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代表 山崎 司朗さん
idea 平成29年2月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
◆代 表:山崎 司朗 さん
◆連絡先:〒029-0303 一関市東山町松川字滝ノ沢平91
◆電 話:0191-47-2124
※連絡先・電話ともに代表山崎司朗さん宛
「ザッ…ザザッ…」レコードの針を落とす音とわずかなノイズ。静寂を破って真空管アンプと波動スピーカーが鳴らし始めたのは、古いレコードに収録されたエレキギターのコンサート。目を閉じ、背もたれに体を預けながら演奏に身をゆだねていると、一瞬自分がコンサート会場にいるような錯覚すら覚えます…。
11月に東山地域交流センターで開催されたこの「懐かしのレコード展」は、「東山真空管アンプ研究会」の協力によるものでした。オーディオやアマチュア無線を通じて真空管に魅せられた根っからの音好き。そんな5人の男性が集まった同会について、今回は代表の山崎さんにお話を伺いました。
会を立ち上げたきっかけは「せっかく作った真空管アンプの音を他の人に聴いてもらいたい」という思い。当初は縫製工場跡地を山崎さんが改装したオーディオルームで、持ち寄ったレコードを聴く会を開催しましたが、公の場で一般の方にも聴かせたいという事で、ここ数年は宮沢賢治の命日である9月21日に、自作した真空管アンプによるオーディオコンサートも開催。来場者からのカンパを岩泉やネパールなど被災地へ義援金として送る活動もしています。レコードやアンプの解説トークも交えたこのコンサートへは、わざわざ仙台から駆け付けた方もいて「家庭では聴くことの出来ない音」と感動されたというエピソードも。
かつてはテレビやラジオの部品として使われていた真空管ですが、半導体技術の進歩・普及により、一部の分野を除いてほとんど姿を消しています。そんな真空管へのこだわりを「当時は真空管が普通で、特別な物という意識はなかったが、真空管は今でも十分通用する素材だし、真空管でなければ出ない音もある。そんな真空管の音と文化を伝えたい」と語る山崎さん。
また、山崎さんは自作のアンプには真空管をはじめ多くの部品にあえて廃材やジャンク品を使いますが、そこには「時代の流れで真空管テレビ・ラジオが廃棄されたり、9割以上の部品はまだ使えるのに1個の部品が壊れたからといって処分されるのは何とももったいない。使える部品を組み合わせることで別の新しい『いのち』を吹き込みたい」「そこで個々の部品を眺めながら音を鳴らすための組み合わせを考え設計するが、作ったものが必ず動くとは限らない。だからこそ音が鳴り、新しい『いのち』を感じた瞬間は何物にも代えられない喜びがある」という思いもあるのです。
現在に至るまで大の読書家でもある山崎さん。司馬遼太郎をはじめ、野口英世、山頭火、武者小路実篤などハマったものをむさぼるように読み、アンダーラインを引きまくった日々は「道は自らが切り拓くもの。常に自分のアンテナの感度を高め、偶然出会った人、物、本に『なんだろう?』と思い、それを積み重ねていくことが自分の踏み出す一歩となる」という人生観も培いました。平成17年には大病に見舞われ仕事を続けられなくなりましたが「あと何年生きられるか?」と考えた時、「悔いのない人生を生きる」という心境に至ったと言います。
「こだわって度が過ぎる位が良いと思う」と笑う山崎さんにとって、真空管アンプは悔いを残さないためのこだわりの一つなのかもしれません。そして、東山には真空管にこだわる男達の4つのアナザーストーリーがまだ隠されています…。
真空管アンプと波動スピーカー