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「株式会社和興(以下、本社。代表取締役社長 國分博史氏)」の自社工場である「株式会社和興ニット岩手(以下、同社)」は、カジュアルやスポーツウェアを中心とした、婦人服のニット製品をメインに縫製を行う。昭和4年、現代表の曾祖父(初代)がミシン一台から縫製業を始め、現代表の祖父が「國分メリヤス株式会社」を設立(昭和31年)。「和をもって興す」という信念のもと「株式会社和興ニット」へ社名変更を行い(昭和41年)、旧藤沢町で初の誘致企業である同社を設立(昭和43年)。昭和60年に新しい工場を落成(現住所)し、平成5年、本社名を「株式会社和興」へと変更(平成27年)した。
(idea 2025年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
昭和20年代、戦時中の衣服は配給制のもとに置かれていました。戦後は、食料に換えるなどして元々少なかった衣服が極端に不足し、各家庭で古い生地を縫い合わせるなど工夫して補充していたと言われています。昭和30年代には高度成長期を迎え、縫製繊維が数多く市場に出回り、都心近郊の工場生産が盛んになりました。地方の学生らが集団就職として縫製工場に務めることも多く、縫製業界の成長期を迎えます。
昭和40年~50年代に入ると、縫製工場の地方進出が盛んになり、同時期に本社の自社工場として旧藤沢町に同社が設立。専業農家が多かった旧藤沢町においては、季節や気候に左右されない安定した収入が得られることや、女性が活躍できる職場として期待されました。
設立時から町内の廃園した保育施設を活用していた工場は、昭和60年に現住所へ移転し、2階建ての新しい工場に。「最盛期で130人以上の従業員がおり、当時は車の免許がない婦人層も多く、マイクロバスの運行も行っていました。その頃は工場の2階も使用するほど、アパレル衣料品の需要が高かった」と語るのは、同社取締役工場長の及川利一さんです。「この業界は、5年~10年スパンでファッションやアパレルの変動があると感じています。特にニット製品の衣服は、平成10年以降から海外生産に移り、大変厳しいものかなと……。それでも、『我々がこれまで培ってきた縫製の技術を次の世代に継承しなくては』という使命感があります」と続けます。
現在の従業員は20代から70代までの26人。「地元の縫製業にも興味を持ってもらえるように」「将来地元に就職したいと考えるきっかけになるように」という想いから、町内中学校の職業体験を毎年受け入れ、衣服が出来上がる工程を学生が間近で学ぶ機会を大切にしています。
熟練スタッフが多数在籍している同社。これまで数多くの国内アパレルブランドの商品を手掛けており、確かな技術と品質はもちろん、細やかな気遣いや着る人への真心がこもった「ものづくり」にこだわっています。
「ニット素材は、綿や麻といった天然糸やポリエステルといった合繊など、さまざまな素材が使われており、素材によって機能も多彩です。うちではニット製品をメインに裁断から担当しています」と及川さん。「今の時代はもっと手の込んだものを生産していかなければならない」と考える同社は、縫製業界の時代の変化に合わせ、市内の同じニット製品を扱う別企業体と協力しながら、国産のニット製品生産に力を入れています。
現在は、本社にて国産の和紙100%の製品を糸から開発し、自社ブランドとして国内外に発信中。現代の技術で、和紙自体が持つ調湿性や抗菌消臭作用等の機能を活かし、衣服にも転換。地球と人に優しい縫製に尽力しています。