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鍛冶屋業から発展し、江戸時代中期からは旅館業を営んできた“かぢや旅館”。日本百景 猊鼻渓が世に広まり、猊鼻渓舟下り創業の宿でもあります。かぢや別館は、昭和50年に新築。「らまっころ山猫宿」の名称は、旧東山長坂村縁の偉人・宮沢賢治が書いた「注文の多い料理店」の“山猫軒”からヒントを得ています。その世界観を表現する可愛らしい猫の置き物が、お客様を出迎えます。
(idea2019年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
「ここで旅館を営む理由は1つしかないと思っている」。東山町で代々旅館業を営む「かぢや別館らまっころ山猫宿」の女将(創業から17代目)、菅原行奈さんの力強い一言です。菅原さんは、5人姉弟の長女で、高校卒業後は進学・就職・結婚などで地元を23年離れ過ごしてきました。
そんな菅原さんが、生まれ育った故郷で代々継承されてきた旅館業を引き継ぐためUターンしたのは平成17年4月のことでした。
当時のかぢや旅館(本館の一部は代々菅原家の住宅として利用していた)は、菅原さんの母(16代目)の女将引退を機に、別の方が経営を引き継いでいました。しかし水害による建物への影響(平成14年の台風6号)や経営の傾きなどが重なり、旅館を閉館せざるを得ない状況に陥り、平成16年には完全に旅館としての機能を失ってしまいました。「このときほどショックなことはなかった」と菅原さんは当時を振り返り「この地この場所で脈々と受け継がれた宿。私たちが生まれ育った家。絶対に無くしてはならない。そんな強い思いが私を故郷に呼び寄せたのだと思います」と続けます。同じく旅館の復活に想いを寄せ、経営の先輩である妹さんの協力の下、「東山に来て下さったお客様が安心して泊まれる施設の提供を」と経営体制を一新し、別館は宿として復活することができました。
明治の建物でもある本館は、旅館としての復活までには至りませんでしたが、平成29年春のGWと、秋の唐梅舘絵巻期間中には、本館の一部スペースを開放。地元内外の個人作家による手作り雑貨などを販売する「うれし市」を開催し、人々が集える場所へと蘇りました。
菅原さんは家業を継ぐ以前、一度も経営や接客に携わることはなかったそうですが、女将として自然とお客様と向き合う中で、「私達には『おもてなしのDNAが流れているのだ』と感じた」と語ります。
今年4月17日にグランドオープンする、かぢや旅館の新たな取り組み「café&GuestHouse kaziya」(「カフェ&ゲストハウス カヂヤ」取材時はリノベーション中)は、菅原さんの息子さん夫婦(18代目)が運営し、若年層や地域住民の交流の場、海外や地域外からのお客様のほっと落ち着ける場として新たな歴史を刻みます。おもてなしのDNAはさらに輪を広げ受け継がれていくことでしょう。
菅原さんは、「閉館からの復活は簡単なことではありませんでしたが、ご先祖様がこの地で旅館業を営んできたその想いを継承しつつ新たな風を吹き込み、地域に恩返しをしながら、地元の情報発信・雇用・潤いに努めていきたい」と語ってくださいました。
17代女将 菅原行奈さん
郷土料理を盛り込んだお料理
落ち着きある園庭