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3億5000万年前の地層を持つ鍾乳洞「幽玄洞」は、全長500mの洞内に鍾乳石や石柱、つらら石、地底湖など自然の造形美に溢れ、側面にはウミユリや三葉虫など、当時の生物の化石が多数露出しています。特にウミユリの「がく」が岩盤上では日本で初めて完全形に近い形で発見されたことから、幽玄洞は学術的にも脚光を浴び、「自然洞窟博物館」というキャッチフレーズが付けられました。幽玄洞の魅力だけならず、スタッフが収集した地域情報(ローカルネタ)を、週1~2回程度、自社のホームページで発信することにも注力しています。
(idea 2021年4月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
石灰岩質の山に囲まれ、古くから石灰の町として知られる東山町には、多くの洞穴があります。その一つにロマンをかけたのが、有限会社幽玄洞観光の初代代表取締役社長・渡辺和男さんです。
昭和55年、洞穴の土地を所有する安養寺で、洞内の様子を耳にした和男さん。町内の有志2名とともに、旧東山町に観光地化を目指した共同開発の話を持ち掛けるも「規模が小さいため不適当」という調査結果により、協力を得ることに失敗。諦めきれなかった3人は起業し、独自で洞穴の開発工事※1に着手します。
※1 昭和55年の第1次開発工事では内部清掃作業や洞内調査。昭和56年に古生代生物・ウミユリの「がく」の化石発見。昭和57年、第2次開発工事で支洞を開口。平成5年の第3次開発工事では現在の入り口を掘り当てることに成功。
人間一人がやっと入れるほどの洞穴にポンプで水を注入し、内部の泥を取り除く作業を根気よく続けていくと、なんと、奥行き130m、高さ2mを超す美しい鍾乳洞が出現!
昭和56年3月、「この世のものとは思えない幽玄な世界」であることから「幽玄洞」と名付け、見事に観光名所化させたのです。
和男さんの息子であり、現代表(5代目)の渡辺和敏さんは「開発は先が全く見えず、家族会議の中で私たちは猛反対でした。でも父は『商売の博打はしろ』という人だったので……」と、当初は反対の立場だったことを明かしつつ、「ここは洞窟としては非常に小さい規模ですが、岩盤上でほぼ完全形で発見されたウミユリの『がく』の化石は日本で唯一。オンリーワンの場所です」と誇らしげに語ります。
東山町内には高等学校がないため、地元の中学生は地域外の高等学校等に進学せざるを得ません。「いつまでも故郷を忘れないで」「地元の景観に誇りをもって」という思いから、卒業記念として、約25年前から地元の中学3年生を幽玄洞に招待しています。
「今年はコロナ禍の密を避けるため、一斉招待ではなく、入洞券の寄贈という形にしました。これをきっかけに、改めて地元の貴重な時の流れを洞内で感じ、そして誇りに感じてもらえればと思います」と語る和敏さんも、一度地元を離れ、経験を重ねてUターンしてきた一人。「希望溢れる次世代のために、この洞窟の景観を残し続けたい」と続けます。
現在、地域情報の発信にも力を入れている同社。「洞窟には四季がなく、年中同じ風景です。そこでスタッフが地域をめぐり、花々や虫、川、紅葉や雪景色等の四季が伝わる情報のほか、地元の食堂情報や学校の行事、地域活動など、本当に身近な話題を様々提供しています。将来的には地域の情報を持ち込んでもらえるような『ホッとな場』になればいいなと模索中です」と、地域に根差した観光地として、幽玄でありながらも身近な空間を提供し続けます。
洞内の見どころ「豊乳浄土」。洞内の気温は年中一定。夏は涼しく、冬は外よりも温かい。
洞窟に隣接する
「幽玄洞展示館」
5代目代表取締役社長・渡辺和敏さん。もともとは、同町内和光堂(文具書店)の代表。
一社)一関観光協会東山の会長も担っています。