議でした。
高橋 田河津は10年程前に小学校がなくなり、令和4年には児童館がなくなってしまい、地元の子どもたちがどこでどんな活動をしているのかを把握できるような接点がなくなってしまったんです。児童館があった頃は、田河津市民センターの高齢者教室と児童館の子どもたちが一緒に運動会をしたり、婦人会さんの協力をいただいて夏祭りみたいなことをしたりね。そういう田河津の伝統のようなものが無くなってしまったので、子どもたちと一緒の行事が楽しみなんだと思います。
小野寺 地域と子どもたちが向き合える状況を模索しながら、動き続けているというのが素晴らしいです。
高橋 今日の会議は教振の会議でしたが、同じ構成員で田河津振興会(地域協働体)ができたわけですから、教振は振興会に移行して、その中の一つの部門や部隊として、社会教育事業を担っていけば良いんじゃないかと思っています。
小野寺 少子化や学校統合、そして新たに国が進めているコミュニティ・スクールなどによって、教振そのものが解体されつつありますが、協働体ができたことで、そこに教振が担ってきた機能を吸収させることができるわけですよね。
小野寺 少子化や学校統合、そして新たに国が進めているコミュニティ・スクール※2などによって、教振そのものが解体されつつありますが、協働体ができたことで、そこに教振が担ってきた機能を吸収させることができるわけですよね。
※2 文部科学省が進める「学校運営協議会制度」のことで、学校と保護者、地域住民がともに知恵を出し合い、学校運営に意見(地域の声)を反映させることで、「地域とともにある学校づくり」「特色ある学校づくり」を進めていく仕組み。
高橋 そうですね。振興会(協働体)の中に入ってしまった方が機能しやすいです。今は協働体が地域の生涯学習や社会教育を担う責任を持つという流れになっていますから。
小野寺 理想だと思います。ちゃんと歴史がありつつ、時代に合わせて変化していく。筋書きはちゃんとあるわけですよ。子ども会と父母の会(育成会)が一緒に活動することも、状況に合わせた進化を遂げていると捉えられますし、協働体のような補完の形でもありますね。
高橋 子どもや親がどういう活動をしたいか、それに対してどう応援できるか、というシンプルなことであれば、末永く続いていくんだと思います。それぞれの立場で、次代を担う子どもたちを育てていきたいですね。