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昭和33年に創業した株式会社丸光製麺(代表取締役社長 熊谷茂さん)は、宮城県気仙沼市に本社を置き、「気仙沼の家庭には丸光製麺の麺が常に買い置きされている」と言われるほど地域に密着した気仙沼市唯一の製麺店でした。平成23年の東日本大震災の津波によって本社工場は壊滅的被害を受けますが、震災の翌年には縁あって一関市藤沢町に工場を再建し、親子三代にわたるこだわりの製麺業を復活させることができました。
(idea2019年4月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
株式会社丸光製麺は、うどん・そばを中心に生麺にこだわりを持った製麺店で、麺に付属している天ぷらやスープなども同社で製造しています。
そんな同社に転機が訪れたのは東日本大震災です。多くの得意先を失い「一時は廃業という言葉も頭を過りました」と言う専務取締役の熊谷敬子さんですが、「もう一度丸光の麺を食べたい!」というお客さんの声に励まされ、代表取締役社長であるご主人と共に「とにかく一歩ずつでも事業を立て直そう」と、地元気仙沼市での再建に向けて動き出します。しかし、新しい土地の取得と工場建設に3億円以上もの費用がかかるという見積もりが示され、再建への壁になります。
そんな時、気仙沼市出身で一関市在住の知人から「地元に牛乳加工工場の施設が空いているようだ」という情報を得ます。元々同社の営業は岩手県住田町から宮城県仙台市までの三陸沿岸が中心で、内陸への進出はほぼありませんでしたが、藁にも縋る思いで施設管理元へ連絡。さっそく現地を確認してみると、水も電気も通っており、建物がちゃんとあるという嬉しさに加え加え、「『ぜひこの建物を使ってください』と他県で起業した私達を快く迎え入れてくれる一関市の優しさにも惹かれました」と、2人は一関市での再建を決意します。
「再建場所は見つかったが機械設備がない。お金がないから買うこともできない」新たな局面に立たされた同社は、ミュージックセキュリティーズ(株)の被災地応援ファンド(※)と出会います。「親戚や友人ならいざ知らず、全く知らない会社に対して1万円でも出資しようという人がいるとは思えませんでした」と語る敬子さんですが、日本全国、精力的なプレゼン活動を通し「丸光を復活させたい!」という力強い思いが伝わり、比較的早い段階で目標額を達成しました。
集まった資金を基に設備を整え、なんと震災翌年に藤沢工場が誕生。「地元の方々、知人、ファンドの出資者など、多くの丸光ファンに支えられ工場を再開することができました。平成24年11月は、丸光製麺〝第二の創業日〟。 次の50年に向けて、これまで通り『こだわりの麺』を提供していきたいです」と敬子さんは語ります。
(※)東日本大震災の被災から立ち上がろうとする事業者を、出資を通じて応援する仕組み。インターネットを窓口とし、一口一万円という小額から出資できます。
「家娘と間違われるけれど、嫁です」生まれ育ちが東京である敬子さんは、自らを「チャキチャキの江戸っ子」と称し、「やりたいことをまっすぐ突き進むタイプ」と分析。無類の魚好きが高じて20年前に気仙沼市へ嫁ぎ、震災後はたった一人の営業担当として全国を駆け巡っています。
「今後はうどんやそば、スープなどの製造に加え、一関市ならではの食材を用いた商品開発に力を注いでいきたいです」と抱負を語ってくださいました。
商品開発もこなす
専務の熊谷敬子さん
「気仙沼海鮮ふかひれ生ラーメン」第11回みやぎものづくり大賞 優秀賞
現在従業員募集中。
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