(idea 2023年4月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
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背番号1番が石川愛礼選手
不来方高校、亜細亜大学で活躍後、東レアローズに入団。平成13年に現役を引退すると指導者に転身、亜細亜大学の監督を経て、平成19年より一関修紅高等学校男子バレーボール部の監督へ。
奥州市江刺愛宕出身、金ヶ崎中学校卒業。令和元年度全日本中学生バレーボール選抜(男女各12人)にもセッターで選ばれた。身長178㎝。※現在は日本体育大学に進学
対談者 一関修紅高等学校 男子バレーボール部 高橋 昇禎 監督
令和4年度キャプテン (セッター) 石川 愛礼 選手
聞き手 いちのせき市民活動センター センター長 小野寺浩樹
「日本一」を明確な目標として掲げながら、バレーボールを武器にした大学進学にも多くの実績を残している一関修紅高等学校男子バレーボール部。県内各地からはもちろん、青森や福島など、他県からも生徒が集まり、一関市で高校生活を送っています。部活動と学校選択の関係性を考えていくと、地域スポーツの在り方を含め、我々市民のマインドリセットが求められています。
(2回シリーズの後編 前編はこちら)
小野寺 「強い高校でバレーをしたい」という県内外生徒の受け皿の一つに修紅が位置付けられ始めていることを実感したわけですが、部員は何人くらいいるんですか?
高橋 ここ数年は各学年10人を目指しています。基本は特待生ですが、一般生も入部はします。ただ、やはり温度差はあって、憧れだけじゃ続かないですね。
小野寺 キャプテンとして、温度差があるのは大変だった?
愛礼 普段から緊張感がないとダメなので、同じ熱量でやらせるのは大変でした。チームとして練習に緊張感がなくなることがないように気をつけました。
高橋 私たちは、必ず生徒たちに「修紅バレー部の求めるもの」としてビジョンとミッションを共有するんですが、「強い人づくり」っていうのが僕らのモットーなんです。強い人間を育てたい。要はバレーを通じて彼らを鍛えて、世の中で通用する人間にしようっていうのが大前提なんです。
小野寺 確かにバレーとか、何かしらの機会がないと、鍛えられない場面もありますよね。
高橋 良いツールなんです、スポーツは。挨拶をする意味とか、感謝の気持ちとか、3年かけて自然とできるようになる。愛礼なんて、春高※1でテレビや新聞のインタビューにかなり応えたので、本当に立派になりました。
※1 「第75回全日本バレーボール高等学校選手権大会」にて、ベスト8をかけた3回戦まで進出し、岩手県勢初のベスト16入りとなったことで、複数のメディアに取り上げられた(前編参照)。
小野寺 3年間で内面が何か変わったなと思いますか?
愛礼 謙虚になりました。
高橋 愛礼の場合、中学生の時に日の丸を背負っていたので、とがってたんですよ。何で俺が試合で使われないの、って。
小野寺 修紅に入学する時には出れない覚悟はしてなかった?
愛礼 「すぐ出てやる」って気持ちだったんですけど、通用しなくて、焦った時期もあります。
高橋 してやったりですよね(笑)
小野寺 戦略のもとですか?
高橋 計画的挫折です(笑)だってこれからも挫折があるじゃないですか。大学行っても、全日本レベルの選手ばかりの中で、乗り越えなきゃいけない。全日本入ったら終わりじゃないし、愛礼はオリンピックまで行かなきゃいけないし。
小野寺 仕事の世界でも挫折はつきものですからね。
高橋 今、学校は「挫折しないように、させないように……」という流れですけど、生きていくためには挫折の経験も必要。人間関係もそうで、強くなるためにはエゴを出しあって、それでもまとまるのが仲間。本当に心が許せるヤツはチームに2~3人で良いんですよ。そんな話もしているつもりです。
小野寺 そういう指導者の考え方も重要ですよね。
高橋 指導者自身がブラッシュアップしていかなくてはならないですよね。だから私たちも月1回はスタッフミーティングしますし、春高のあとの反省会には3日かけました。私は修紅バレー部から指導者も輩出したくて。指導者って、勝たなきゃいけないという思いが強すぎると、「ティーチング」になる傾向があるけど、本来は本人たちに考えさせたり選ばせる「コーチング」が必要だと感じています。
小野寺 これから部活動の地域移行が進む中で、指導者の人材確保や育成は急務ですよね。
高橋 ある意味で部活動の地域移行※2はチャンスでもあるんです。実は「修紅バレーボール教室」として中学生を対象にバレー教室を週に1回やってたんです。私や生徒たちが教えることで、中学生を伸ばすことができるし、修紅の雰囲気をわかった上で入部につながることもあるし。
※2 スポーツ庁が取り組む「運動部活動改革」の1つで、まずは休日の運動部活動について、令和5年度から7年度末までの3年間を目途に地域移行(部活動を学校単位から地域単位の取組にする)することが基本とされた。地域単位の取組みの受け皿として、総合型地域スポーツクラブやスポーツ少年団、クラブチーム、民間事業者、フィットネスクラブ、大学等が想定され、それらの整備・体制づくりが求められている。
小野寺 愛礼君もVリーガー引退後は指導者を視野に?
愛礼 そうですね。地元に帰って来て修紅を強くしたいという気持ちはあります。
高橋 岩手はまだ部活含めスポーツはタダでするものだって思ってる世代が多くて。でも、今後は指導者にインセンティブが発生し、その対価として責任もって勉強しながら教えていくっていう機運にならないと指導者も伸びていきません。
小野寺 地域のスポーツ環境の在り方っていうのは、本当に問題提起しなきゃいけない時期だと思ってます。修紅バレー部は日本一を目指す環境にある中で、その背後にあるまち自体が変わっていかないと、修紅バレー部も伸びていかないし、一関の中学生にもそういう意識を持たせておかないと、せっかく市内に日本一を目指せる高校があっても、ついていけないわけで…。
高橋 我々も市民のみなさんに関心を持ってもらえるようにならなきゃならないし、関心持って欲しいですし。修紅だけで彼らを育てるわけじゃなく、一関市として彼らを育てていくっていうことを、一関市の誇りのように感じてもらえたら、この子たちが勝ったら嬉しいと思うんですよね。
小野寺 嬉しかったですよ。ましてや私立でありながら、ちゃんと校名に「一関」が入っているわけですから。
高橋 他県で活躍する子もいますけど、やっぱり高校くらいまでは地元・県内にいて欲しい。岩渕麗楽選手は練習環境は別だったにせよ、地元高校に在籍していたからあれだけ応援された。だから私はその環境を作りたい。愛礼は岩手に残ったから、絶対に応援されますよ。
小野寺 愛礼君、修紅のバレー部に入って良かった?
愛礼 はい、他の高校のようなエースバレーだったらやってても楽しくないんで。僕は3年間電車で通いましたが、一関で部員とご飯を食べたり、一関での高校生活も楽しみましたよ(笑)