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とうほく街道会議第9回交流会一関実行委員会主催の「とうほく街道会議 第9回交流会一関大会」は、11月1日から2日にかけ、本寺地区の健康の森と骨寺村荘園遺跡等を会場に行われました。
とうほく街道会議は、東北地方を街道で結び、東北の歴史や文化、風土に根差した活動をし、地域づくりに貢献することを目的に、平成17年に設立。毎年東北各地の街道について講演や分科会、探訪を企画し、会員や参加者の知識と交流を深めることで連携を強化しています。
今年で9回目になる同交流会は、いわいの里ガイドの会と協働により、一関市厳美町の骨寺村荘園をテーマに開催。1日目の基調講演では一関市博物館館長・東北大学名誉教授である入間田宣夫さんが「骨寺村馬坂新道の開削と奥大道」について解説を交えながら講演し、続く分科会ではパネルディスカッションと車座座談会に分かれ、異なるテーマでそれぞれ話し合いを実施。2日目は、ガイドの案内で骨寺地区と芭蕉の道を歩いてまわりました。
厳美町の本寺地区は、鎌倉時代から室町時代(12世紀から15世紀)は、骨寺村と呼ばれる平泉中尊寺経蔵別当領でした。当時、平安浄土の国づくりを理想にかかげていた藤原清衡は、自ら発願した「紺紙金銀字交書一切経」(国宝)を完成させた功績として、自在房蓮光を中尊寺経蔵の初代別当に任命しました。
当時の中尊寺と骨寺村の繋がりを示す古文書は数多く保管されていますが、中でも「陸奥国骨寺村絵図」は、800年前の骨寺村の農村風景が鮮明に書き記されている上、その原風景が現在も変わらず在るという、世界でも非常に希少価値が高い地域です。平成17年には、その重要性が認められ、骨寺村内にある、山王窟、梅田遺跡、駒形根神社・ 白山社、伝ミタケ堂跡、遠西遺跡、要害館跡、若神子社、不動窟、慈恵塚・拝殿の9つが国の史跡に指定され、翌年には絵図に描かれた水田と屋敷を中心とする領域が国の重要文化的景観に選定されました。現在も、地域の史跡・発掘調査が継続して行われています。
一関市では、骨寺村荘園遺跡の歴史と価値を伝え、交流を通じて地域活性化を図ろうと、今年4月に骨寺村荘園交流館「若神子亭」の展示棟を開館。9月初旬で、来場者数が1万人を超えました。他にも地域内の橋を新しく建て替える等して、骨寺村を訪れる方への環境整備を行っています。
今回の会議の実行委員長を務めた白澤さんは、骨寺村の今後と課題について、「圃場整備が進んでいますが、この景観を維持することが重要であり、できれば地元の方が骨寺村をガイドできるようになってほしい」と語りました。
800年の時を超え、地域の歴史を今に伝え続ける骨寺村の風景と史跡は、かけがえのない地域の宝としてこれからも大切にされ続けてほしいと感じます。