毎月さまざまなテーマで地域づくりについて考えていくコラムです。
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第11話(idea2020年2月号掲載)
地域づくりに関しての話し合いをしていると「社会教育が疎かになったから役のなり手がいなくなってしまった」という声が聞こえてきます。社会教育が疎かになることによって役のなり手がいなくなる?市民センターで各種講座など今なお盛んに事業が実施されており、社会教育事業が行われているようにも見えますが、何が違うのでしょう?
文部科学省は、「社会教育は、地域住民同士が学びあい、教えあう相互学習等を通じて、人々の教養の向上、健康の増進等を図り、人と人との絆を強くする役割を果たしている。これに加え、現代的・社会的な課題に関する学習など、多様な学習活動を通じて、地域住民の自立に向けた意識を高め、地域住民一人一人が当事者意識を持って能動的に行動(「自助」)するために必要な知識・技術を習得できるようにするとともに、学習活動の成果を協働による地域づくりの実践(「互助・共助」)に結びつけるよう努めることが求められている」と社会教育の役割について説明していますが、ちょっとややこしいので要約してみます。
【要約】「社会教育とは、現代的・社会的な課題に関する学習を通じて、地域住民の意識を高め、地域づくりの実践に結びつけるように努めること」
社会教育の専門分野の方からは、違うぞ!と指摘されるかもしれませんが、社会教育は地域づくりを進めるために住民の育成をすることと考えれば、社会教育と地域づくりは別物ではない、つまり地域づくり活動に取り組んでいる=社会教育に取り組んでいるとも言えるのです。
では、なぜ「社会教育が疎かになった」と言われてしまうのか?
それは、時間の経過とともに変化した「社会教育のあり方」が原因と考えます。社会教育の元は、戦後復興期の真っ只中に、地域をリードする人を育成することが必要で、そのためには地域の拠点となる「公民館」の建設を進めようという「寺中構想(昭和21年)」にありました。昭和24年に社会教育法が施行され、公民館にて「社会教育」を行うことになったのですが、豊かな時代になってくると、「生涯学習」という考え方が広まりました。
生涯学習は、「生涯にわたる教育の充実」を意味し、それは「個人の視点」が基準になります。そのため、学びのニーズは多様化かつ趣味教養を中心にしたものが多くなり、公民館はいつしか「カルチャーセンター」と化してしまったと言われるくらい、生涯学習の時代になりました。
「個人の学び」の充実は進んだものの、「現代的課題に関する学習の機会」が少なくなったために、「地域をリードする人の育成」が疎かに。そのことが「社会教育が疎かになったから役のなり手がいなくなってしまった」という意見につながってくるのでしょう。ですが、フォローさせてください。社会教育事業は、疎かにはなっていないんです。市内の市民センター事業を見てみると、地域性や個性ある事業をしっかりと行っています。
では、何が疎かの原因になっているのか?それは、「市民センターに通う住民が少なくなったこと」です。いまは、インターネットやスマートフォンの普及が進み、手元で検索できる時代。わざわざ学びに行かなくても、いつでも、手軽に調べることができてしまいます。
でも、「調べる」ことと「学ぶ」ことは違うはずです。学ぶことは考えること、みんなで意見を交わすことであり、一人ではできません。
これからの市民センター事業や社会教育事業には、問題を提起し、わざわざ市民センターに来たからこそ考える、意見を交わす、そんな事業が必要なのだと感じています。