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令和3年度開拓地視察研修
(idea 2022年1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
平成10年、伊藤勇雄の生誕100年を記念に設立。会員数は約40名。「伊藤勇雄先生を顕彰し、先生の精神と生き方を後世に伝える」ことを目的に活動中。
〒029-0202 一関市川崎町薄衣字鴨地106
TEL:0191-43-2627(会長:三浦)
「夢なくして何の人生ぞ」……という座右の銘を胸に、岩手県内はもとより、海外における開拓にも尽力し、移住先のパラグアイで生涯を閉じた「伊藤勇雄」。
「宮沢賢治や石川啄木と同年代に生まれたものの、残念ながらその存在はあまり知られていない」と話すのは、「伊藤勇雄顕彰会」会長の三浦忠二さんです。
同会は開拓の詩人・伊藤勇雄先生(以下敬称略)の生誕100年祭を機に設立し、伊藤勇雄が開拓した土地の視察研修や、その活動・生き方を紹介するパネル・紙芝居の制作等、様々な方法で顕彰活動を行っています。伊藤勇雄の出身地である当市川崎町を中心に活動しているものの、北は北海道、南は九州まで、全国各地に会員が!
「69歳にして夢を実現しようとパラグアイに渡り、理想郷を追い求めた姿や生き様、考え方そのものが『生涯学習』に通じるものがある」と三浦さんは語り、いわて南米岩手県人会青年交流事業で南米パラグアイ・イグアス日系人移住地の現地視察に参加した同会副会長の鈴木宏さんは「夢だけでなく理念がないと行動できないと思う。伊藤勇雄の生き様は国境を越えて引き継がれるもの。未来永劫語られるべきものであり、引き継いでいかねば」と同会の存在意義を語ります。
明治31年、旧薄衣村の農家に生まれた伊藤勇雄。旧薄衣尋常高等小学校を首席で卒業すると、農夫や郵便配達夫として働きながら、私塾で英語や漢文を学ぶなど、自己研鑽を積み、16歳でキリスト教の洗礼を受けます。
20歳で上京、働きながら夜は英語学校で学び、キリスト教に熱中する中、22歳で武者小路実篤の思想に共感し、九州の「新しき村」に入植します。
「新しき村」での生活や、ホイットマン等の影響を受け、独自の思想「人間宗教(あらゆる宗教の枠を超えるという独自の思想)」を考えだすと、その思想に確信を持ち、再び東京へ。働きながら大学で文学の授業等を聴講する生活を送っていた矢先に関東大震災が発生。流言による朝鮮人虐殺等の混乱も生じ、伊藤も朝鮮人と間違えられて二度も殺されかけます。
九死に一生を得て帰郷すると、「大地を支えている貧しい農民や労働者と苦楽を共にしよう」という想いから、27歳頃からは農民・労働運動、社会運動に邁進します。診療所の開設や各種組合・組織の立ち上げにも尽力し、村議や県議、岩手県教育委員長等も務めるなど、地元のみならず県内で幅広く活躍していきます。
戦後、開拓の仕事に従事するようになると、54歳で北上高地の外山高原薮川地区開拓地へ入植。自然条件が良いとは言えない高冷地でも、「楽しい人間生活」を送ること(組合の設立、電気導入、診療所開設等)に尽力します。
63歳で岩洞湖畔に住居を移すも、南米・中北米旅行で見たパラグアイの土とジャングルに魅せられた伊藤は、68歳でパラグアイへの移住を決意。69歳で家族とともに移住すると、社会インフラの充実や貧困問題の解決につながる理想郷を創るべく、一族で奮闘しますが、76歳でこの世を去りました。
なお、26歳で処女詩集『名乗り出る者』を出版以来、詩人として複数の本も自費出版しています。
農民・開拓者でありながら、社会運動家として川崎村の実費診療所や千厩病院の設立にも関わった伊藤勇雄。その意思を継ぐかのように、パラグアイで「人類文化学園」を設立するなど、子孫も世界で活躍しています。川崎町で伊藤勇雄関連の式典がある際には、子孫にも来日していただき、お互いの活動報告や理想について話し合うなど、国際交流にもつなげています。
そんな同会会員の「夢」は「伊藤勇雄記念館」の建設。全国にその生き方や思想を発信でき、後世に残るような記念館の建設を夢見ています。また、伊藤勇雄の詩集『名乗り出る者』の処女版がないことから、複製本の出版も検討。「次世代を担う子どもたちには偉大な先人がいたことを知ってもらい、生き方や考え方を参考にしてもらえれば」と、三浦さんは意気込みます。
没後45年以上が経過した今もパラグアイや世界で生きる伊藤勇雄の思想。その思想が川崎と世界をつなげているという事実が、伊藤勇雄のように夢を追いかけ、活動を続ける同会の背中を後押ししています。
みうら ただつぐ
三浦 忠二さん
設立当初の記念事業の開催をきっかけに同会の活動に関わっており、子どもたちへ「夢」を追う大切さを教えています。
A.“夢なくして何の人生ぞ”(勇雄)
その“夢”を追って今も
すずき ひろし
鈴木 宏さん
同会副会長。壁にぶつかった時には「伊藤先生ならどう考え行動するのか」を常に考えるように心がけているそうです。
A.夢と実践
パラグアイに向かう前の壮行会での1枚。開拓に尽力した伊藤が出発するとあり、多くの人が前途を祝いました。
伊藤勇雄が開拓した土地の大規模農園を視察。多くの関係者が伊藤の思想に共感し、現在も開拓活動を行っている。
令和3年9月に行った視察研修。伊藤勇雄が晩年を過ごした書斎があり、周辺の開拓地を巡り、思いを馳せました。
座右の銘である「夢なくして何の人生ぞ」が刻まれた碑は同会が建てたもの。設置場所からは伊藤勇雄の生家が見えます。