毎月さまざまなテーマで地域づくりについて考えていくコラムです。
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第33話(idea 2021年12月号掲載)
地域の「困りごと」が増え、‘課題解決のための地域づくり’が優先的になっている今ですが、「地域文化」「文化活動」にも目を向ける必要があります。
‘課題解決の時代’なので、少子化対策や高齢化対策、コロナ対策などが優先順位の上位となり、「地域文化」に関する取り組みや「文化活動」は後回しにされがちです。しかし、「地域文化」とは‘その地域の成り立ち’であり、「特色」です。「地域らしさ」と言い換えることができます。「地域らしさを活かした地域づくりを!」という合言葉もよく見かけますし、「地域文化という視点」は忘れてはいけないものなのです。
文部科学省の「文化審議会文化政策部会」がまとめた報告書『地域文化で日本を元気にしよう!』の中で、「地域文化を振興する意義」の1つが以下のように述べられています。
地域の豊かな自然や言葉、昔から親しまれている祭りや行事、歴史的な建造物や町並み、景観、地域に根ざした文化芸術活動等は、それ自体が独自の価値を持つだけでなく、住民の地域への誇りや愛着を深め、住民共通のよりどころとなり、地域社会の連帯感を強めることにも資することから、地域づくりを進める上で重要な役割を有するものである。
当センター情報誌『idea(この冊子)』の『センターの自由研究』では、「地域文化」に関連する様々なテーマで調査を行っていますが、毎テーマ学ぶことが多く、興味深いことばかりです。歴史や文化など‘地域の成り立ち’を知ることは、その地域に住む人の‘人間性’の形成につながるような気もします。
広くなった一関市は、旧町村(大字単位だったりもします)ごとに「地域文化」があり、‘一関市’としてのシンボル的な価値の創出が難しくなっていることは否めません。結果的に、「郷土の偉人には〇〇もいます、〇〇もいます」「地域文化には〇〇があります、〇〇もあります」と、羅列するような状態に。それは仕方がないことですが、そこに「市民活動」としての「地域文化に関する取り組み」が強化されたら、もっと市民の意識も変わるんだろうなと思ったりします。
子どもの頃から郷土学習を……と、学校で地域文化学習は行われていますが、子どもだけに負荷をかけるのは我々としては好みません。もっと大人世代(青年層や壮年層)がしっかりと郷土に目をむけるべきなんです。市民が地域文化からかけ離れて生活をしているため、地域への愛着や「一関と言えば〇〇」というような市民の共通認識が薄い……すなわち「文化価値の創造力」が弱いと感じています。
以前、大東町渋民地域で‘地域文化が地域住民を育てている姿’を目の当たりにしたことを、いまでも鮮明に覚えています。「地域づくり計画」策定のため、中学生を対象としたワークショップを開催した時のことです。参加した中学生たちが口々に、「東山先生」と言うのです。東山先生というのは、渋民地域が輩出した刑法学者・芦東山のこと(芦東山については当センター情報誌idea(2020年11月号)「センターの自由研究:末裔調査ファイルNO.1」をぜひご参照ください)。江戸時代の芦東山を、いまの中学生が「東山先生」と呼ぶことにカルチャーショックを感じましたが、地域で芦東山を称え、「東山先生」と呼ぶことができる……これは立派な「地域性」です。市内の様々な地域を見ていますが、地域の偉人を「先生」と呼ぶ光景は、当市では大東町渋民以外で見かけたことはありません(あったらごめんなさい)。
「地域文化」は‘心豊かな生活’を送るための一助となり、合唱や演劇などの文化芸術活動、ストリートカルチャー等もまた同様です。鑑賞する人、演じる人それぞれが「文化活動」を通して心が豊かになる。そして、共感する人が集まり、文化振興のエネルギーが高まることで、「地域」や「まち」の‘イメージ’が形成されていくものと思っています。
‘合唱のまち一関’という割には、日常生活の中で合唱と巡り合うことがありません。路上で練習したりすることで、まち中にハーモニーが溢れ、市民と合唱の架け橋になり、共感を生み、「参加してみよう」となる……。身近なところから文化活動に親しめる土壌づくりが、いまの一関には必要なのではないでしょうか?。
そのためには、積極的になるしかないのです。
数年前から地元集落の獅子舞に加わった筆者(センター長小野寺)ですが、関わって初めて知るその奥深さを心身ともに感じています……(腱鞘炎が育てる郷土愛)。