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会長 伊藤孝雄さん
(idea 平成30年1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
◆会 長:伊藤 孝雄 さん
◆連絡先(住所・電話とも庶務菅原勇さん宛)
住 所:〒029-0302 一関市東山町長坂字柴宿7-56
電 話:0191-47-3661
◆活動日:毎月第2金曜日・19時~21時(場所:東山地域交流センター)
「♪清き流れの砂鉄の川に~」猊鼻渓船下りを体験したことのある方なら一度は耳にしたことのある舟歌「げいび追分」。今回はげいび追分の唄と歴史を後世に伝え、町の活性化を目指す「げいび追分伝承会(以下伝承会)」の伊藤会長にお話を伺いました。
げいび追分の歴史は古く大正14年に遡ります。当時猊鼻渓は国の名勝指定を受け、初代日本百景の認定、大船渡線の開通なども重なり、観光客は増加の一途に。そこで観光客の心に残る土産にと、北海道で江差追分の大御所に師事し帰郷していた鈴木朗月さんが作曲、弟の鈴木秀月さんが作詞を手掛け、完成させたのが「正調げいび追分」でした。
その後昭和4年の閑院宮殿下猊鼻渓ご来遊の際、鈴木兄弟らとともに御前演奏に参加した唄い手の1人赤羽忠良さんは、昭和55年に「正調げいび追分」をレコード化。「鈴木朗月先生に指導されたげいび追分保存の一助に」との思いを込めました。赤羽さんと面識があった伊藤さんは詩吟九段の持ち主ですが、施設を詩吟の慰問で訪れた際、入所していた赤羽さんと偶然再会します。伊藤さんはその折、赤羽さんから「げいび追分の伝承会の結成を」と託されたと言います。
また、昭和26年にNHKのど自慢で優勝した佐々木忠市さんは、朗月さんにげいび追分を習い、猊鼻渓の船頭として50年余り追分を披露したという方で、門弟が一時300人を数えたという民謡教室(民謡佐々木会)を自ら開く傍ら、げいび追分の伝承を考えていたそうです。そんな佐々木さんから伝承会結成を呼び掛けられた伊藤さんは、赤羽さんから託された想いも鑑み「一緒にやりましょう」と決断。かくして平成10年に発起人兼師匠を佐々木さん、会長伊藤さん、会員20名という体制で「げいび追分伝承会」は船出したのです。
毎月1回の定例会ではげいび追分はもちろん、それ以外の民謡も練習し、その成果を『いわい地方民謡民舞踊の集い』をはじめ、各種芸能大会や東山地域の文化祭、施設の慰問などで披露しています。中でも夜の唐梅舘山頂で長坂の町並みと満月を楽しむ『中秋の名月を愛でる会』でのげいび追分の旋律は、船上とはまた違った余韻を感じさせてくれます。
現在40代から90代!の方まで在籍しているという伝承会。定例会では練習の合間にお茶の時間も設け懇親を図るほか、毎年移動教室と称して1泊の懇親旅行も実施しています。腹の底から声を出す民謡は健康的で、「親睦と健康がモットー」と伊藤さんは語ります。
20人でスタートした会員は、最盛期に45人位まで増えたものの高齢化や物故者などもあり現在は25人に。発起人兼師匠の佐々木さんも数年前に急逝。現在は佐々木国男さんが師範として指導にあたっています。設立以来会長を務めている伊藤さんは、自身の高齢化(89歳)による後継委譲を課題とする一方、げいび追分に踊りを付けたり名入れの半纏を製作するなど新しい取り組みも行っています。まもなく結成20年の節目を迎える伝承会の地道な活動は、時の流れとともに様々な変遷を経ながら継続されてきたのです。それでも「唯一変わらないもの」があるとすれば、鈴木兄弟に端を発し、赤羽さん、佐々木さん、伊藤さん、そして歴代の会員や猊鼻渓の船頭ら、多くの関係者によって唄い、語り継いできた「げいび追分」というバトンを、これからも伝承会が繋いでいくことにほかなりません。
移動教室の集合写真