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昭和52年7月創業。鮮魚店を営んでいた先代(現代表取締役の父)の「魚のアラは廃棄ではなく、肥料にする」という考えから、「限りある様々な資源を大切にし、地球環境や資源の保護をしよう」と、一般廃棄物、産業廃棄物等収集運搬(一関市委託)・リサイクル回収(古紙、鉄、非鉄、ビン類、プラスチック類等)・産業廃棄物中間処理業(溶融・破砕・再生)など、一関市(昭和57年2月~)や岩手県(平成元年2月~)・宮城県(平成15年7月~)の認可を得て業務を拡張してきました。平成22年に狩野勝彦さんが二代目代表取締役として運営を引き継ぎ、事業体制を見直し、地域社会に根付くための人材教育(意識改革)に力を入れています。
(idea2019年9月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります
※パッカー車=塵芥車(じんかいしゃ)=ゴミ収集車
「私たちの使っているものの多くは木や石油などから出来ていますが、地球の資源には限りがあるもの。毎年、紙の原料として、あるいは木材や燃料として木が切り出され、森林がなくなっているのが現状です。私たちが生活の不要物として出すごみの中には、資源としてもう一度使えるものがたくさんあり、そのためには資源廃棄物を分別して出すことが大切なのです」と語るのは、代表取締役の狩野勝彦さんです。「今でこそ、ゴミステーションが地区内に多数設置され、燃えるゴミと燃えないゴミの区分けがされていますが、そういった機能がなかった時代は不法投棄も多くありました」と続けます。
学生時代から家業の手伝いとして通学途中にゴミステーションチェックをしていたという狩野さんは、高校卒業後、産業廃棄物処理業について多くの知識を得るため、盛岡市内の同業種企業に就職し、企業の運営そのものについても学んできました。
平成22年、思いがけず早々に地元に呼び寄せられた狩野さんは、急逝した先代の跡を継ぎ、代表取締役に就任。前職で学んだノウハウを基に「企業理念に基づく運営」と「従業員が安心して仕事ができる体制づくり」を徹底し、従業員の仕事に対する意識改革に努めます。
「もともとは家族経営から始まった企業なので、以前は公私混同する部分や、『ごみを扱う』ということから、なり手不足や業界の古い体質による従事意識のズレもあった」と当時を振り返り、「5人程度から始まった企業でしたが、今ではお陰様で36人の従業員と共に『限りある資源や美しい自然を次世代に残していくために私たちのできることを日々全力で取り組もう』を合言葉とし、地域の皆様に理解していただきながら展開しています」と続けます。
同社では、県内でもいち早くゴミ収集車にドライブレコーダーを取り付け、それを活かすべく「こども110番の車」の巡廻窓口として、平成28年6月、一関警察署と活動に関する覚書を結びました。これは一関警察署管内初の試みで、「地域の安全に関する活動を推進し、犯罪の未然防止と早期解決の一役を担い、安全で安心して暮らせる地域社会の実現を目指す」ことを目的としており、子ども達や女性が危険に遭遇した時の具体的な保護方法や、不審者(不明者)発見時の対応・連絡の流れについて同署生活安全課の担当者を招き研修も行いました。また、同年11月には、一関市と協定を結び、「高齢者見守りネットワーク事業」の協力事業者として、関係機関(警察及び消防など)と連携し、ひとり暮らし高齢者などの見守りサポートも行っています。最後に「当社では、子どもからお年寄りまで幅広い方々を見守り、地域の防犯活動などに今後も努めていきたいと思います」と語っていただきました。
代表取締役社長 狩野勝彦さん
「設置場所を提供していただければ、無償でゴミステーションをおつくりいたします」
年数回開催する環境美化活動。黄色旗が目印です。
黄色のパッカー車。今日も市内をパトロール。
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