毎月さまざまなテーマで地域づくりについて考えていくコラムです。
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第52話(idea 2023年7月号掲載)
言葉やイメージの‘独り歩き’にご用心
いわゆる‘ど根性野菜’は、ニュースになり、見たことのある人も多いはず。物は言い様で、‘ど根性野菜’と言えば、「よくそんなところから立派に育ったな!」というポジティブなイメージになりますが、それを「規格外野菜」と言ったら、どうでしょうか?ネガティブなイメージが出てきてしまいませんか?
イメージ作戦とは重要で、そのイメージによって価値や評価に直結するので、なるべくマイナスイメージにならないようにしたいもの。しかし最近は、マイナスイメージをあえてそのままにして、「課題解決につなげていこう」という取り組みも多く見られます。課題解決された状況を見せつつ、そのプロセスに価値をつけるものです。その取り組みには、横文字が多く使われており、「正直、なんのこと?」ということが多いです。
例えば、「‘サスティナブル’な社会」の実現。よく聞きますが、何を指しているかわからず、「‘持続可能な’社会」と言ってもらった方が、よっぽどわかりやすいです。国や市が使うから同様に使う……のではなく、市民には市民向けの言語がしっくりくるのです。
課題は、横文字だけではありません。日本語であっても、使い方があっていないというか、本質を捉えていないと感じる表現が……。例えば、「一関市産の『規格外野菜』を使って子ども食堂を支援し、食品ロスもなくしていく」という企画を目にしたのですが、正直、違和感しかありませんでした。要は「子ども食堂支援のために市内の『規格外野菜』をわざわざ集める」という企画だからです。
そもそも、「規格外野菜」も立派な野菜で、無条件で廃棄されるということはありません。それなのに、「食品ロス」の文脈も付け足すことで、さも「規格外野菜は廃棄され、食品を無駄にしている」ようなイメージに…。
これは、‘売れる企画(仕組み・パッケージ)’をつくっているだけで、本来解決すべき‘規格外野菜も売れる’という仕組みにはしていません。農産物は、色・形が良いものは「規格品(=商品)」として売り場に並びますが、残念ながら‘商品’としての‘規格’に合致することができなかった野菜たちは「規格外品」となり、商品にはなれないのです(‘2軍選手’は産直などの‘商品’になることも)。単に見た目が悪かったり、サイズが合わないというだけで、同じ野菜です。ですので、生産者の食卓に並んだり、隣近所に配ったりして、「自家消費」をしたり、加工食品の材料にするなど、「食用」には変わりないはずです。規格外野菜にも野菜としてのプライドがあります!生産者だって、手塩にかけて育てた農産物を、そう簡単に無駄にはしませんよ。
台風や大雨など、自然災害によって収穫前の農作物が廃棄になる可能性がある時は、ニュースになり、「食べられる状態のものはなんとかしよう」という動きに。場面の切り取り方によっては「廃棄」に視点が集中してしまいますが、前後の背景も捉えてみないといけません。
「子ども食堂」や「プレーパーク」など、言葉やイメージだけが独り歩きし、「やりたい」という人が増えているのが今。本当は「私は、それがやりたい!」ではなく、「それをすることで社会がどう変わるのか?」と、将来の姿を描くべきなんです。手段が目的と化しては、課題解決や持続可能な社会の実現にはつながりません。
ちなみに「プレーパーク」とは、‘子どもたちが自由に、自分たちで遊びを創り出せる遊び場’を指し、そういう場を求める声が市内でも聞こえていますが、田畑や里山が豊富な一関は、わざわざプレーパークを作らなくても、どこにでもそうした場があります。むしろ足りないのは、「子どもがのびのびと遊べるようにしてあげられる大人」、つまりは「ソフトメニューを創り出してあげる大人の存在」なのではないでしょうか。インターネットやメディアの情報だけを漁り、「いいな」と思ったことを自分で実行することが‘まちづくり’だと勘違いをされがちで、本質を捉えていない姿勢に「困ったな」と感じるわけです。
「私は、ひとり親家庭などへの子ども支援が必要だと感じていて、子ども食堂を行うことで、一関市内に孤食や貧困家庭がなくなっている姿を創りたい」など、‘ビジョンを描ける市民’が増えることが重要です。つまり、自らがプレーするプレーヤーではなく、‘戦略を練ることができる’プレーヤーが必要なのです。