毎月さまざまなテーマで地域づくりについて考えていくコラムです。
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第31話(idea 2021年10月号掲載)
「まちづくり」……なんとも響きのいい言葉です。この言葉を使えば、魔法をかけるかのようにまちを変身させることができる、そんな錯覚を覚えるのは私だけでしょうか?一方で、「地域づくり」となると、土臭くて、住民感情が入り乱れ、手を出したくないイメージが。
言葉とは、伝える手段としては必要なものですが、使い方を間違えるとモノゴトの本質を崩してしまうもの。特に最近は、IT用語やビジネス用語で用いる横文字が日常でも多用されているため、その言葉の本質を知らずに使っているうちに、モノゴトの本質が崩れてしまっている……という事案が見受けられます。
当センターでも「Community Design(コミュニティ・デザイン)」という言葉をロゴマークの中に使用していますが、これは、我々が‘デザイナー’であることを表現したくて使っている訳ではありません(本来の意図は「デザイン」を辞書で引いていただければ推測いただけるはず)。それにしても、この「デザイン」という言葉、麻薬のような、人を虜にする強い力を持った言葉であると感じています。そのせいか、最近、多いですね……「なんとかデザイナー」と謳う人が……(特に「まちづくり」の業界で)。
毎月、文通(お互いにフリーペーパーのやり取り)をしている秋田県出身・在住のデザイナー「澁谷デザイン事務所」の澁谷和之さんと「デザイン」について議論したことがあります。澁谷さんには当センター主催の「みちのくワークショップフォーラム」の講師として何度も一関に来ていただいているのですが、お互いに一致したのは、「デザインという言葉が要らない社会になること」です。
デザインという響きは、キラキラした世界を彷彿とさせ、デザイナーは‘魔法使い’のようなイメージに。でも、実際、デザイナーの仕事は、クライアント(依頼主)から当該依頼に至る背景を聞き、伝えたい「本質」はどう表現すればより伝わるのか、その表現の具現化を支援する仕事であって‘魔法使い’ではないからです。決してキラキラした世界ではなく、表現こそインパクトを与えるかもしれませんが、表現を考えるために地味に地道に研究し、表現方法を考える粘り強さが求められる仕事です。これは、地域づくりを生業としている我々も同様で、地域の皆さんと現状や課題について考え、どのように課題解決していくのか、今はできなくても中長期的な視点で、どのように導いていくのかを考える地味で地道な仕事であるのです。
澁谷さんは、自身のフリーペーパーでこんなことを書いています。
「日々、何気なく暮らしていると、なんとも耳障りの良い言葉が私たちの身の周りを支配していることに気づかされます」
「『リノベーション』とか『イノベーション』とかいう横文字の恐ろしいこと、恐ろしいこと……。ここ数年で一過性のファッションのように流行る『リノベーション』という実感のない言葉。空き店舗や空き家を再生させることを意味する言葉なのだろうけど、一度息絶えた場を再び息づかせるということは、そんなに甘っちょろいものでもないし、もっと、泥くさくて、ホコリっぽくて、オシャレとは縁遠いことだろうと僕は思うのです。
町を再生させていくことが、ファッションのように、流行として、不自然なスピード感で進むことの恐ろしいことよ。『リノベーション』なんて分かったような気にさせる言葉じゃなくって、『雑巾でホコリを拭き取って、人が居心地良くすること』とか、そんなふうに、分かり易く、やさしく嚙み砕いた言葉が機能することを僕は願いたい。
『デザイナーズマンション』なんて言葉は(中略)『デザイン』という思考を、ただのオシャレとか、キレイとか、カッコイイとか、そのようなモノとしてしか認識していない、オシャレかぶれの人間が作り出してしまった、それはそれは悲しい言葉。」
「言葉が乱れ、その輪郭を失い始めた時、いよいよ日々を輪郭づける『デザイン』は大きな音を立てて崩れ落ち、朽ちていくと想像します。 (『泣いたナマハゲの天気読み』2021.2月号)
まちづくり、地域づくりが「ブーム」になっているということは、ずっと指摘していることですが、澁谷さんの言うように、「新しい横文字」と「まちづくり」が‘オシャレを楽しむのと同等の扱い’になっていることに地域運営の落とし穴が潜んでいると考えます。本質を見失うからです。だから、我々は、デザイナーではなく、地域の成り立ち、土臭さ、住民感情すべてを引き出し、「みんなが暮らす地域」をより深みをもって描きたい、そんなことを日々考えています。