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(idea 2020年1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
前身である「増沢神楽楽友会」から数えると100年以上の歴史を持ち、地域の子どもたちへの継承活動にも積極的に取り組んでいます。令和2年1月12日に藤沢文化センター縄文ホールで開催される「藤沢町子ども郷土芸能発表会」でも発表予定。
〒029-3401 一関市藤沢町増沢字畑沢62-2
TEL 0191-63-2054(会長:菅原)
写真:昨年の農業祭での集合写真
藤沢町の増沢地区(32・33行政区)に100年以上前から伝わる「増沢神楽」。東磐井地方に南部神楽を広めたとされる佐藤金次郎氏の一番弟子である千葉義美氏が師匠となり、明治42年、増沢地区がある旧八沢村の総社・立石神社への奉納神楽として、現在の32区を中心に「増沢神楽楽友会」が発足しました。
明治44年に増沢神楽楽友会の一部が独立し、33区を中心に「増沢神楽」が誕生(昭和14年に「増沢立石神楽」に改称)しますが、増沢神楽楽友会の会員減少により団体は統合(団体名は「増沢立石神楽」へ、その後「増沢神楽」へと改称)。
さらに昭和42年、一部の人だけでなく、地域としても神楽を守っていくため、増沢地区の半分にあたる約50世帯が協力し、現在の「増沢神楽保存会(以下保存会)」が発足しました。
今回は会長の菅原武徳さん、長年同会で活動する佐藤久寿さん、佐藤ヤス子さんにお話を伺いました。
神楽は神社などへの奉納だけでなく、かつては娯楽や余興としての側面も大きく、増沢神楽も様々な地域を回って公演し、農業以上の収入になっていた時期もあったそうです。その中でお客さんを飽きさせない賑やかなものにしようと工夫を重ね、現在の動きの激しい舞いが特徴になったのだとか。
戦前は立石神社に特設舞台を作っての奉納、平成元年頃までは立石神社の祭礼(秋祭り)での奉納、平成10年頃までは地元自治会館での披露と、定期的な披露の場を設けてきました(現在は立石神社での奉納は休止中)。また、昭和54年から平成10年まで開催された「東磐井郡下神楽大会」にも毎年参加、他地域の神楽団体と披露し合い、技術を磨いてきました。
現在は、毎年4月末から5月上旬に増沢地区にある吉祥寺の子安観音様へ神楽を奉納するほか、毎年11月に開催される藤沢の農業祭では藤沢町内の神楽団体が持ち回りで3年に1度出演。また、町内外の老人ホームなどからの依頼に応じての公演も行っています。初代会長が他の神楽団体の師匠として発足に関わったこともあり、他地域に公演に行くと「お、増沢神楽か」と言われることもあるそうで、その名が知られていることを実感する度「なくしてはいけない伝統芸能だと感じる」と久寿さんは話します。
昭和45年から藤沢中学校で鶏舞を指導(統合に伴い現在は休止)するなど地元の子どもたちへの継承活動にも取り組んでいる同保存会。現在は新沼小学校の運動会で披露する鶏舞の指導をしているほか、毎年1月に開催される「藤沢町子ども郷土芸能発表会」に増沢地区の子どもたちが出演するため、冬休み期間は毎日一緒に練習します。
保存会の会員は現在約10名と昔に比べて減ってきていますが、小学校で鶏舞を踊ったことをきっかけに隣の地区の子どもが「踊りたい」と発表会に参加してくれたり、昔学校で踊った子どもが大人になって会員になるなど、長年の継承活動が実を結んでいます。
また、一般的に神楽の舞い手やお囃子は女人禁制ですが、増沢では近隣地域の中では比較的早くに女性会員を加入させました。当時の会長から声をかけられ入会したヤス子さんもその一人です。神楽の舞いやセリフを覚えていくことにやりがいを感じたヤス子さんは、練習を見に来ていた人にも「せっかくだから一緒にやってみよう」と声をかけるなど仲間集めにも積極的で、それがきっかけで加入した若手の女性会員は今では活動に欠かせないメンバーに成長しているそうです。
技術面での継承については「先代たちが現役で一生懸命やっているうちは『後を継ぐために教えてほしい』と言うのを遠慮してしまった」と話す菅原さん。教えてもらわないうちに先代が亡くなってしまい、舞やお囃子の習得に苦労した面もあったそうです。そこで、平成23年度に財団法人自治総合センターの助成事業に申請し、神楽の衣装や道具と合わせてテレビやビデオカメラなどの映像機器一式を整備。長年伝わる伝統芸能を映像として残し、継承できるようにしました。
神楽の魅力について「セリフをばっちり覚えて、たくさんの拍手をもらったり、見てくださった人たちに喜んでもらえるとやめられなくなる」と話す3人。菅原さんは「これからも増沢神楽を残していくためには地域との連携がより重要となるだろう。人数は違えど、少しでも昔のものに近づけられるよう頑張りたい」と今後の抱負を語ってくださいました。
すがわらたけのり
菅原武徳さん
初代会長である祖父の代から、家族三代で受け継ぎ伝えてきた増沢神楽は「地域の宝物」だと話してくれました。
さとうやすこ
佐藤ヤス子さん
神楽の練習や公演を楽しみにしており、中でも藤沢野焼祭で炎が燃える中で神楽を披露し、大きな拍手をもらえたことは一番の思い出になっています。
毎年春に増沢地区・吉祥寺の祭礼で子安観音様へ神楽を奉納しています。写真は今年披露した「天之岩戸開」。
神楽の演目ごとに使われる「面」は大事に保管されており、100年前からずっと使われているものもあるそうです。
金曜夜の自治会館での練習は無理せず来れる人が参加することにしており、会員が集まり交流する機会にもなっています。
その年の増沢の小学4~6年生を中心に人数に合わせた演目を披露しています。写真は今年も発表予定の「五大領四節分」。