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今年の田植え後の集合写真
(idea 平成30年6月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
◆理事長:伊藤薫さん
◆住 所:〒029-1111 一関市千厩町奥玉坂下43
◆電 話:0191-56-2009
※地蔵田にまつわる言い伝えや田植えの様子は、「センターの○○」ページに掲載しています。
千厩町奥玉地区の西側に、丸い形をした田んぼがあるのをご存知ですか?
奥玉には「西の地方に暮らしていた兄弟がお地蔵様のお告げを聞いて旅に出て奥玉にたどり着き、兄はお寺の和尚になり、弟は田んぼを開いた」という言い伝えがあり、お寺のお地蔵様に奉納する米を育てる円形の田んぼは「地蔵田」と呼ばれ、受け継がれてきました。その兄弟の末裔とされる家で地蔵田を管理し、穫れた米を地蔵院に奉納してきましたが、昭和32年に千厩町の圃場整備が始まり、奥玉から地蔵田は姿を消してしまいます。
今回は、一度は地域から姿を消した地蔵田を復活させた地蔵田伝承会の伊藤薫さんと地蔵院住職の大塲浩俊さんに、伝承活動を通じて生まれた交流について伺いました。
子どもの頃から近所のおじいちゃんやおばあちゃんから地蔵田の言い伝えを聞いて育った伊藤さん。一度就職で奥玉を離れましたが、帰ってきてから「地蔵田を復活することはできないか」と思い、地蔵院住職の大塲さんや地域の人に相談して、伊藤さん所有の休耕田を使って地蔵田復活に取り組むことにしました。
復活に向けて動き出すと「じゃあ私は地蔵田の看板を作るよ」など、協力者が集まり、平成16年に地蔵田が復活。地蔵田がなくなっていた間も、お寺に地域の米を奉納する行事は続けられてきましたが、その年からは参加者を募って地蔵田の田植えを再開し、毎年の恒例行事になっています。気仙沼市などからも参加があり、以前奥玉に住んでいた人が子どもを連れて参加したりするそうです。
せっかく昔の田んぼを復活させたんだから田植えのやり方も昔のものをできるだけ再現してみようと、すべて手植えで、肥料や農薬も使いません。
昔は、田植えの日には田んぼに入る前にお供えものをして、無事に作業が終わることや五穀豊穣を祈ってから田植えをしていたそうで、そうした行事も再現。田植えが終わってからの“たばこどき”のメニューも、昔ながらの豆ごはんのおにぎりをみんなで食べるなど、当時の風習の伝承にも一役買っています。
子ども達にとっては、田んぼに入ること自体が珍しく、田植えだけでなく、めだかやドジョウを見つけて遊んだり、自然とふれあう機会にもなっていますが、地蔵田の田植えを楽しみにしているのは子どもだけではありません。奥玉地区では、「農事組合法人 おくたま農産」が地区内の多くの田んぼを借り上げ、一元管理しているため、農作業の面で組合員は助かっている分、田んぼを持っていても入る機会がなくなった大人もたくさんいるので、地蔵田の田植えや稲刈りは大人にとっても貴重な機会となり、久しぶりの田仕事や子ども達との交流を楽しんでいるそうです。
秋にもみんなで稲刈りをして、11月の地蔵講で地蔵院本尊の水引地蔵、お寺の台所の神様である韋駄天に奉納され、収穫を祝います。
伊藤さん、大塲さんはこれまでの取り組みを振り返りながら、「地蔵田が地域の歴史の伝承だけでなく、人が集まりコミュニケーションが生まれる場になり喜ばれている」と笑顔を見せていました。
復活した地蔵田