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一般住宅や店舗・事業所等の新築、増改築・リフォームの他、給排水工事、解体工事等を行う同社。現代表の祖父が川崎町薄衣地内において大工を生業とし、そこで学んだ父が昭和24年に同町門崎地内で独立、大工職人としての技術を学ぶ場として訓練生(弟子)の受け入れを始める。個人事業主としての大工業を平成元年4月に現代表が法人化させ、訓練生を職人として雇う形で技術を継承。昔ながらの「現場で学ぶ」は一貫しつつも、時代に合わせた建築工法を取り入れ、従業員が働きやすい環境づくりや人材育成にも尽力。「住まいづくり」が時代によって変化する中で、確かな技術の継承を行う。
(idea 2025年1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
「お客様の暮らしを想い、寄り添った健康的な家づくりの提案をモットーとしています」と語るのは、有限会社 川崎工務店の現代表・佐藤一男さん。「父が昭和24年に独立して以降、地域の方々から支えられ、色んな方から紹介をいただいて大工仕事の範囲を広げてきました。身上がり(独り立ち)するには4年~5年かかる生業で、父が訓練生を現場に連れていく姿を覚えています。弟子の中には技能オリンピック(技能五輪全国大会)への出場や、大臣表彰(国土交通大臣顕彰(建設マスター))を受けた方もいて、父も誇らしげでした」と、当時を振り返ります。
昭和50年代後半になると、訓練生を希望する若者が少なくなっていき、新卒者においては徐々に「職人」という生業よりも「会社員」を選択する人が増えていきました。「父の職人気質の運営だけでは、今後、技術の継承もままならないのでは?」という懸念を抱き、法人化を決意した佐藤さん。
自身も父の背中を見て育ったため、技術を継承していきたいという思いは強く、親戚などからの助言も受け、「個人で職人を育てる」から「地域の雇用の場として技術を学んでもらおう」という変化の平成期を迎えます。現在では従業員11名中、有資格者(建築士等)は5名おり、それぞれの得意技術を活かして活躍中です。
明治以降、「住まい」としての「家」は、村の行事や冠婚葬祭などの集まりで使用していた背景もあり、普段は使わない床の間座敷(和室)を設けた平屋が多かった当地域。戦後、高度成長期を迎えると、平屋の茅葺屋根家屋から瓦屋根の二階建ての木造住宅に建て替える家も多く、大工の需要は高まりました。当時は多世代が暮らし、冠婚葬祭も一家の大イベントだったため、「床の間座敷は絶対に必要」という考え方も多く、職人としての技量も試されるものだったのだとか。
現在では、子どもが独立し、夫婦二人だけとなった二階建て木造住宅から、管理がしやすい平屋にリフォームしたいという相談が増加。同社では、市内でもいち早く「高気密高断熱工法FPの家」の加盟店となり、リフォームでもこの工法を取り入れることで「快適で健康的な住まいづくり」を提案しています。
佐藤さんは、「法人化以降、途中で退職をする社員は今のところいません。社員あっての会社なので、『働きたい』という意思があればその思いを活かせる環境にしていきたいと思っています」と語り、「川崎町の一大イベント『Eボート大会』には毎年総出で参加し、決勝まで進みます(令和5年度は優勝)。地域行事へ企業として参加できるチーム力も強みですね」と笑顔で続けます。
新たな工法が学べる環境や技術を磨くための現場作業を通じて、祖父から受け継ぐ職人魂と、父から受け継いだ後継者育成の思いを次世代へ繋いでいきます。
現代表の佐藤一男さん。
平成7年高気密高断熱工法FPの家の加盟。平成17年スタンドバイホーム加盟。
モデルハウス(一関滝沢)展示場では、社員企画によるワークショップも開催。