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昭和39年、宮城県本吉町(現気仙沼市)出身で、タクシー運転手をしていた現代表取締役の父・三浦勝三郎さんが創業。当時、川崎村にはタクシー会社はなく(村内で同時期に1社創業)、御縁あって現在地に開業すると、同じく本吉町出身の妻と二人三脚で会社を切り盛りし、「地域の方々の足」として58年間親しまれてきました。平成21年からは市営バスの請負、平成25年からは川崎小学校スクールバスの請負、令和元年からは福祉車両の導入、令和2年からは「便利屋タクシー」として買い物代行等にも挑戦。学校体育館や地域の研修センター、ゴミ集積所等の鍵管理も行うなど、多様な地域ニーズに応えます。
(idea 2022年6月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
古くから人や物の移動、情報を伝達するための中継地点として人馬の往来が多く、気仙沼街道や北上川の舟運などが発達した旧川崎村。昭和13年に旧北上大橋が開通、昭和29年には一関気仙沼線として主要地方道に、昭和45年からは一般国道284号線の指定も受け、交通の往来は盛んでしたが、昭和20年代後半に各地でタクシー会社ができる中、同村にはタクシー会社がありませんでした。
昭和39年、同村初となるタクシー会社を設立したのは、現代表取締役の父である三浦勝三郎さん。20年前に二代目を息子に譲り渡したものの、現在も同社の一員として地域の交通を支えています。
「昔は鉄道(陸中門崎駅)の利用も多く、駅から『村内の○○へ、隣町の○○へ』という利用も多かったのですが、今は電車の利用も朝晩の学生だけですからね……」と寂し気に語るのは、現代表取締役であり、ドライバーでもある三浦啓さんです。
当初は村民待望のタクシー会社であり、需要に応えるように従業員も雇用していましたが、「昭和50年代以降は自動車の普及によってタクシーの利用は随分と少なくなりました。平成15年に薄衣バイパスが開通したことで車の往来は盛んですが、川崎町内は『観光』というよりも『通過』が多いため、タクシー需要は家族4人(啓さん、啓さんの妻、初代、初代の妻)で十分対応できる程度です」と、タクシーのみでは人の雇用が難しくなっていました。
そこで同社では平成17年の新一関市誕生を機に、庁用バスや市営バス、スクールバスの業務を受託。パート従業員ではありますが、地域の雇用の場も守り続けています。
川崎地域の地域協働体「川崎まちづくり協議会(以下、まち協)」の会員でもある啓さん。「まち協がうまく機能して、地域と企業が連携を図ることが今後は大切。高齢化社会になった今、まち協に積極的に関わることでこれまで気がつかなかった地域の課題が見えてきた」と、一住民として参加する中で「生活の足」に対する「気づき」があったのだとか。
「川崎は普段通る国道以外、実は山なんです。平たい通りしか分からないかもしれませんが、住居の多くは山間部にあるんです。高齢の方々は、市営バスがあってもバス停まで移動することが大変。ましてや足腰も弱ってきている。そういった方々の生活の足に、我々にできることは何かと考えました」と、力強く語る啓さんが4年前に導入したのが「福祉車両」。さらに、一関市に申請を行い「便利屋タクシー」として、買い物や診察券提出代行、飲食店等のデリバリー、タイヤ交換やバッテリーチャージなど幅広く展開中です。
「申請から1年、周知不足で実際には機能していない」と言いますが、今後は、山間部に住居を持つ高齢者などにも当該事業を周知し、「地域の方々の不安を安心に変えるお手伝い」に力を注いでいきます。
タクシーの多くは2駆ですが、山間部を走る同社車両は4駆です。
一関市交通指導隊員としても活躍している代表取締役の三浦啓さん。
令和元年導入の福祉車両
(4駆)。
DATA
〒029-0202
一関市川崎町薄衣字如来地13-8
TEL 0191-43-2340