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婦人スラックス・スカートの受託加工及び製品プレス仕上げ、納品業務に付帯する各種事業を行う。昭和56年4月、一関市宮下町で6坪程度の作業場から夫婦二人三脚でスタート。翌年、従業員6名を雇用すると、同市山目字十二神に移転(同時に有限会社化)。昭和61年9月には、業務拡大のため一関市赤萩に新築移転。従業員の働きやすさを考慮した新工場を設立すると、翌年組織変更(株式会社化)し、現社名へ。
令和8年で創業45周年を迎える中、「技術の継承」と「技術の信頼」にこだわり続け、その仕上がりは一流デザイナーが認める美しさです。
(idea 2023年11月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
「ミシンの音が響く場所で、『流行』は生まれる」。そんなキャッチコピーのもと、大手メーカー製品の縫製を手がける「株式会社スキルギャランティ」。代表取締役の千葉繁さん(奥州市衣川在住)が一関市宮下町に、デザイナーズブランドの裁断・ソーイング全般を請け負う事業を立ち上げたのは昭和56年でした。
「小さな社屋から始まった企業ですが、社名の『技術を保証する』の名にふさわしい企業となるよう、時代に合わせ成長してきました」と、創業25周年(平成18年)の記念写真集に目を細めます。
翌年、従業員の雇用や業務拡大で社屋を移転(同市山目字十二神)。さらに昭和61年には、現住所(同市赤荻)に工場を新築。当時の従業員も「私たちの会社」という強い思い入れがあり、数々の工夫がなされました。「当時の工場としては珍しく、床暖房を入れました。縫製業は女性が多い職場なので、足腰の『冷え』を考慮しての導入です。これは従業員の『声』でもありました。また、市内外でも非常に珍しがられたのは、企業内託児所の設置ですね」と、千葉さん。将来の技術者を育てるべく、市内高卒者や若者を多く雇用していた同社では、昭和60年代から平成10年頃にかけて、結婚・出産を迎える従業員が多かったこともあり「安心して働き続けられる環境を」と、社屋2階に託児所(専属保母2名雇用)を併設したのです。
「ここを巣立った子どもたちは80人ほど。保育園や幼稚園の入園後も、各園バスが弊社前で子どもたちを降ろし、小学校に入学しても学童的な形で利用するなど、夕方には大勢の子どもたちで託児所が賑わいました。私も子どもたちのために季節ごとのイベントを企画したものです」と懐かしそうに振り返ります。
将来を見据え、平成初頭からは、受注内容をデザイナーズブランドから婦人スラックスやスカートなどの、規格が明確な量産品に徐々に切り替え、大手メーカーからの大量発注にも応える生産体制を築いてきた同社。平成13年からは外国人技能実習生(以下、実習生)も受入れ、託児所スペースは実習生の居住スペースに変わりました(託児所は需要減で閉所)。
「技術が国を超えて継承されることもまた時代の変化」と千葉さん。平成18年に開催した創業25周年記念事業では、実習生が自ら製作した伝統衣装でファッションショーを開催するなど、「日本の父」として交流を深めてきました。
令和2年には独自のホームページを立ち上げ、パンフレットも一新。「コロナ過で工場見学ができない状況もあり、『スキルギャランティは何の仕事をしているの?』に応えたかった。若者が視覚から得られる情報で興味を持ってもらえれば」と、情報発信に力を入れています。
モットーは「What Can I Do?」。確かな技術と品質で、一関で縫製された商品が全国に届けられています。
社屋と工場外観。
他社工場以上に「中間アイロン」に時間をかけるのがこだわり。
記念写真集を眺める代表取締役の千葉繁さん。