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前身は花泉町油島で昭和50年に創業した「(株)東北通信花泉(代表取締役赤堀恵秀さん)」。一関市の工業団地への本社移転を検討していたところ、川崎村(現一関市川崎町)から誘致され、平成4年、本社を移転新設し、株式会社サクシーディングに改名。日立製作所(奥州市水沢/現在閉鎖)の協力工場として、弱電部品の製造を行っていたが、平成7年、異業種・事業転換に関する国の補助事業を活用し「電気機械器具製造業」から金属機械加工業の「精密機械器具製造業」に転換、現在は「生産用機械器具製造業」となる。令和3年、息子の赤堀剛司さんが2代目代表取締役に就任。仙台にも営業所を構える。
(idea 2024年1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
「絶えざる創造への活動」を経営理念に掲げる株式会社サクシーディング。社名「Success(成功)+ing(進行形)」で「常に創造して進んでいく」という意味の造語です。
全国各地に取引先がある同社。「多品種小ロットを扱う企業は少なからずあるが、弊社の場合は基本的にお客様からの一品一葉(様)図面に対しての製造。作るものは1個ないし2個」と、2代目代表取締役の赤堀剛司さんは同社の特徴を語ります。
同社が扱うのはプレス金型のノウハウを駆使した、精度の高い金属加工と設備関係の精密機械の治具加工。当初は、前身企業が昭和50年代から製造していたブラウン管テレビ部品が主力でしたが、液晶テレビの発展で需要が激減。カセットレコーダーのメカやビデオデッキなどの「弱電部品」、パソコン用のモニターも製造・組立していましたが、各種部品製造とともに、製造や組立等に使用するための「ピン」や、位置決めのための「ブロック」などの「治具」を自社製造していた背景もあり、平成7年から、現在の「治具加工・製造業」へと転換しました。
「平成初頭のエレクトロニクス産業は本当に目まぐるしく変わり、翻弄されましたが、国の補助を利用して『SPFフォーミングマシーン』を自社開発するなど、経営理念のもと私たちが得意とする分野を増強し確立することができました」と振り返る赤堀さん。「他の製造業の『モノ作り』のための『機械の部品作り』をメインにしているので、『私たちは〇〇を作っています』と言えず、未だに『何の会社?』と聞かれます。マニアックな会社ですよね」と、笑顔で続けます。
平成14年には医療用具の製造認証も取得し、自社製品として歯科矯正用の矯正装置(ブラケット)も製造する同社。組立をしていた当時は200名程の従業員がいましたが、現在は機械1台に対し1~2名、または機械複数台に1名なので、従業員数は15名で平均年齢30代。積極的に地元の高校生を採用し、技術者として育成しており、「コロナ禍を経て再び学校に出向いて説明できる機会が増えてきたのはありがたい」と、引き続き人材確保に意欲を見せます。
そんな同社が業務を行う上で最も大切にしていることは、現場の人間同士での「話し合い」。「製品を生み出すための治具」をゼロから製造するという特殊な仕事であり、平均年齢が若い分、経験不足をカバーするために、取引先も巻き込んで「みんなで意見を出し合いながら加工を進めている」のだとか。夏はバーベキュー、秋は芋煮会を行うなど、従業員の交流機会が多いことも、日頃の「話し合い」を円滑にしています。
今後について「地元の方を採用することで技術を継承し、新たな創造を生みながら日本全国の製造業を支えていきたい」と力強く語り、縁の下の力持ち企業であり続けます。
代表取締役赤堀剛司さん。
真っ赤な本社外観。北上大橋から見えた時期には話題にもなった。
設備の充実でミクロン単位の精度を追求。